第二章

聖女、お嬢様達と海に行く

「お疲れ様です、お嬢様」

「ありがとう、理緒りお


 緋桜ひおう 鈴香すずかは使用人の差し出したタオルを受け取ると、全身に付着した海水を丁寧に拭った。

 日差しが強いので放っておいても乾くだろうが、あまり長い時間、海水に濡れているのは良いとは言えない。また海に入るからと不精をせずきちんとケアした方が良い。

 パラソルに隠れたビーチチェアの上は涼しく、背を預ければ思わず息がこぼれた。


「どうぞ」


 すかさず冷えたドリンクが差し出される。

 ストローを通って口の中に入ってきたのは甘みと、かすかな酸っぱさ。マンゴーだ。いかにも夏らしいフルーツに頬が緩んだ。

 更に二口続けて飲み、一息ついたところで、


「晴れて良かったですね」

「ええ。……みんな楽しそうだもの」


 言いながら視線を向ければ、友人達が遊ぶ姿が見える。

 除け者にされているわけではない。軽い休憩を取るだけなのでそのまま遊んでいて欲しい、と伝えたからだ。ドリンクを飲み終わったらまた合流するつもりである。

 さっきまでは二対二でビーチバレーをしていたのだが、内容は水泳に切り替わったらしい。

 まだまだ元気らしい少女達は競うようにして海に入りバタ足を披露している。意外としっかり泳いでいるが、ここの波は穏やかだし、理緒もこっそり目を光らせているので心配はないだろう。


 むしろ──。

 白いワンピース水着に身を包んだ金髪の友人の姿に、自然と目を細めてしまう。

 一月前から親しい友人の仲間入りをした少女、アリスことアリシア・ブライトネスがどうやら一番張り切っている。海は初めてだがプールの経験はあり、泳ぎにも自信があると行きの車内で話していたが……なるほど、そのフォームは意外なほど様になっている。

 みるみるうちに距離を稼いでいく彼女の姿に感嘆していると、


「あら」


 突然バランスを崩して動きが止まった。

 理緒が一瞬立ち上がりかけるも、近くにいた他の少女がフォローに入った。アリスもすぐに復帰し、直立する姿勢で水中に浮かんだ。

 ただ、彼女の顔は「しょっぱいです」と言わんばかりに歪んでおり、可愛らしくも面白い。遠くにいる鈴香までくすくすと笑みをこぼしてしまった。

 本当に、見ていて飽きない少女である。

 二週間ほど会っていなかったが、今日は一段と可愛い。今までのアリスは戸惑いや遠慮を抱えていたのだが、それが薄くなっている。何かいいことでもあったのだろうか。


 理緒も微笑ましそうにアリス達へ視線を送って、


「随分、アリス様を気に入られたのですね」


 鈴香はその言葉に「もう」と頬を膨らませる。


「その言い方だとなんだか偉そうだわ。アリスさんとはお友達なのだから」

「申し訳ありません」


 頭を下げる理緒。

 とはいえ、十歳は歳の離れたお目付け役は鈴香も含めて「可愛いなあ」と思っているらしく、彼女の口元には笑みが浮かんでいる。

 別に、鈴香も本気で怒ったわけではなく、むしろ慣れ親しんだ相手とのじゃれ合いのつもりだったので構わないのだが、子供扱いされるのは若干不満だ。

 早く大人になりたい。


(……でも。そうね)


 権利と義務はえてしてセットでやってくる。

 高校生になれば門限は伸びるだろうし、理緒の同行なしで遊びに行ける範囲も広がるだろうが、勉強は難しくなるだろうし、習い事を増やすか部活動に入るかしなければならないだろう。

