聖女、料理勝負をする
「昨日は大変失礼致しました」
突然の押しかけ弟子入り志願から一夜明けた今日、再びやってきたスーツ姿の女性ハッカーは、リビングに通されるとまず菓子折りを差し出して頭を下げた。
向かいに座った俺とノワールは揃って顔を見合わせる。
一日間を置いて落ち着いたのか、昨日よりは理性的だ。正直「弟子にしてくれないなら死にます!」みたいな展開も覚悟していたのだが。
ちなみに、リビングには俺達だけだが、廊下から朱華とシルビア、教授がこっそり(?)覗いている。
昨日のやり取りは朱華にも聞こえていた(シルビアは熟睡していた)らしく、女性が帰ってから「何の話だったのか?」と尋ねられた。
そこからシルビアと教授も興味を持ち、こうなった。
同席していないのは話をややこしくしないため、関わってしまった俺以外は……とノワールが希望したからだ。
「アポイントもなしに押しかけて弟子にしてくれなどと、本当に申し訳ありません」
女性は椎名と名乗った。
深く頭を下げる彼女を、ノワールは目を細めて見つめ、きっぱりと言った。
「いえ。むしろ問題なのはハッキングです」
他者の情報を不正に手に入れることはれっきとした犯罪である。
特に俺達の場合は話が深刻。
何しろ「ある日突然創作作品のキャラクターに変身してしまった」という特大の秘密を抱えているのだ。戸籍がごく最近作られたものであること、政府関係機関から口座に金が振り込まれていること等、発見されるとまずい情報がいくらでもある。
念のため政府に問い合わせてみたところ、やはりかなりまずい状況のようで「どこまで知られたのかは必ず確認して欲しい」とのこと。
しばらく家周辺を警備させる、という申し出もあったのだが、それはひとまずやめてもらっている。できれば穏便に済ませたい。
「どのような手段で、どういった情報を手に入れたのか教えなさい」
「……ええと」
椎名は困ったように視線を動かす。
さすがに犯罪行為の詳細は話したくないのだろう。
「た、大したことはしていません」
「話しなさい」
「は、はい」
裏社会のボスだった頃はこんな感じだったのだろうか。
ノワールの有無を言わせない口調に椎名がぶるっと震える。怖かったのか。
「……ちょっとゾクゾクする」
と、思ったら口元を歪めていた。この人駄目かもしれない。
「私が姉御について調べたのは」
「姉御と呼ぶのをやめなさい」
「……ノワールお姉様について調べたのは、住所と職業だけです」
雰囲気からノワールが警察や政府の人間ではない、と判断した椎名は「近隣に住んでいるのでは」と地域の監視カメラ映像などを分析、ノワールの行動経路を割り出し、このシェアハウスを突き止めたのだそうだ。
請け負っていた仕事もネットワーク関連だったらしい。
何に使うんだろう、と思ってしまうようなグレーな仕事も多数あったと話してくれて、それについては少し同情する。
「ですから、誓って盗撮などはしていませんし、お姉様が裏の人間だとしても詳細は知りません。いえ、むしろその方が好都合──」
「黙れ」
「っ」
思わず俺までびくっとした。
ノワールの表情がどんどん冷たくなっている。人でも殺しそうな表情だ。まずい。椎名の頬が紅潮し始めている。このままでは本格的に目覚めそうだ。
俺は慌ててノワールの服を引いた。
「ノワールさん。怯えてます」
「……あ」
はっとしたノワールは俺を見て微笑みを取り戻した。
「申し訳ありません。取り乱しました」
こほん、と咳ばらいをした彼女は椎名に向き直ると「椎名さん」と落ち着いた声で呼びかける。
「お話はわかりました」
「では!」
ぱっと表情を輝かせる椎名。
驚くべきポジティブシンキングである。しかし、落ち着いたノワールは慌てず「待ってください」と告げる。
「弟子に取るとは言っていません」
「ですが、会社に出入りがあったせいで私は仕事を失ってしまいました」
「───」
いやらしいが上手い手だ。
ノワールは優しい。自業自得だと分かっていても、切実に訴えかけられると手を差し伸べてしまう人だ。我が家の駄目人間達(俺含む)に嬉々として世話を焼いているのがその証拠。
会社はこのままだと倒産。
他の勤め先を見つけようにも、前の会社がなくなった理由をなんと説明すればいいか。訥々と口にする椎名を見てため息を吐き、
「わかりました」
「っ!」
「ただし、条件があります」
そこで、ちらりと俺に視線が向けられた。
もしもう一度椎名が来たら、と、俺達は簡単な話し合いをしていた。なので何を言いたいかはわかる。こくりと頷くとノワールも頷いて、
「料理勝負をしましょう」
「は?」
