聖女、新たな一歩を踏み出す
白い砂浜と青い海。
絵に描いたような光景に、俺は思わず「わあ……!」と声を上げた。
海水浴といったら芋洗いのような光景がつきものだが、そこは会員制のビーチというだけあって人が少なかった。少人数のグループが二組程いるだけで、さっきも言った通り、「海!」な景色を問題なく見渡す事ができる。
心が洗われる。
人が少な過ぎて「これで経営が成り立つのか」と思ってしまうが、会員制と言うからには年会費によって運営されているのだろう。つまり、実際の利用者が多くても少なくてもビーチ側としては問題ないのだ。
「ふふっ。いいでしょう、このビーチ。わたしのお気に入りなんです」
「はい。とても良いところですね」
上昇したテンションのままに返事をすれば、今回のホストで──グループのリーダー的存在である少女は照れくさくなったのか、頬を染めて視線を逸らした。
上品かつ女の子らしい仕草でとても可愛い。
共学だったらさぞかしモテるんだろうな、と、ぼんやり思いながら俺は辺りをあらためて見渡して、
「海の家はないんですね」
「え? ああ、そういえばそうですね。……どうしてかしら」
「お嬢様。おそらくは採算が取れる程の利用者がいないからかと」
「そうね。ここはいつも空いているもの」
お付きとして同行してくれている使用人女性の言葉に、少女が頷く。
それから彼女は小さく首を傾げて、
「……言われてみれば、ああいったジャンクフードを海で食べた事は無かったわ」
「海と言えばまずいラーメンか、普通の焼きそばが定番ではないんですか……!?」
「アリス様も物語か何かでご覧になられたのですね」
庶民とお金持ちの海水浴事情の違いに愕然としていると、使用人の方にまで微笑ましそうに見られてしまった。
違うんだ、海の家は実在するんだ。
お嬢様達との夏のレジャー第一弾は海水浴になった。
後半になるとクラゲが多くなるから、というのがその理由だ。なので、少女達の「家の用事」が一段落したタイミングでの実施となった。
移動は電車やバスではなく、家の車で使用人に運転してもらって、というもの。ある意味、タクシーを使うよりも贅沢である。
集合は一人ずつピックアップしてもらう形で、俺は学校前を指定させてもらった。別に住所を教えても問題はないのだが、わかりやすい場所の方が拾いやすいだろうからだ。
使用人の方に挨拶をして、道中はわいわいと雑談。
流れで「海水浴は初めて」ということにしておいた。海の家の件で誤解されたのはそのせいもあるのだろうが、実際は家族と二回くらい行ったことがある。まあ、あの海水浴と今回の海水浴はまるきり別物としか言いようがないが。
基本的に話の内容は今日のことと、夏休みにあったことが多かった。
みんな思い出話が驚くほど多い。忙しくも充実した夏休みを送っているらしい。そう言う俺は……と思いかえしてみたところ、バイトの件は一般人に話せないものの、買い物に行ったりカラオケに行ったり、実家で妹と話したり、防犯ブザー初体験をしたり、出かけなかった日も朱華やシルビアにちょっかいをかけられたりして、結構色々やっていた。
やっぱり、みんなには感謝しないといけない。
朱華も来られれば良かったのだが、ぱたぱた手を振って「あたしはいいわ」と言われてしまった。
実は意外と人見知りをするというか、付き合う相手を選んでいるのかもしれない。仕方ないので何かお土産でも用意しようと思う。
と言っても今日は日帰りだし、土産物屋に寄れるかはわからない。
海で調達できるお土産の定番は貝殻とかだろうか?