 楽しみと同時に不安なことも多い。


 そう考えると、中学生のうちにアリスと出会えたことは幸運だっただろう。


「アリスさんはまた転校したりするのかしら」

「可能性は低いのではないでしょうか」


 理緒が穏やかに答える。

 アリスは外国人──というか日本在住の「二世」が住むシェアハウスで暮らしているらしい。同じクラスの朱華もそこの住人だし、高等部のお姉さまにも住人がいる。

 住居的にもコネクション的な意味でも桜萌ほうおう学園を離れるメリットはあまりないだろう。外国にいるという親類が何かアクションを起こせば話は別かもしれないが。


「日本びいきだものね」


 アリスは日本語がぺらぺらだ。

 むしろ英語は一般的な高校生レベルに達しているかいないか、といった程度しか話せないらしく、会話中に英語が飛び出して来たりすることはない。

 一方で趣味は偏っており、剣道に興味があると言ったり滝行をしたいと言ったり、日本フリークの外国人に近いところがある。

 中学生だというのにシェアハウスを利用してまで日本にいるのだから、よほどのことでない限りは残るだろう。


 きっと、高等部でも一緒に過ごせる。


 昔からの友人である他の二人とのグループにもう一人、こんな形で加わるとは思わなかったが、既に鈴香は自身のこれからの生活イメージにアリスの姿を組み込んでいる。

 そういう意味では「お気に入り」という表現は正しい。


「理緒は不満? わたしが、アリスさんと仲良くするの」

「いいえ」


 理緒はほんの少しだけ考えるようにしてから答えた。


「良いと思います。少なくとも、今のところは」

「そう、良かった」


 少しだけほっとする。

 今日の思い出話は両親にもするつもりだが、両親──特に父は別途、理緒にも報告を求めるだろう。

 気心の知れた仲ではあるものの、理緒は家に雇われた使用人であり、鈴香に不利益があると思われる情報を隠匿することはできない。

 だから、アリスが気に入ってもらえるのはとても大事なことだった。


「アリスさんは良い子よ。とっても」

「……そうですね」


 鈴香が見ていることに気づいた友人達がこっちに手を振ってくる。

 アリスは他の二人に釣られるようにして、胸の前で小さく手を振っている。たったそれだけのことなのに、何か恥ずかしいことでもあるのか、顔は真っ赤になっていた。

 くすくす笑いながら手を振り返していると、理緒の声。


「悪い事が出来る方には全く見えません」


 鈴香もそう思う。


「ねえ、理緒。もし、はしゃぎすぎて疲れてしまったら……」

「ご安心ください。宿を仮予約済みです」

「そう、よかった」


 アリスはむしろ、悪い人間にほいほい騙されるタイプだ。だからこそ見守ってあげないといけないのである。




   ◇    ◇    ◇




「コテージまで借りられちゃうなんて凄いよね」


 突然の利用だというのに、施設は埃を被っている様子が少しもなかった。

 部屋に二つあるベッドのうち、入り口に近い方を選んだ友人の言葉に、俺は「そうですね」としみじみ頷いた。


「……いくらするんでしょう、ここ」

「うーん、どうなんだろう。でも、ホテルで三部屋取るよりは安いんじゃないかな?」


 首を傾げながら紡がれた見解は、想像を絶するというほどではないにせよ、驚くには十分な内容だった。


 ──海ではしゃぎ過ぎた俺達は、帰る前に一泊することになった。


 何しろ、日が暮れかけた時点でみんなへとへとのままシートに座り込んでいたのだ。

 少女達よりは体力のある俺も「今から電車で帰れ」と言われたら絶望するレベル。

 手荷物を持って駐車場まで歩くのさえしんどい有様だったので、リーダー格のお嬢様──鈴香が助け舟を出してくれた。

 使用人の理緒さんも主人の指示を受けてすぐに宿を手配してくれ、用意されたのがこのコテージ。


 なんでも、ビーチの会員は割引価格で利用できるらしい。


 特典は利用しないと損だし、ホテルのスイートとか手配されるよりはずっと気楽ではあるのだが、二階建ての一軒家と言って差し支えのないコテージが複数「でん!」と並んでいる様は圧巻だった。

 中もテレビやエアコン等、一通りの設備が揃っており、ベッドルームも二階に複数存在していた。

 二人部屋が複数といった感じだったので、子供は二人ずつで寝ることに。じゃんけんで分かれ方を決め、とりあえず荷物を置きに来た。


 理緒さんからは「しばらくはお寛ぎください」と言われている。

 今のうちに風呂の支度をし、近くのスーパーに食材の買い出しに行くらしい。ホテルと違いレストランが併設されているわけではないので、キッチンを使って自分達で作らないといけない。

