聖女、気遣う

「……話を戻しますけど」


 失言を誤魔化すように咳ばらいをして、俺は尋ねた。


「ノワールさんには『オリジナル』の記憶があるんですか?」

「ええ、あります」


 こくんと頷くノワール。

 確かに、目の前にいる彼女は原作のノワールと寸分違わぬ姿をしている。もちろん、匂いや質感といったプラスアルファの情報を除けばの話だし、ラブコメという関係上描かれざるをえない「主人公への好意」の無い、素のままの表情をしている分、正直こっちのノワールの方が魅力的だが。


「……にはアリシアの記憶ってないんですけど」

共鳴ユニゾンの段階が違うからだろうな」


 不死鳥戦でアリシアの声を聞いたあれのことだ。

 緩やかな共鳴は今この瞬間にも起こっているらしいが、


「ノワールは自ら望んで魂の深いところを覗き込み、受け入れている。オリジナルに近づけば近づくほど記憶や能力は強くはっきりと再現されるようになる」

「はい。わたしはこの中で二番目にオリジナルに近づいている人間、ということになるでしょう」


 一番目が教授なのはなんとなくわかる。

 そこからノワール、朱華、俺、シルビアの順か。シルビアは元の身体に戻りたくないとか言いながら、シルビア・ブルームーンを「理想の自分」と呼んで自分自身と区別している。アリシアとの共鳴に嫌悪感のなかった俺よりもむしろ線引きが明確だろう。

 アリシアに近づいてくことは承知の上でこの生活を選んだ。

 だから、それ自体は問題ないのだが、


「原作で描かれていないエピソードまで思い出せるっていうのはまた別の問題ですよね? だって、単に原作を覚えているからっていう話じゃなくて……」

「うむ。作者の頭の中にさえまだ存在しないかもしれない、キャラクター自身の記憶を、我々は所持しているということになる」


 教授が以前、平行世界うんぬん言っていた理由がわかった。

 彼女は肩を竦めて、


「まあ、ノワールの未来の記憶が原作で描かれる保証はない。だから、単なる妄想かもしれんし、偶然の一致なのかもしれん」

「あるいは、あの作品の作者さまもわたしと同じく、あの世界の誰かと魂を同じくしているのかもしれませんね」


 どこか遠い目をしてノワールは呟いた。

 なんとなくオカルトかファンタジーめいた話になってきているが、作者がオリジナルのノワールの知人──例えば物語の主人公と魂を共有していて、その人そのものになることはないまでも物語として出来事を思い出しているとすれば、確かに説明はつく。