少女趣味すぎてまたからかわれそうだが、別に、もう女子らしくすることを恐れる必要もないんだよな……。
俺は、自分自身の意志で「アリシア・ブライトネス」でいることを選んだ。
当然、これからは女子として生活していかなければならない。
勝手が違って苦労することもあるだろうが、それを楽しいと感じたからこそ選んだ道だ。
「では、準備を致します」
俺や他の二人がビーチに歓声を上げるのを見届けた後、使用人の人は持ってきた道具を下ろして準備を始める。
「お手伝いします」
成人とはいえ女性だ。
一人では大変だろうと声をかけると、にっこり笑って「ありがとうございます」と言ってくれたものの、それに続けて首が振られた。
「ですが、ここはお任せください。皆様は思う存分、海水浴を楽しむのがお仕事です」
「……はい」
食い下がりたいところではあったが、あまり言っても困らせてしまいそうなので引き下がる。
せめて邪魔にならないよう、荷物だけを置いて離れると、同行者達から袖を引かれた。
「アリスさん。準備ができるまで水遊びをしましょう?」
「そうですね」
どうせ泳ぐのだから、と、靴や靴下は脱いでしまい、服のまま裸足で波打ち際の方まで向かう。
浅いところなら流される心配もないし、視界が通っているので大人としても見守りやすい。危ないことさえしなければ、少しくらいはしゃいでも大丈夫そうだ。
といっても、服がびしょ濡れになるのは避けなければならない。
今日の俺は白いノースリーブのワンピースに、同じく白ベースの帽子という「いかにも」な格好だ。テンプレすぎて主役を食ってしまわないかと心配になるくらいだったが、
『あんたと白を取り合おうなんて子はいないでしょ』
という朱華の発言を受け入れさせてもらった。
実際、他の子も(夏なので)黒は避け、白や青などの爽やかな服装に身を包んでいるものの、俺のように全身白、というコーデにはなっていない。
それでいて、それぞれの個性が出たお洒落をしているのだから恐るべし、である。
「わ、冷たくて気持ちいい」
「やっぱり、砂浜の感触はいいですね」
寄せる波に足を触れさせ、ぱしゃぱしゃと小さく足音を立てる。
裸足の足裏が砂に沈み込む感覚に目を細めたり、足の甲くらいまでを水に浸して軽く水を蹴り上げてみたり、上品に遊ぶ。
時にスカートを軽くつまんで水に濡らすのを避けながら、だ。
「どうですか、アリスさん」
「はい、楽しいです」
答える声は知らず弾んでいた。
単に波とじゃれている、という程度のことしかしていないのだが、こういうのでも十分楽しめるのだと初めて知った。
元の俺だったらどうしただろう。
とっとと海パン姿になった上で、はしゃぐ女子達を「無駄に元気だなー」と冷めた目で見ていたかもしれない。海に来たんだからさっさと泳ごうぜ時間が勿体ない、と、そういうノリである。あるいは砂浜に座り込んだまま、少女達の胸や尻をさりげなく観察するか。
つくづく、男と女というのは別の生き物である。
そんな風にしてしばらく遊んでいると「準備ができました」と声がかかった。
大きめのビーチパラソルの左右に、白いビーチチェアが一脚ずつ。
傍らには別のビーチパラソルとレジャーシートがあり、四隅は石だとかリュックサックだとかの色気のない代物ではなく青無地のブロックのようなもので押さえられていた。レジャーシートは砂を落とす素材になっているらしく、さらっとしていて嫌なじゃりじゃり感がない。
「チェアを四人分積めなかったのが心残りですが……」
「十分です。というか、十分すぎます」
「では、誰がチェアを使うかはじゃんけんで決めましょうか」
リーダーまで含めてじゃんけんをした結果、勝利してしまった。
なんとなく申し訳なくなったので、
「せっかくですから交代で使いませんか?」
と提案して全員から賛成をもらった。
さて。
疲れた時に戻ってこれる体制も整ったので、そろそろ泳ぐ頃合いだが、そういえばどこで着替えるんだろうか。
尋ねると笑顔と共に、
「人目もそれほどありませんし、ここで脱いでしまいましょう?」
そういうところは意外と豪快である。
水着は服の下に着てきてください、と前もって言われていたのだが、それはこのためだったらしい。
お金持ち用の会員制ビーチとなると盗撮魔が居たりとかしないのかとも思ったが、ビーチの外からは見えづらいようある程度の目隠しがされているし、会員以外が付近をうろついていた場合は警備員に声をかけられるらしい。まして、ビーチ内を徘徊しようものなら警察沙汰もありうるとか。