 さすがに料理まで出来上がるのを待っているだけでは申し訳ないので、そこはみんなで手伝おう、という話になった。

 まあ、ぶっちゃけ俺に料理スキルなんてないわけだが……そこはそれ、ジャガイモの皮むきくらいならなんとかなるだろう。


「アリスちゃんは、おうちのほう大丈夫だった?」

「はい。お土産をよろしく、と言われました」


 グループチャットで済ませるのはアレかと思ったので電話で連絡した。

 かけた相手はノワールだったが、朱華達もいたらしくわいわい騒がしかった。土産を買って来い、とのたまったのは後ろの連中である。

 まあ、もともと買っていくつもりだったので何も問題はない。


「よかった。じゃあ、せっかくのお泊まりだから楽しもうね」

「はい」


 一緒の部屋になったのは、トップカースト三人組のうちの一人で──初めて中庭に誘われた際、ご両親が料理人だと言っていた子だ。

 名前は里梨さとなし芽愛めい

 明るく声を弾ませている彼女は髪をショートに纏めており、運動が好きなのかと思いきや、グループの中では一番インドア派らしい。今日の海水浴でも最後まではしゃいでいたので運動が苦手なわけではないようだが、休みの日は主に料理の練習をしているのだとか。


「里梨さんは、料理が得意なんですよね?」


 ひょっとして俺の出番はないのではなかろうか。

 思いながら尋ねると、彼女は「芽愛でいいよー」と言った。


「え」


 途端、硬直する俺。

 あっさり無理難題を言わないで欲しい。苗字呼びと名前呼びの間には深い谷が存在する。

 ちなみに朱華やノワールは例外だ。彼女達は家族みたいなものだし、外国人だから名前呼びが普通だよね、という心理が働いている。

 しかし、聞こえなかった振りをしようにも反応してしまったし、わくわくした視線がこちらに向けられている。


「……さ、里梨さん」

「芽愛」

「……芽愛さん」

「芽愛」

「芽愛さんです。ここは譲りません!」


 顔から火が出そうになったので、強引に話を打ち切る。

 芽愛は「恥ずかしがらなくてもいいのに」と言いながら嬉しそうに笑っていた。そして、ひとしきり笑った後で教えてくれる。


「料理は好きだよ。でも、腕前はまだまだかな」

「まだまだ……。それはあれですよね。ご両親に比べて、っていうことですよね?」

「そうだけど。あ、もしかしてアリスちゃん、料理苦手なんだ」

「………」


 俺は目を逸らした。

 自慢じゃないが、料理なんて学校の調理実習でしかやったことがない。作れるとしても目玉焼きあたりが限界である。


「大丈夫だよ。理緒さん、カレーにするって言ってたから」

「カレーが簡単って言えるのは料理得意な人だけですよ……」

「アリスちゃん、普通に話してくれるようになってきたね」


 話を聞け。

 というか、芽愛も以前よりざっくばらんな話し方になっている。一緒に遊んで打ち解けたのもあるが、学校内では大人しくするよう心掛けているから、らしい。ちなみに鈴香は敬語がデフォルトで、あれでもむしろくだけているくらいらしい。


「もうちょっとしたら鈴香たちのところ行こっか。ご飯作る前にお風呂入っちゃった方がいいかも」

「そうですね……って、お風呂?」

「うん。シャワーは浴びたけど、さっぱりしたいじゃない?」


 確かに、若干さっぱりし足りない。

 出発する前、ノワールやシルビアから「海水はしっかり落とさないと髪の毛がうんぬん」と言われたし、ちゃんとケアしておいた方がいいかもしれない。

 それは良いんだが、風呂ときたか。


「あの、それは一人ずつですよね……?」

「え? みんなで入った方が楽しいし、一人ずつじゃ遅くなっちゃうよ」

「……ですよね」


 恥ずかしいので一人で、と抵抗してはみたものの、見事に無駄だった。

 海で潔く脱いだのに今更、と言われれば抗弁のしようがない。むしろ、騒いでいる間に理緒さんが帰ってきてしまい、彼女も含めた全員で入ることになってしまった。

 女子として生きていく決意をしたからといって、いきなり女子に染まれるわけじゃない。

 同級生三人+大人の女性一人の裸身を直視させられた俺は「ああ、女らしさっていうのはこうやって磨かれていくんだな」と、わかったようなわからないようなことを思った。

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