 語り手がノワールでないのなら、その人物の知らない出来事は描かれないだろう。あるいは、語り手が「重要ではない」と判断した出来事も。


「じゃあ、私もアリシアと共鳴を強くすれば、アリシアの記憶を思い出すんでしょうか?」

「さあな、知らん」

「申し訳ありませんが、わかりかねます」

「気になってもほいほい試すんじゃないわよ」

「……あれ?」


 急にあっさり突き放された感。

 どういうことだと目で抗議すれば、教授は苦笑して、


「そうは言っても実際わからんのだ。全く同じ境遇の者は一人としていないわけだしな」

「確かに、それはそうですけど……」


 原作の媒体からしてマンガだったりアニメ映画だったり小説だったりゲームだったりと違う。

 近いのはエロゲ出身の朱華だが、


「あたしは原作にあった出来事くらいなら『自分の経験として』思い出せるわ。でも、設定としてあるだけのエピソードとかだと無理」

「わたしは原作にない出来事も思い出せますが、日常の些細な出来事などはほとんど思い出せません。原作の範囲内以外は印象的なエピソードを思い出すのが限界です」

「私はシルビアのことなら結構何でも語れるけど、あんまり参考にならないよねー。だって私が作者だから」

「アリスの場合も我々と同じだとは思うが──お主の場合、なったのがSRPGの駒だからな。言うほど主要エピソードが存在するか? という話もある」

「……そうですね」


 プレイヤーがキャラの容姿や職業を決められる都合上、アリシア・ブライトネスの役割は他のキャラクターでも代替が利く程度のものでしかない。

 会話パートの情景が鮮明に思い浮かんでも「だから何?」としかならないかもしれない。

 とても深いところまで共鳴すれば話は別なのだろうが。


「ともあれ、問題はそのシュヴァルツとやらだ。まあ、倒せばいいんだろうが」

「倒せばいいなら、倒せばいいじゃない。ボス倒さないと雑魚が全部復活する、っていうわけでもないんでしょ?」


 乱暴な言い方ではあるが、実際正しい。

 悪い気は時間経過と共に溜まっていくだろうが、長年かけて溜まったものを大部分払ったのだから、ちょっとやそっとで人形が完全復活とはならないはず。

 ノワールも「そうですね」と頷いたものの、


「ただ、シュヴァルツは簡単には倒せないと思います」

「……強いの?」

「間違いなく強敵です。例えるなら、そうですね──」


 銃器や刃物を自在に扱う万能メイドの口にした比喩は、あの少女の脅威度をはっきりと示してくれた。


「大戦のエースパイロットのありとあらゆるデータをインプットされたコンピュータを搭載された最新兵器、といったところでしょうか」


 あの少女、シュヴァルツは「全盛期のノワールのデータが入った機械人形」だという。

 つまりは、そういうことだ。


「全盛期のノワール──これはオリジナルのことですが、彼女の強さは凄まじいものがありました。今のわたしよりも数段上でしょう。シュヴァルツはそんなわたしの戦闘データが、人以上の性能を持つ鋼の肉体にインプットされているのです」


 もし、仮に同じだけの技量を持っていたとしても、ボディの性能差で一方的に押し負ける。

 ノワールは銃弾が一発当たっただけでパフォーマンスが落ちるのに、シュヴァルツは生半可な銃弾は装甲ではじき返してしまう。

 機械の身体なので疲労もないし、腕が一本もげたところで普通に戦闘継続できる。

 不死鳥と戦えばあっさり溶けて終了だろうが、それは相性の問題もある。ボディが小さいというのは飛び道具を当てる際に厄介だし、物理攻撃が通りづらい以上は戦法が限られる。


「で、でも、こっちは五人いるんだよー? みんなでかかればなんとかなるんじゃない?」

「シルビアさま。こちらは一人欠けた時点でゲームオーバーであることをお忘れなく」

「う……」


 俺達の命はシューティングゲームのように残機性ではない。

 死んだら終わりなのだから、どんな手を使ってでも勝てばいい、というわけにはいかない。


「とりあえず保留だな」


 と、教授は作戦会議を打ち切った。


「優勢を取れるアイデアが出ない以上、置いておくしかあるまい。幸い、放っておいても敵が暴れるわけではないのだ。倒した敵の分の報酬だけ貰って、後はいい案が浮かぶのを待つとしよう」

「賛成。バイトで死ぬなんて馬鹿らしいしね」


 朱華が頷いて立ち上がる。

 眠いし、シャワーを浴びてから寝る、とのこと。一緒に浴びるかと言われたが丁重にお断りした。マッサージの二の舞は懲り懲りである。向こうも面倒なのか特にからかってくることはなく、着替えを取りに自分の部屋へと消えていった。

