聖女、堕落の誘いを受ける
「ヤクザって。そんな話、エロゲとかでしか聞きませんよ」
「いや、エロゲでもそうそう……ごめん、ちょくちょくあるわ」
朱華によれば、事の発端は昨日の夕方頃──ちょうど俺がお泊まりの電話を入れた後くらいだったらしい。
政府から教授宛に連絡が入り、シェアハウスのメンバーへ特殊な協力依頼があった。
バイト以外の仕事はかなりレアだが、これまでにも何度かあったらしい。
「私、聞いてないんですけど」
「お泊まりの邪魔しちゃ悪いし、戻ってこさせるにしても時間かかるじゃない。それに、全員が出張るような話でもなかったのよ」
その依頼内容というのが、裏社会の組織──いわゆるヤクザ、マフィア、暴力団、シンジケート的なものの調査だった。
最近、この街近郊の「そういう奴ら」が活動を活発にしており、何かをやらかす可能性が高い、という情報を掴んだらしい。
「えっと……警察の仕事ですよね?」
「そうだけど、あたし達とも無関係じゃないのよ」
「? というと?」
「不死鳥、倒したじゃない?」
ボスモンスターを倒したことで悪い気が払われ、この地域に良い影響をもたらした。
治安も回復した。
裏の人間にとっては逆にピンチだ。資金繰りが思わしくなくなったり、構成員が足を洗ったりして立ちゆきが困難になったのかもしれない。
そこで、なんとか力を取り戻そうと大きな仕事に打って出た。
「……あー」
俺は苦笑した。
それは確かに断りづらい。
「だから、ノワールさんが行ったの」
調査や潜入工作ならノワールが一番向いている。
俺やシルビアや教授だと容姿が目立ちすぎるし、いざという時の迅速な行動に難がある。見つかったから魔法で解決、というわけにもいかないだろうし。
朱華の昼食がカップ麺だったのは、急いでいて作り置きができなかったからか。
「朱華さんは割と向いてそうですけど」
「あたしの超能力はパイロキネシスよ。燃やしたらまずいじゃない」
「確かに」
「それに、あたしってそういう場面で捕まるジンクスあるし」
朱華というか、原作における朱華の話だろう。
鬼畜系のジャンルである以上、気の強いヒロインは悪い奴に捕まってひどいことをされるのがお約束。これが純愛ものならバッドエンド以外はヒーローが助けに来てギリギリ助かるだろうが。
なんとも言えない気分になって俺は虚空を見つめた。
「ノワールさんはいつ頃から帰って来てないんですか?」
「昨日の夕方からよ。今のところ連絡もなし」
「それ、大変じゃないですか!」
何かあったのかもしれない。
相手が相手だけに最悪の想定もしないといけない。ノワールなら大丈夫だとは思うが、荒事の場というのは何が起こるかわからないものだ。
跳ねるように立ち上がった俺を朱華が声で制止した。
「落ち着きなさい。むしろ、何かあったなら連絡してくるはずでしょ。国だか警察だかと連携して動いてるはずだし」
「……あ」
事件が起これば報道だってされるはずだ。
あのノワールが連絡をくれないというのは引っかかるが、スマホの着信音のせいで敵に見つかる、なんてシチュエーションも潜入話ではよく見る。隠密行動のために電源自体を切っているのかもしれない。そのあたりを考えると朱華達から連絡するのも躊躇われたそうだ。
朱華は軽く息を吐くと笑顔を作って、
「とりあえず、もう少し待ちましょ。あのノワールさんがヘマするわけないし」
「はい。でも、ノワールさんってそんなに凄いんですか? 銃を使ってる時点で只者じゃないとは思ってましたけど」
「ああ、あんたその辺全然知らないんだっけ。この際だから原作読みなさいよ」
お茶を飲み終え、饅頭を五個も平らげた朱華はいそいそとリビングを出ていく。
置きっぱなしになった湯呑みを片付けながら、俺はやれやれと息を吐いた。
「結局、ヤクザの女なんてただの冗談じゃないですか」
ノワールなら怪我したり捕まったりはしない。
なら、逆に敵方と恋に落ちて背徳的展開に突入したに違いない、みたいな下世話すぎる推理(?)だろう。
でも、本当にそうならなくて良かった。
ノワールのオリジナルが登場するのは、近未来の積層都市を舞台にした男性向けのラブコメマンガだ。
主人公は若くして両親を亡くした少年。
裕福な家柄ではあったものの、遺産を節約するために使用人を解雇。一人暮らしを始めた彼の元には、様々な事情を抱えた美女、美少女達が集まってくる──というストーリーだ。
