聖女、準備する

「アリスさま。料理において最も大事なことはなんだと思いますか?」


 エプロン代わりというか、エプロンついでに着せられたお揃いのメイド服に身を包み、キッチンの一角に立った俺は一つの問いを投げかけられていた。

 答えのない問いによる弟子入り試験──なんて大袈裟なものではないだろうが。

 問われた以上は真剣に答えようと、しばし首を捻って、


「……衛生管理でしょうか?」


 美味しくても悪いものが入っていては意味がない。

 手洗いうがいは小さな子供でも教えられる基本。こういうのは基本こそが一番大事なのではないか。

 すると、俺の前に立って背筋を伸ばしたノワールは、先生役が嬉しいのか若干にこにこしながら、精一杯厳かな声で「惜しいです」と言った。

 ぴっ、と、細い指が一本立てられて、


「もちろん衛生管理も大事です。ですが、衛生管理も含め、ありとあらゆる料理の技術は一つの言葉によって言い表すことが可能なのです」

「そ、それは……?」

「それは──『料理は愛情』です」


 息を呑んで答えを待っていた俺は、申し訳ないが若干拍子抜けしてしまった。

 ソファから様子を観察しているシルビア・朱華コンビも「えー」という顔だ。


「いきなり精神論ですか」

「なにをおっしゃいますか、アリスさま」


 ぷに、と、立っていた指で頬を突かれる。

 痛みは全くない。


「貴女が何故、椎名さんとの料理勝負に勝つことができたのか──お忘れになられましたか?」

「……あ」


 はっとした。

 あの時、余計なアレンジを加えて肉じゃがを台無しにした椎名に対し、俺は必要以上に慎重に作り上げた何の変哲もない初心者の肉じゃがで勝利した。

 あれは、出来る範囲で一番美味しい物を、と考えた結果だった。

 審査員三人から満場一致で勝利判定を貰った時は凄く嬉しかった。あの経験が「もっと上達したい」というモチベーションに繋がったのは間違いない。


 食べる人の事を考えていれば、確信のないアレンジなんてするわけがない。

 衛生管理は当然。

 もっと美味しい物を、と思う気持ちがあれば練習も捗るだろう。


「ですから、アリスさまはもう、料理に一番大事なことを知っていらっしゃいます。あの時の気持ちを忘れずに励んでいきましょうね」

「はい、ノワールさん」

「いい返事です。では、まずは包丁の使い方から学んでいきましょうか」


 後で朱華は「上手く丸め込まれたんじゃない?」と言っていたが、俺はノワールの教えに感銘を受けた。

 シルビアも「アリスちゃんは真面目すぎるよー」と言っていたが、一番重要なのは、教えを授けるノワールも大真面目だということだ。

 鰯の頭も信心から。

 信じる者は救われるとも言う。俺も案外、聖職者であるアリシアと同様、信心深い人間だったりするのかもしれない。


 料理のレッスンは食材を切るところから始まった。


「アリスさま。猫の手です、猫の手」

「こ、こうですか?」

「そうです。後は『にゃー』と言っていただければ」

「……ノワールさん。さすがに引っかかりませんからね?」


 さすがに、俺が笑顔で『にゃー♪』とか言う日は死ぬまで来ないと思う。


「切った食材は後でお昼ご飯に使いますからね」

「はい」

「アリス、死ぬ気でやりなさい」

「毒入れちゃ駄目だよ?」

「食材切るだけで変なことできたら才能ですからね」


 とはいえ、単に「具材を切る」と言っても奥が深い。

 千切り、乱切り、銀杏切り、小口切り等々、切り方の種類だけでも数多く存在する。料理本などではそれらを当たり前のように指示されるらしいので、憶えておかないと一々ググる羽目になる。

 同じ大きさで切る、という作業もやってみると中々難しいもので、慣れが必要だとわかった。サイズを均等に揃えないと火の通り方にムラができるというのだから「ちょっとくらいいいじゃん」というわけにもいかない。