 シルビアは「じゃ、気分転換に薬でも作ろうかなー」とこれまた研究室に向かった。研究に熱が入った場合はそのまま朝までコースと思われる。

 俺は、


「さ、アリスさまもお休みくださいませ」

「ノワールさん」

「もう遅いですし、夜更かしは身体によくありません。眠れないようでしたらホットミルクをお作りしましょうか?」


 ノワールは俺を見てにっこりと笑う。


「えっと、じゃあ、お願いしてもいいですか?」

「はい。少々お待ちくださいね」


 いそいそとキッチンへと向かっていく彼女だったが、俺にはどこか無理をしているように見えた。

 どうしたものかと考えていると肩を叩かれて、


「不用意に踏み込みすぎるなよ」

「教授」

「それぞれに事情も理由もある。関わり続ける気がないならそっとしておいてやれ」


 教授もまた去っていった後、残された俺は一人呟いた。


「って、言われてもな……」


 何もしないのも落ち着かないというか、違う気がした。







「というわけで、ノワールさん。料理を教えてもらえませんか?」


 翌日の朝食時。

 夏休みの宿題もあらかた終わったということで、俺はノワールにそうお願いした。

 何が「というわけ」なのかわからなかったのか、ノワールはきょとんと目を瞬かせて、


「この間のメイド服がまだ到着していませんが……」


 全然違った。


「いえ、ノワールさんとお揃いのやつで大丈夫なので」


 むしろ、この間のメイド服は料理に使うやつじゃないだろう。口に出すとノワールは「お仕着せなのですから着なければ」と言うんだろうが。

 俺の発言を聞いたノワールは「お揃い……」と呟いて、


「すぐにご用意しますねっ」

「の、ノワールさん! まだご飯中だから!」

「あ……そうでした。申し訳ありません……!」


 普段ならやりそうにない(と思いたい)ミスをした。

 朱華が慌てて止めたので事なきを得たが、あのままだったら朝食中に俺をメイド服に着せ替え、更には料理の練習が始まるというよくわからないイベントになるところだった。

 やっぱり少し、昨日のことを気にしているのかもしれない。

 少しは気が紛れるといいが……と思っていると、教授が意味ありげに俺を見て、


「このお節介焼きめ」

「……いけませんか?」

「いや。好きにするが良い。我々はついつい個人主義になってしまうからな。なんなら、お節介ついでにチームリーダーを代わってくれても良いぞ」

「それは遠慮しておきます」


 リーダーと言われても何をしたらいいのかわからない。俺にできるのはせいぜい救護班だ。

 教授がくくっと笑うと「残念だ」と言った。






 料理の練習は午前十時半から開始されることになった。

 五分前にリビングへ行くと、いかにも楽しそうな鼻歌が聞こえてきた。

 ノワールがキッチンであれこれと準備をしている。


「あ、アリスさま。もう少々お待ちくださいねっ」

「はい、待ってます」


 時間は沢山あるので急がない。

 むしろ先に着替えてきてもいいのだが、なんとなくノワールが拗ねそうな気がする。ソファにでも座っていようかと足を向けると、朱華とシルビアが揃ってニヤニヤしていた。

 いつもの野次馬根性だろう。


「宿題は終わったんですか?」

「終わってるわけないでしょう失礼な」

「私、締め切りギリギリにならないとエンジンかからない体質なんだよー」

「駄目じゃないですか」


 助けを求められても手伝わないと心に決めつつ、二人から逃げるのも微妙な気がしてそのまま腰掛ける。何故か二人の間が空いていたのでそこに、だ。

 すると自然、ニヤニヤを左右から向けられるわけで。


「ノワールさん楽しそうよね」

「そうですね、良いことです」

「アリスちゃんのお陰だよねー」

「これくらいで喜んでもらえるなら、シルビアさん達がお手伝いすればいいじゃないですか」

「あー、まあ、わかってはいるんだけど……」

「なかなかやる気が起きるかというとねー」


 遠い目をする二人。こういうところはなんとも筋金入りである。

 面倒臭いというのももちろんだが、下手にやるとノワールの邪魔にならないか、というのもあるのだろう。お願いすると笑顔で聞いてくれるので、ついついなんでもお願いしそうになってしまう人なのだ。

 それでもお願いしたのが俺で、しなかったのが教授や朱華達。

 間違っているのは俺の方なのかもしれないが、それでもじっとしていられなかった。かといってマンガみたいに「ノワールさんの考えてること全然わからないよ!」とかやるのも恥ずかしすぎるので、せめて日常生活でリフレッシュしてもらおうという作戦だ。


 俺の頬を無駄につんつんしながら、朱華がさっきとは違う優しい感じで笑って、


「ま、ノワールさんにはアリスみたいな妹キャラが必要だったんじゃない?」

「元男ですけどね」

「元でしょ?」


 うん、もう「元」なんだよな。

 俺も笑って、


「ノワールさんがお姉さんなんてむしろご褒美じゃないですか」

「わかる。めっちゃ甘やかされて何から何まで世話してもらいたい」

「朱華さんって女の子もいける人なんですか?」

「女の裸見て興奮しないならエロゲに拘ってなんかいないわよ」

「……よくわかりました。ちょっと離れてください」


 ずさっと反対方向に離れようとしたら、柔らかな膨らみに肘が当たった。

 ぎゅっとシルビアに腕を取られて、


「アリスちゃん、お姉さんは何人いてもいいよね?」

「シルビアさんも離れてください!」


 っていうか俺は確定で末っ子なのではなかろうか。

 いや、教授がおばあちゃんなのか末っ子なのかによるか。難しいところだ。

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