メイドのノワールはヒロインのうちの一人。
主人公が使用人を解雇した後、新たに「雇って欲しい」とやってきた謎のメイドで、容姿端麗、家事万能、しつこいナンパ男も自分でのしてしまうパーフェクトレディ。
そしてその正体は、
「お腹空いたよー」
リビングのソファでマンガを読んでいると、シルビアがゾンビのような声(ただし可愛いゾンビだ)で現れた。
「ごーはーんー……」
「そこに饅頭があるわよ」
「やった」
歓声を上げて饅頭の箱に飛びついた。
あるだけ食いつくしてしまいそうなノリである。二箱買ってきてよかった。もう一箱は教授とノワールのために隠してある。
「じゃあお茶を淹れますね」
「頼んだ」
久しぶりに読み返したら夢中になったのか、朱華はマンガから顔を上げないので、三人分の緑茶を淹れてそれぞれのところへ置いた。
さすがに茶ぐらいなら俺も淹れられる。
本当に淹れられるだけなので、啜ると熱すぎる上になんだか渋かった。
「……やっぱり、ノワールさんに教わった方がいいですね」
「なに? お茶の淹れ方?」
朱華が顔を上げて尋ねてくる。そこは気になるのか。
「それもありますけど、どっちかというと料理を」
「みんなでなんか作って目覚めたとか?」
「え? アリスちゃん、まさかバーベキュー? お姉さん、抜け駆けは良くないと思うなあ」
「いえ、カレーです」
前もって計画されていたお泊まりならバーベキューになっていたかもしれないが。
それとも、森林浴の方でやる予定だから見送ったとかだろうか。海のバーベキューも定番だが、キャンプでやるのも定番だから、高原とかでも大丈夫だろう。
「その、みんな料理ができるので疎外感を覚えまして……」
「なるほどねー」
「気にしなくていいと思うけど」
うんうん頷くシルビアと、興味なさそうな朱華。
別に女子全員ができるわけじゃない、ってことだと思うが、そう言う朱華だってやればできる人間だ。単に面倒だからやらないだけで。
それに、男子に比べると料理できる率は高いだろう。
ちなみに、元の俺の周りにいた連中はほぼできなかった。できるのは趣味として凝ったもの作ってる奴と、両親が共働きだからやらざるをえなかった奴だけだ。
「私だって、きっちり覚えたいわけじゃないですよ。でも、簡単な料理くらいできた方が、その、楽しそうじゃないですか」
「……へー。ふーん。なるほどねー」
「なんですか」
なんかニヤニヤしてるのがイラっとする。
放っておくと「可愛いじゃない」とか言い出しそうなので、頬を突っついてやろうと指を突き出す。しかし、まるで予期していたかのように避けられた。
くっ。女子相手だからって手加減しようとしたのが仇になったか。最初から頬を引っ張ってやるつもりで飛びかかればよかったかもしれない。
とりあえず会話は中断したので良しとして朱華を睨み、
「私はいいと思うよー」
「シルビアさんはわかってくれますか?」
「うん。こういう時にもう一人、料理できる子がいれば、ひもじい思いしなくていいし」
ひどい理由だった。
「シルビアさんは料理、できないんですか?」
「調合のレシピならいっぱい知ってるよー」
なるほど。
下手に覚えるとごっちゃになるか。多分、食材を切るのとかは得意なんだろう。
ソファで寛ぐ朱華は、テーブルで饅頭をぱくつくシルビアを振り返って、
「でも、料理できるのがいると寿司もピザも鰻も食べられないわよ?」
「そんな……。アリスちゃん、料理は危険だからやらない方がいいんじゃないかな」
敵の甘言によって味方が寝返った。
「そんなものばっかり食べてたらそれこそ太るし健康に良くないじゃないですか!」
「……これは、今のうちに食べておいた方がいいかしら」
「そうだねー。とりあえずおやつにピザ頼もうか」
既に十五時を回っているのだが、そのおやつは夕飯に響かないやつだろうか。
「ほーらアリス。チーズとろとろで美味しいわよー?」
「夏のおススメ、シーフードクワトロだから海の幸もいっぱいだよー?」
「そ、そんな誘惑には屈しませんからね!」
「……何をやってるんだお前達は」
午後十六時前。
大学から帰ってきた教授がソファに鞄を放り投げながら怪訝そうな表情を浮かべた。
俺達はというと、テーブルの方でシーフードクワトロ(Lサイズ)を囲んでいる。何故Lサイズを頼んだのか小一時間問い詰めたいところだが、朱華とシルビアが差し出してくるピザの誘惑から逃れる方が先だ。