「もちろん、家庭料理ではそこまでうるさく言う必要もないのですが。むしろ、食べる方の好みに合わせる方が重要かもしれません」

「ああ、朱華さんは辛党とか、シルビアさんは甘口好きとかですね」

「……意外とよく見てるわねあんた」

「アリスちゃんはデザート食べてる時が一番幸せそうだよねー」


 麻婆豆腐やエビチリを好み、ピザを食べる時もタバスコは欠かせないと来れば一目でわかると思うが。

 あとシルビアは余計なことを言わないで欲しい。


「では、今日はここまでにしましょうか」

「はい」


 集中して作業していたら一時間以上があっという間に過ぎていた。

 もっとやりたいくらいだったが、昼食の時間も迫っているし、材料ばっかり大量に切っても仕方ない。食べ物を粗末にするのも勿体ないので、料理の練習は成果物の処理方法がなかなか難しいところなのである。

 実家がレストランである芽愛に「専門家はどうしているのか」と尋ねると「食べるよー」とのこと。

 あらかじめ失敗してもいいように少量ずつ作ったりもするが、納得いくまで止まらなくなって結局大量に食べてしまう、なんていうこともよくあるらしい。余裕があればあらかじめ「食べてもらう人」を呼んだりもするが、基本的には自分や家族で処理するとのこと。

