聖女、研究対象にされる

「わ、私はやっぱり一人で──」

「もー、観念しなよアリスちゃん。絶対楽しいから」


 芽愛に手を引っぱられて脱衣所まで連行された。

 これからお風呂だし暑いからと当然のように薄着である。これは合流した二人も同じだ。はしゃいでいる芽愛に苦笑しながらついてきている。

 唯一の大人である理緒さんも一緒だ。


「……うう」


 ピンチである。

 女子アリシアとして生きると決めた俺だが、できればゆっくりじっくり慣れていきたい。いきなり風呂とかハードルが高すぎる。

 というか、元とはいえ男の俺と一緒に入る芽愛達の貞操が危ないのでは。

 顔を真っ赤にしながらどうしたものか考えていると、理緒さんが何かに気づいたように耳打ちしてきた。


「あの、アリス様? ……もしかして、何か知られたくないことがおありなのでは?」


 ノワールといいこの人といい、できる女性というのは本当に凄いと思う。


「持病ですとか、手術の痕。隠されたいのであればご協力いたしますが」

「い、いえ、大丈夫です」


 しかし、俺は首を振って辞退した。

 元男なのは確かに秘密だが、言ってもどうにならない。服を脱いだからバレるものでもない。恥ずかしいからって理緒さんを利用するのは良くないだろう。


「ただ、その。恥ずかしかっただけで。……でも、覚悟を決めます」


 ある意味、不死鳥戦よりも覚悟を決めて拳を握ると、理緒さんは微笑んで頷いてくれる。


「かしこまりました。では、私も全力でお世話させて頂きます」

「……え?」


 プロフェッショナルを思わせる輝きが一瞬、瞳に宿った。

 なんだ。なにか目覚めさせてはいけないものに触れてしまったのか。

 俺達の会話を拾おうとするわけでもなく泰然としていた鈴香がくすくすと笑って、


「理緒は髪を洗うのも上手いんですよ。私もよく洗ってもらっているんです」

「お嬢様は最近『私ももうすぐ高校生なんだから』と遠慮なさるので、今日は皆様の髪をお世話させてください」

「いえ、あの、私も恥ずかしいんですけど……」

「気になさる必要はございません。お世話されるのに年齢なんて関係ないのですよ」


 理緒さんはなんだかうきうきしている。

 女の子の髪を触るのが好きなのかもしれない。気持ちは正直わからなくもない。男の髪なんて見てもサッカー部へ抱いていた対抗意識しか湧かないが、女の子の髪は長さもデザインも多いし、さらさらで良い匂いがするから見ているだけで楽しい。

 と、今度は鈴香が寄ってきて、


「アリスさん。実は、私も自分の身体には少しコンプレックスがあるんです。お友達にだけは特別にお教えしますね?」


 囁くようにして俺を勇気づけてくれた。

 見せてもらった「コンプレックス」というのは「背中に小さなほくろがある」というなんとも可愛らしいものだったが、そのくらいむしろチャームポイントなのでは、という言葉はギリギリのところで呑み込んだ。








「……ふう」


 苦しいくらいに詰め込まれたお腹を押さえてソファで一息。


 脱衣所で下着の話に花を咲かせたり、俺の白い肌にみんなが歓声を上げたり、むだ毛の処理方法で盛り上がったり、さすがにいっぺんには浸かれそうにない湯舟に敢えてチャレンジしてきゃあきゃあ言ったり、なんだかんだ楽しんだ後は料理、そして食事になった。