饅頭を一個だけ食べたものの、昼に食べたものはそろそろ消化された頃合い。美味しそうな匂いの誘惑に腹の虫が鳴るのを抑えられない。
「おやつにピザ食べてるんだよ」
「せっかく頼むなら美味しそうなのがいいじゃない」
「こんな時間にピザなんか食べたら夕飯が大変じゃないですか」
教授ならシルビア達を一喝してくれるに違いない、と期待を込めて視線を送れば、
「なるほどな。とりあえずシルビア、吾輩にも一枚寄越せ」
「さすが教授、話がわかるー」
駄目だった。
小さい身体ながら食欲は人一倍な大学教授は、クリーミーなカニのピザをもぐもぐしながら俺を見て、
「アリスよ。一枚くらいなら平気なのではないか?」
「そうそう。我慢のしすぎも身体に毒よ」
「幸せはみんなで共有しないと」
「……うう」
もはや俺も我慢の限界である。
本音を言ってしまえば、俺だって元は健全な男子高校生。ハンバーガーも牛丼も焼きそばパンも、もちろんピザだって食べたいに決まっている。
教授の言う通り、一枚くらいなら大丈夫なはずだ。
脳内で天使と悪魔が戦っている光景を思い浮かべながら、俺はおずおずと口を開いて、
「じゃ、じゃあ、そのチーズたっぷりのピザを……」
「ただいま戻りました」
我が家のメイドさん、ノワールが戻ってきたのはそんな時だった。
「ノワールさん!」
チーズのピザに後ろ髪を引かれつつも、俺は立ち上がるとノワールを出迎える。
帰ってきたノワールは見たところ怪我もなく、元気そうだった。着ているのはメイド服ではなく、黒ベースのパンツスーツ。夏用の薄手タイプのようで、中のワイシャツは明度の低いグレー。どこか窮屈そうにネクタイを緩める姿がなんだか格好いい。
それでも、俺を認めて浮かべた微笑みはいつも通りで、
「アリスさま。おかえりなさいませ。海は楽しかったですか?」
「はい、楽しかったです。ノワールさんこそ、お疲れ様でした」
「ああ。いえ、幸い無事に終わりましたので」
おおよその事情は把握済みだと察したのだろう、短く答えて安心させてくれる。
それから、彼女は後ろにいる三人へと視線を向けて、
「……教授さま。シルビアさま。朱華さま。並んでお座りください」
「え」
「あの」
「その、だな」
「お座りください」
「はい」
ピザを食べていた三人を揃って座らせたノワールによるお説教が始まった。
いや、お説教というのも違うのだろうか。
「わたしも、メイドとしてできる限り努めているつもりです。お食事もみなさんが満足するものをご用意しているつもりでしたが……やはり、まだまだですね」
悲しそうに言って、こういう時のために常備菜を用意したり料理を冷凍しておけばよかったとか、ジャンクフードを食べたい気分にさせてしまう時点で精進が足りない、と自分を責めたのだ。
これが作戦というよりもノワールの素なのがわかるので余計に辛い。
あと一分遅かったら俺もあの場に加わっていたと思うと、しゅんとした教授達に同情めいたものを感じてしまう。
しばらく続きそうなお説教を見るに見かねて、
「あ、あの、ノワールさん」
「ぐすっ……はい。どうしました、アリスさま?」
振り返ったノワールは目じりを拭いながらも穏やかな表情を浮かべて首を傾げてくれる。
朱華と(シルビアor教授)が「なんとかしてくれ」と目で訴えてくる。
「あの、私、今度料理の基礎を教えて欲しいんです。お願いできますか?」
人一倍女子力が高く、他人のお世話をするのが大好きで、他人の女子力を高めるのも好きな彼女なら、きっと喜んでくれると思った。
それでも言うのは勇気が必要だったが、効果は覿面で、
「アリスさま!」
「わっ!?」
気づくと、柔らかなノワールの身体に思い切り抱きしめられていた。
「もちろんご指導させていただきます。いつでも仰ってくださいませ。アリスさまに使っていただくためのメイド服……いえ、衣装もきちんとご用意しておきますので」
「あ、ありがとうございます。でも、その、エプロンだけで十分ですから」
感極まった様子のノワール。
どうやら少し効きすぎてしまったようで、彼女は鼻歌を漏らしながらメイド服へ着替えに自分の部屋へと向かっていった。
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