「勝負と言っても、戦うのは私ではありません。ここにいるアリスさまに料理で勝てれば、あなたの弟子入りを考えます」
真剣な表情で条件を突きつけたのだった。
「でも、本当に大丈夫でしょうか」
結論から言えば、椎名は勝負を受けた。
さすがに「なんで料理勝負?」と困惑していたが、
『私の弟子になるということは、見習いメイドになるということです。料理の素養の無い者が歩んでも無駄な道でしょう』
『いえ、私は裏社会で生き抜く力が欲し──』
『もちろん、メイドにはありとあらゆる能力が必要です。困難を察知し、退ける術についてもお教えすることになります』
受けないなら帰ってくれ、と言われれば当然である。
勝算があると思ったのも事実だろう。
ノワール相手では勝ち目はないが、中学三年生の女子相手なら年季の差がある。だからこそ俺としては不安なのだが。
見上げたノワールは悠然と微笑んで、
「大丈夫です。アリスさまなら絶対に勝てます」
「……だと、いいんですけど」
勝負は今日これから行われることになった。
日をあらためるのも面倒だし、時間があればあるだけ俺はノワールの指導を受けられる。さっさと勝負した方が椎名の側に有利なのである。
その椎名には食材を買いに行ってもらった。
二人とも同じ食材を使って調理するなら文句のつけようがないだろう。
ちなみに審査員をどうするかというと、
「アリス。せめて食べられるものを作りなさいよ」
「どういう意味ですか」
「食べられない料理の数は少ない方がいいってことだよー」
「うむ。炭の試食は勘弁して欲しいからな」
楽しそうに成り行きを見守っていた三人に担当してもらう。
知り合いである俺に肩入れする可能性はあるが、ノワールの手料理を食べて舌が肥えているし、どっちかというと「アリスが負けたらそれはそれで変な奴が増えて楽しい」とか考えるタイプなので公平性の問題もない。
「私だって、食べられないほど変なものは作りませんよ」
「アリスちゃん。そう言ってる子ほど危ないんだよー?」
「自覚の無い料理下手ほど怖いものはないからな」
「いえ、普通に作れば変なものにはなりませんから……」
などと言っているうちに椎名が帰ってきた。
「買ってきました! ……ふふふ、覚悟はいい、お嬢ちゃん?」
「……私は、自分に出来ることをするだけです」
場所は我が家のキッチンを使う。
道具や調味料も家にあるものを使用だ。エプロンも二人分、どこからともなく出てきた。
いや、俺の分はエプロンだけじゃなかったけど。
「え、うわ、可愛い」
着せられたのはシックなロングのメイド服だ。
黒のロングワンピースと、ポケット多めの白いエプロンを主体とした一品。ぶっちゃけノワールが着ているもののサイズ違いである。
「大変よくお似合いです、アリスさま」
「あ、ありがとうございます」
椎名からも賛辞が送られたせいで頬が熱い。
しかし、実際良いデザインだと思う。普段ノワールが着ているので見慣れているし、露出度としては最低に近い。無駄にフリルが付いていたりミニスカートになっていたりするのもそれはそれで可愛いが、着ていて落ち着くかというとノーである。
そういうのは将来カフェでバイトする時にでも取っておきたい。生憎、今のところそんな予定はないのだが。
「では──」
ジャケットを脱いでブラウスの上からエプロンを付けた椎名。
二人がキッチンの前に立って、
「──始めてください」
ノワールの合図と同時に動きだした。
お題は、肉じゃが。
具材は豚肉に玉ねぎ、じゃがいも、ニンジン。
白滝なんかが入る場合もあるが、今回はシンプルに行くことになった。食べる側なら白滝やさやえんどうが入っているのも好きだが、作る側であれば俺としてもシンプルなのがいい。
手をしっかり洗ってから、得意げな顔の椎名と並ぶ。料理バトルマンガではないので調理行程が相手に見えていても問題はない。
まな板の上に具材を置いた俺を椎名はちらりと見て、
「外国の子に肉じゃがは厳しいんじゃないかな?」
「………」
俺はむっとした。こう見えても生まれてこのかた十六年以上日本に住んでいる、生粋の日本人である。肉じゃがなんか数えきれないほど食べている。
「和の心は知っているつもりです」
勝負は公平に行きたいので事前練習などはしていない。
あらかじめスマホで作り方を調べる、なんていうのも無しだ。もしかしたら椎名はスーパーに行く途中で調べたかもしれないが、俺はただ記憶を頼りに手を動かす。
具材を食べやすい大きさにカットし、炒めて火を通してから煮込む。調味料はしょうゆに砂糖。酒も入っていた気がする。いや、みりんだったか?