「アリス様。簡易更衣室のご用意もありますが」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
お礼を言って服に手をかける。
何しろ元男なので、別に恥ずかしさはない。なんなら上半身裸になることだって……って、それはさすがに恥ずかしい気がする。
ともあれ帽子を下ろし、ワンピースを丁寧に脱いで、
「アリスさんはどんな水着にしたんでしょう?」
「えっと、クラスの子と一緒に選んだんですけど……」
最終的に選んだのは白ベースの
模様やロゴも最小限に抑えられたシンプルなデザインだが、競泳用ではなく遊泳用。下部にあしらわれた小さなフリルが何よりの証拠だ。
少し可愛すぎるのではないかとも思ったのだが、一緒に選んでくれた子達は「可愛い!」と大絶賛だった。白なので紫外線にも強いし、露出自体は低めだからまあいいか、と俺も最終的に納得したのだが、
「どう、でしょうか……?」
恐る恐る視線を向けると、三人は着替えの手を止めてこちらを見ていた。
ごくん、と、息を呑む音が聞こえたような錯覚。
「これは……」
「すごいですね……」
「アリスさんと水着を選ぶなんて羨ましいですが……この選択は『良くやった』と言うしかありません」
よくわからないが似合っているらしい。
「その水着はアリスさんじゃないと似合いませんね」
「ええ、白い肌によく映えています」
「あ、ありがとうございます」
面と向かって言われると何だか照れてしまったが、そう言う少女達も各々、自慢の水着を持参して来ていた。
赤に青、そして黒。
三人ともツーピースタイプで、デザインはホルターネックだったりチューブトップだったりとそれぞれ違う。まだ中学生ということで派手さ自体は抑え目で可愛らしさ重視だが、最近の中学三年生は十分に発育が良い。
ロリコン相手でなくともその気になれば挑発できそうなくらいには女の子らしい体型がはっきりと晒された。
ぶっちゃけた話、三人とも俺よりスタイルが良い。
自分の胸にコンプレックスを持つ域にはまだ達していないが……ノワールやシルビアを思い出してみても、女性らしい身体のラインというのは少し羨ましいかもしれない。その方が似合う服も増えるだろうし。貧乳はステータスだ、とか胸を張るのはなんとなくアレだ。
「みなさんも良く似合ってます」
「ありがとうございます、アリスさん」
考えてみると体育の着替えで服を脱ぐことはあっても、まじまじとお互いの下着姿を見るのはなんだか憚られる感じがあったし、体操着は露出面積が意外と高くないため、こうして肌を晒し合うのは少し恥ずかしい。
「そういえば、みなさん日焼け止めは大丈夫ですか?」
「家で塗ってまいりましたが、念のためもう一度塗っておいた方がいいかもしれませんね」
「アリスさんもいかがですか?」
「あ、私も持ってきてるので、それを使います」
白人系で肌質が近いであろうシルビアが「ここがおススメだよー」と教えてくれたメーカーの品である。海水浴用なので、そこからウォータープルーフタイプなるものをチョイスして持ってきた。
日焼け止めに関しては神聖魔法でどうにかなるのであまり気にしなくても大丈夫なのだが、それを上手く説明する自信がないし、塗って損するものでもない。
というか、せっかくだしみんなにも魔法かけておこう。
全員が日焼け止めを塗り終わって「さあ海へ」というタイミング、踏み出すのを遅らせてみんなが背を向けたところで、こっそりと日焼け止めの魔法をかけた。
多少光が漏れてしまうが──陽光の下だと目立たないので問題はないだろう。
あ。というかロザリオは外しておかないと、首から下げているだけなので波にさらわれてしまうだろう。慌てて外して荷物の上に置く。奮発して一万円以上する品を買ったので、簡単に失くしてしまっては困る。
と。
「アリスさーん?」
「あ、はーい」
答えて立ち上がり、海へと小走りに駆ける。
……そういえば。
せっかく友達になったというのに、名前に関しては呼んでもらうばかりで、こちらから呼んだことはなかった気がする。
というか、遊びに行くにあたって必死に覚えたものの、それまでは顔と名前が一致するかも怪しかった。
ちゃんと覚えて呼ばないと失礼な気がする。
よし、今日のうちに全員の名前を一回は呼ぼう。
足を止めないまま、俺は密かに決意してぎゅっと拳を握りしめた。
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