 夕食の献立はカレーとサラダ、コンソメスープというまさに定番。

 理緒さんと芽愛による指導のもとみんなでわいわいと調理。まあ、その二人が味にこだわったお陰で、俺は野菜の皮むきに専念させてもらったのだが。


 ちなみに料理の腕前は理緒さん、僅差で芽愛の順。鈴香も無難にこなしており、最後の一人も食材を切るくらいは問題なくできる子だったため、俺の腕前は見事最下位だった。

 出来上がったカレーは美味しかった。

 自家製といっても隠し味や調理のコツが効いており、俺が身ごとこそげ落としたせいで若干いびつになったじゃがいももまた独特の味わいを醸し出していた……と思う。


 デザートには理緒さんが買って来てくれたプリンをいただき、片付けは「さすがにそれはお任せください」と主張する理緒さんにお願いした。

 芽愛は自主的に手伝っているが、彼女は理緒さんにとっても特別らしい。料理上手同士の連帯意識みたいなものがあるのだろう。

 鈴香は「普段、こういう場は見られないので」と興味深げに洗い物を観察中。やっぱりお嬢様なんだなあ、としみじみ頷き、


「アリスさん、アリスさん」

安芸あきさん」


 残る一人に、俺はくいくいと袖を引かれた。

 艶やかな黒のストレートロング。古き良き大和撫子といった雰囲気をした大人しそうな少女が、グループ最後の一人である。

 名前は安芸縫子ほうこ

 イメージぴったりの和っぽい名前だと思うのだが、本人はあまり気に入っていないようで、苗字を「秋」のイントネーションで呼んで欲しい、と言われている。


 見た目通り、どちらかというと饒舌な方ではないのだが、


「アリスさんの身体、もう少し見せてください」


 どういうわけか、少女の瞳には星が輝いていた。


「は、はい」


 まあ、見せるくらいなら……と、されるがままになると、縫子は俺の腕を取ってしげしげと眺めたり、ぷにぷにと押してみたりし始めた。

 くすぐったいが、決していやらしい触り方ではない。

 どちらかというと何か研究されているような感じだ。


「安芸さんは裁縫が好きなんですよね?」

「はい。大好きです」


 小さく微笑んで答える縫子。

 彼女の家系からは芸術肌の人間が多く輩出されているらしく、縫子は裁縫が趣味。お兄さんは画家兼イラストレーターで、お姉さんはまだ学生ながら芸能活動をしているのだとか。

 縫子は裁縫全般に興味があるようで、日々色々なものを作っているという。

 例えば編み物とか、刺繍とか、服とか、


「下着とか、ですね」

「っ」


 女子の下着って、連想しただけでやましい気がするのはなぜだろうか。

 ともあれ。

 そういえば、脱衣所で下着の話題を振ったのも縫子だったか。


「下着って、作れるものなんですか?」

「作れますよ。高級なハンドメイドブランドもあります」

「へえ……」

「私が作れるのは、まだまだ簡単なものですが」


 研究には余念がないようだ。

 服や下着を作りたいと思ったら、それを着る人間のことを知るのも大切になる。

 身体や肌のことを知っていないと適切なデザインや素材選びができないからだ。


「なので、アリスさんには興味があったんです」

「え」

「白人系の子なんて同世代にはなかなかいないので」


 俺は格好のサンプルというわけである。

 夏休みのレジャーとして子供向けのエステサロンを提案してくれたのも縫子だ。家柄的に美への関心も高いので、美容関係にも伝手があるのだとか。

 肌を観察し、触れる縫子は真剣だし丁寧だ。

 いかがわしいことを考えているようには微塵も見えない。いや、同性に変なことしようとする女子中学生とか普通そんなにいないだろうが。


「……みなさん、凄いですね」


 鈴香も芽愛も縫子も、それぞれに個性と長所を持っている。


「ただ好きなだけですよ」

「それが凄いんです」


 首を傾げる縫子に俺はそう言った。

 好きでも、それをどこまでも突き詰められる人はそういない。研究し、練習し続けられるのは立派な才能だ。

 しかも、三人とも学校の成績もきちんと保っている。

 そして遊ぶ時は遊ぶ。海ではしゃいでいた彼女達はどこまでも等身大の女の子で、ついこの間女子を始めたばかりの俺にはあまりにも眩しい。


「……そうですね」

「ひゃっ」


 縫子は俺の足や首筋に人差し指を滑らせながら何かを思案していた。

 ものすごくくすぐったかったんだが、今のは必要あったのか?


「アリスさんも何かチャレンジしてみればいいと思います」

「はい。私も、最初から裁縫が得意だったわけじゃありません。芽愛も同じだと思います。ですから」

「……そうですね」


 俺はこくりと頷いた。

 縫子達だって自分の好きな物を探して今の趣味を見つけたのだ。羨ましがってないで、俺もこれから探していけばいい。

 幸い、時間はまだたっぷりあるのだから。









「戻りましたー」


 シェアハウスに帰り着いたのは翌日の昼過ぎだった。


 昨日は夕食の後、わいわいお喋りをしたり、何故か怖い話大会が始まったり(前に読んだ時代小説から引っ張ってきたら「本格的すぎる!」と抗議された)した後で就寝となり、翌朝、今日は残ったカレーやトーストで簡単に朝食をとってからコテージを出た。