 料理人に太ってる人が多かったりするのはそういう理由があるんだろう。


「ありがとうございます、ノワールさん。また時間のある時にお願いします」

「もちろんです。では、また明日やりましょうか?」


 いえ、あの、毎日は若干ハードな気もするんですが……って、ノワールは毎日三食作ってるんだよな。あらためて頭の下がる思いである。







「……うーん」

「ねえ、アリス。今度は何してるのよ?」


 スマホの画面を睨んで呻っていたら側面から呼びかけられた。

 アイスを口に咥えた赤髪の少女は挨拶もなく、ベッドに腰掛けた俺の隣に座って画面を覗き込んでいる。

 何か面白いものを見ているとでも思っていたのか、表示されている内容を確認すると拍子抜けしたような顔になった。


「なんだ。ゲームの攻略サイトか」

「はい。あのゲームのデータです」


 俺がアリシアを作り出したSRPG。


「どうしてまたそんなもの?」

「私に何ができるのか、もう一度確認しようと思いまして」

「ああ、あの人形の件?」

「はい」


 そのうち再戦になるのはほぼ確実。

 何が戦いの助けになる魔法がないかと、ゲーム内の魔法リストを見返してみていたのだ。


「それで、何か収穫は?」

「微妙ですね。そもそも私は聖職者なので、硬くて強い敵って苦手なんですよ」


 HPが低い敵──あの雑魚人形みたいな相手なら魔法で吹き飛ばせるが、ノワールのデータを持つあのシュヴァルツは相当しぶといはず。

 そうでなくとも、単発の攻撃魔法くらいは軽くかわしてしまうだろう。

 かといって、相手は飛び道具を用意しているだろうから、後ろで待機して回復魔法を、というのも相当危ない。

 となると味方の性能を上げる系の魔法くらいしかないが、


「武器を聖別する魔法と聖なる守護を与える魔法、後は運が良くなる魔法──以上、なんですよね」

「クリティカルしたら防御無視になったりしない?」

「現実世界にはそんなシステムはありません」


 まあ、防御の薄い場所は弱点、急所に当たった事を表現しての防御無視なんだろうが。

 そう考えると運が良くなった分、クリーンヒットが増える可能性はあるか。

 目に見えない効果過ぎて過信する気になれないが。


「不死鳥にぶちかました奴──は駄目か」

「はい。公園内じゃ障害物が多すぎますし、射線に味方がいない状況というのが……」


 十中八九、魔法を発動させる前に向こうがパァン! と撃ってくるだろう。

 俺に「弾道を見切る」なんてテクニックはないので普通に当たる。即死はしないと思いたいが、治療する暇があるかどうか。

 すると朱華も「うーん」と呻り、ベッドに身を投げ出して、


「あたしの力も多分、効きが悪いのよね」

「人体発火は?」

「そいつ人体じゃないんでしょ?」

「あー……」


 人の身体と機械の身体ではアクセスの仕方に差があるのだろう。

 オイル的なものでも使っていてくれればむしろ燃え易そうではあるが、熱暴走対策の冷却装置とか今日びPCにも搭載されている。


「シルビアさんは強化系の超強力なポーション作るって言ってたわね」

「ヤバい薬ですよねそれ」


 とあるゲームの強化系ポーションは「速度」「覚醒」「狂気」と上位ほど枕詞が危険になるが、まさにそんな感じである。


「後遺症はアリスが癒やせばいいじゃない」

「失われた寿命までは戻りませんからね?」

「でも、そういう相手なら前衛を超強化するのが安定じゃない?」

「前衛……ということはノワールさんですか」


 俺が考えていた事も実は大差ない。

 シュヴァルツに正面から対抗できるのがノワールなのは間違いない。ならば彼女を強化できれば、というのが魔法をあたった切っ掛けだ。

 原作──というか、ノワールの記憶にある未来では勝利しているみたいだったから、勝てはすると思うのだが。

 そういう敵との戦いってえてして紙一重というか、百回やったら一回しか勝てないんじゃ? っていうようなケースが多い。

 多少支援した程度でそれを必勝に持っていけるのか。


「重騎士みたいな仲間がいればそいつに任せるんだけどなあ」

「現実にはノーダメージなんてそうそうないですし、逆に命中率0パーセントはありえるんですよね……」


 当たらなければどうということはない、はある意味真理である。


「まあ、私、ゲームにない魔法も使えたりするので、何かないかもう少し探ってみます」

「無理するんじゃないわよ」

「しませんよ、そんなこと」


 切迫詰まった問題ではないのだから、なんなら三年くらい寝かせておいてもいいのだ。






 なんだかんだ言っているうちに夏休みも残り少なくなってきた。

 高原でのお泊り会はもうすぐである。

 今回は最初から二泊三日とわかっているので、準備も念入りにしなければならない。


 まずは服と下着。

 三日間なので三着プラスアルファは必須。テニスをすると言っていたし、汗をかくことも予想できるので下着は倍くらいあってもいいくらいだ。

 そういえば、テニスする時は何を着ればいいのだろうか。

 学校の体操着か、それともトレーニング用のウェアを持っていこうか。

 みんなはどうするのかとグループチャットで聞いてみると、今回のホストである芽愛と、お嬢様である鈴香はウェアを持っているとのこと。


『アリスさん達の分は私がお貸しします』


 と、テニスには慣れているらしい鈴香が言ってくれたのでお言葉に甘える事にする。


『可愛いのをご用意しますねっ』


 と、猫が張り切っているスタンプが送られて来たのが頼もしいような心配なような。

 鈴香のセンスなら変なことにはならないと思うが……テニスウェアってそもそもスカート短いのが定番な気がする。

 俺の偏見ならいいが、朱華に聞いたら「テニスサークルなんて飲みサーの次に危険よ」ということだったので、念の為、見られてもいいアンダーウェアは持っていく事にした。


 後は生理用品に、シャンプーやリンスを小分けにしたもの。ハンドケア用のクリームや洗顔フォーム、日焼け止めなんかも持って行かないといけない。

 この手のケアって面倒だけど、慣れたら慣れたでしないと落ち着かないのである。


「というか、荷物が多いです」


 持てないとかそういう事はないが、たった三日の分量とは思えない。

 男だった頃の俺よりも身長は縮んでいるのに品数、ボリューム共に増えているのはどうしたことか。

 と、荷造りを手伝ってくれていたノワールは微笑んで、


「女の子はどうしても荷物が多くなりますからね」

「いえ、その、わかってはいたんですけど……ここまでかあ、と」

「そうですよ、アリスさま。男性だった頃、やっかみを口にした事がおありでしたら悔い改めた方がよろしいかと」

「悔い改めます」


 家族旅行に行った際、父と「女は準備がおそいよな」とか「なんでそんなに荷物多いんだよ」とか言って妹に烈火のごとく怒られた記憶がある。

 あいつは今の俺と同い年なので、当時はまだ子供だったはずなのだが。

(ちなみに親父は晩酌のビールを一本減らされていた)


 今になって申し訳なくなったので、妹に「ごめん」と送ったところ、勝ち誇ったような狸のスタンプと共に「旅行の写真送ってね!」と来た。

 身内に今の俺の写真を送るのは恥ずかしいのだが、安心してもらうためにも必要か。

 わかりました、とウサギが言っているスタンプを、俺は妹に送った。

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