……どうだっただろう。
一度不安になりだすと全てが怪しく思えてくる。
調味料の種類が合っていても分量がよくわからない。濃くなりすぎると水を足すしかなくなるが、その流れの先はマンガでよくある「薄めて足してのループ」だ。それはできれば避けたい。
後方でじっと観察している朱華達の視線が怖い。
ノワールも口を出さずに見守ってくれているが、手伝いたくて仕方ない、といった感じではらはらしているのがわかる。
椎名は意外なほど淡々と作業している。
「……うう」
弱気になりそうな心を深呼吸して宥める。
身に纏ったメイド服が役に立ったかもしれない。とにかく落ち着いて、慎重にやっていくしかない。キーワードは「猫の手」と「具材は均等な大きさに」と「調味料は少しずつ」だ。
「っ!」
そして、お互いの調理が終了した。
「では、みなさま。判定をお願いいたします」
実食後、ノワールの指示と共に判定が行われる。
俺の肉じゃがの器と椎名の肉じゃがの器。どちらが美味しかったかを朱華達がそれぞれ指さす、というもの。ちょうど三人なので引き分けになることもない。
結果は、
「アリス」
「アリスちゃん」
「アリスだ」
「っ!」
満場一致、3-0で俺の勝利だった。
勝負が決まった瞬間、歓喜が湧き上がる。俺としては負けてもそんなに問題ない勝負。むしろ椎名のついでに料理を教えてもらってもいいんじゃ? と思ったりしなくもなかったのだが、勝つというのは案外嬉しいものらしい。
いや、違うか。
勝ったこと自体が嬉しいというよりも、俺の作ったものの方が美味しい、と言われたことが嬉しいのか。
自分の作ったものを誰かが「美味しい」と食べてくれる。なるほど、こういう感覚なのかと、俺は胸にしみ込んでいく思いを噛みしめた。
ただ、
「納得できません」
椎名が言って、自分の肉じゃがを指さす。
「私の肉じゃがの方がどう見てもいい出来じゃないですか」
確かに、俺達の肉じゃがの差は歴然だった。
俺の肉じゃがは具材がところどころ焦げているわ、水分が飛び過ぎて汁が少ないわ、じゃがいもの皮が微妙に取り切れてないわという有様。
一方の椎名の肉じゃがは具材が丸く綺麗に整えられており、艶が出ていかにも美味しそうだ。
問われた教授達は難しそうな顔で黙り込んでしまう。
「まさか、知り合いだからって贔屓してませんか?」
「やめてください」
回答がないのをいいことに言葉を続けた椎名をノワールが制止する。
彼女はそれぞれ一口、俺達の肉じゃがを食べると、ごくんと飲み込んで、
「アリスさまの肉じゃがの方が美味しいです」
「嘘!」
悲鳴を上げた椎名はノワールから箸を受け取ると味見をする。
「っ!?」
そして、がっくりと項垂れた。
なんだか勝負がついたようだが……俺も気になったので残りものを食べてみる。俺が作った肉じゃがは煮詰め過ぎて少ししょっぱい上に、なんだか一味足りない気がする。一方の椎名の肉じゃがは──口に入れた瞬間、肉じゃがとは思えない味がした。
ノワールは淡々と、
「味付けにナンプラーを加えましたね。それから、仕上げにオリーブオイル。使い方によっては美味しくすることもできる一工夫かもしれませんが……しょうゆや砂糖も含め、分量が大雑把すぎます。味の纏まりがなく、はっきり言って美味しくありません」
濃くなりすぎないように、とびくびくしながら少なめにした挙句、煮詰めすぎてしょっぱくなった俺に対し、椎名はアレンジを加えたうえ分量に無頓着だったらしい。
具材を丸くしたのは形を綺麗に見せるためか。
どうやら、料理初心者なのはお互い変わらなかったようだ。
「……料理なんて調理実習くらいでしかしたことないんですよ」
項垂れたまま動かない椎名をノワールは見下ろして、
「料理は真心です。少しでも美味しいものを、と努力したアリスさまに、傲ったあなたが勝てる要素などありませんでした。出直して来なさい」
「……はい」
敗北をようやく受け止めた椎名は立ち上がると、俺の元へやってきて深く頭を下げた。
「完敗でした。……失礼なことを言ったのも謝ります。ごめんなさい」
「い、いいえ。気にしてませんから」
そう答えると、彼女は晴れやかな笑顔を浮かべて「また来ます」と去っていった。
「よく頑張りましたね、アリスさま」
ノワールは俺の頭を優しく撫でてくれた。
それだけでも頑張った甲斐がある気がして、俺は思わず口元をにやけさせた。
……以来、椎名は定期的にシェアハウスを訪れては俺に料理勝負を挑んでくるようになったのだが、それはまた別の話である。
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