 土産物探しをして、戻ってくる途中みんなで昼食をして、近くで下ろしてもらった。

 また、と、手を振って別れるのがこそばゆくも「次もあるんだ」とどこか嬉しい気持ちになった。


「ああ、アリス。やっと帰ってきたわね」


 玄関で靴を脱いで揃えていると、朱華がやってきて出迎えてくれる。

 ノワールが出てこないのは珍しいが──それより朱華の格好がひどい。ピンクのショーツと赤いキャミソール、以上。

 髪も乱れているあたり昼まで寝ていたのか。

 いや、それにしてもショーツとキャミソールの色くらい合わせたらどうなのか。


「休日のOLみたいになってますよ」

「あんたそんなの見たことないでしょうが。いいのよ、どうせ女しかいないんだし」


 その思想がくたびれたOLみたいなんだが。


「襲いますよ」

「ふーん? シルビアさんに誘われても襲わなかったくせに?」

「……う」


 痛いところを突かれて目を逸らす。

 一般的に、誘惑に強いのは美徳だと思うんだが、撮影できなかったのを根に持っているんだろうか。


「と、というか、それこそシルビアさんに襲われますよ」

「あー、それは困るわね」


 言いながらリビングへ移動する。

 シルビアが襲う可能性は否定されなかったがスルーしておく。

 リビングには誰もいなかった。朱華以上に寝坊の多いシルビアはおそらく寝ているのだろう。教授は大学か。


「で、お土産は?」

「はい、ここに」


 まずは海で集めた綺麗な貝殻。

 個人ごとに買ってきたお土産は定番、小瓶に入った海の砂だ。海っぽいアクセサリーとかキーホルダーも考えたのだが、少し前にお守りを渡した手前、鞄につける系のアイテムは増やさない方がいいと思った。棚や机の隅に飾っておくだけなら場所も取らないしいいだろう。

 朱華には赤い砂を手渡して、


「あとはみなさんで食べようとお饅頭を──」

「でかした。お茶入れるわ」


 めっちゃ饅頭に食いつかれた。


「待ってください」

「何よ? あたしだってお茶くらい淹れられるわよ?」

「そういうことではなく、ただの饅頭ですよ?」


 海っぽい商品名が付けられてはいるが、ぶっちゃけどこの観光地に行っても売っていそうな普通の饅頭だ。

 この定番の味わいがまた美味いのだが、朱華は特別饅頭が好きなわけではないはずだ。和菓子洋菓子中華以前に、普段はエロゲしながらポテチ食べている奴である。

 尋ねると、朱華は意味ありげに「ふっ」と笑い、俺を座らせたままお茶を淹れた。

 饅頭なので湯呑みに緑茶である。さすが、元は日本人だけあってこの辺はわかっている。


 さっそく饅頭を一つ口に放り込み、ずずーっと茶を啜ると、朱華は深く息を吐いて、


「……いやね、お昼はカップ麺だったから甘い物が欲しくなって」

「ああ、なるほど」


 そういえばこの身体になってからは食べたことがないが、あのしょっぱさは今食べたらけっこうきついだろう。

 男と女だと塩分摂取量の基準が違うらしいし、何よりノワールの料理に慣れているのでジャンクフードの味が強烈に感じられる。

 素朴な饅頭だとしても至福の味だろう。

 って。


「いえ、待ってください」

「何よ。銘柄なら日本一有名なカップでヌードルなやつよ?」

「そうじゃないです」


 最初に違和感を覚えた時は「そういうこともあるだろう」とスルーしたが、さすがにここまで来れば黙ってはいられない。

 朱華の昼食がカップ麺だった。デザートに饅頭を食べるために自分で茶を淹れた。これがもう、おかしいとしか言いようがない。

 料理しなかったのは面倒だったからだろうし、カップ麺なのはジャンクフードが好きだからだろう。味はともかく茶くらい淹れられるに決まっているが、


「ノワールさんはどうしたんですか?」


 いつもなら真っ先に出迎えてくれて、お茶を飲むとなったら嬉しそうに用意してくれる。

 栄養バランスや献立が被らないようにまで考えて三食用意し、さらには俺のお弁当まで作ってくれる、我が家自慢のメイドさんはどこへ行ったのか。

 買い物に行ったとか、その程度の用事なら食事の支度をしてから行くはずだ。教授と朱華とシルビア、生活力の無い三人組を放置するはずがない。


 こいつらが結託したら「よし、夕飯は鰻でも取るぞ!」「わーい!」となりかねない。

 いや、俺がいても鰻が天ぷら蕎麦になる程度だろうが。


「あー……それね」


 指摘すると気まずそうに目を逸らす朱華。

 やっぱり誤魔化そうとしていたか。


「なにがあったか教えてください、朱華さん」

「……わかった。でも、驚くんじゃないわよ」


 じっと見つめて頼むと、朱華も真剣な顔で頷いて答えた。


「ノワールさんはヤクザの女になったの」

「はあ?」


 何言ってんだこいつ、と、俺は朱華をジト目で睨んだ。

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