聖女、初登校直前を迎える

「入学おめでとう!」


 なんだかんだで見慣れた気がするリビングに、四人分の明るい声が響いた。

 テーブルに並ぶのはご馳走の数々。ペペロンチーノスパゲッティにチーズがたっぷり入った鶏肉と野菜のドリア、酸味の効いたトマトベースのスープに山盛りの野菜サラダ等々、更にデザートには教授が帰りがけに買ってきたというフルーツタルトが用意されている。

 にこにこ笑顔のシルビア、ノワール、教授、朱華に、お誕生日席に座った俺は苦笑を返した。


「ありがとうございます。……めっちゃ疲れましたけど、助かりました」


 助かったがめっちゃ疲れた、と言ってもいい。

 四人がそれぞれ用意してくれたレッスンは「こんなので大丈夫か?」と思うようなものもあったが、実際、ちゃんと効果があった。

 家のあちこちに置かれた鏡のお陰で「他人からの見え方」を多少なりとも気にするようになったし、朱華が何日も付きまとってきたお陰で「傍に女の子がいて動いている」ことに少しは慣れた。

 そして、俺の男としての正気度もゴリゴリと削られた。


 ともあれ食事だ。

 肉体的な疲れは魔法で治せるが、英気を養うには食べるのが一番。

 一斉に「いただきます」を言ってそれぞれ思い思いの品に手を伸ばし、


「でもさ。終わってみれば『なんだこんなもんか』ってならない?」


 スープを啜った朱華が言ってくる。


「まあ、な。後から思うと、思ったよりは楽だった気もする」


 慣れ、という奴かもしれない。

 体験したお陰で、俺なりのやり過ごし方が見えてきたような感じだ。


「これで大丈夫なんだよな?」

「ま、何もしないよりは格段に良くなっただろう」

「普通の女の子でも、やらかす時はやらかすしねー」


 明日からはいよいよというか、とうとう学校に通うことになる。

 女子中学校に。

 考えるだけでも恐ろしい。憂鬱になるのであまり深く考えないようにしている。

 ノワールが柔らかく微笑んで、


「アリスさま。寝坊されないようにお気をつけくださいね」

「はい。気を付けます」

「あんまり手間取るようだと置いてくわよ」

「はいはい。……学校って近いんだよな?」

「歩いて行ける距離よ。その辺散歩してれば制服姿を見かけるはずだけど……ああ、ごめん。引きこもりに辛いことを言ったわね」


 酷い言い草だが、引きこもりなのは事実なので言い返しづらい。


「というかアリスよ。制服を開封してハンガーにかけておくぐらいはしておけよ。明日の朝になってから慌てても遅いぞ」

「なんで開けてないってわかったんだ……?」

「わからいでか」


 四人にジト目で見られた俺は、目を逸らしていた学用品へ手をつける決心をした。






 さて、翌朝である。


「……ん」


 俺が目を覚ましたのはセットしたアラームが鳴る五分前だった。

 変身前は二度寝、三度寝が当たり前だった俺だが、アリシアになってからは早起きができている。聖職者として、規則正しい生活が身体に染みついているのかもしれない。

 寝る前に回復魔法を使ったのもあって、体調も悪くない。

 すっきり目覚められるのはこの身体になって得をしたことの一つだと思いつつ、寝間着代わりのジャージ姿のまま洗面所へ。


「おはようございます、アリスさま」

「おはようございます、ノワールさん」


 家事を始めていたらしいノワールが声をかけてくれる。

 いつも通りきっちりメイド服を着こなしており、俺より先に目覚めたのは明白だ。


「あらためてノワールさんの凄さを実感しました」

「まあ。……わたしなんて大したことはございません。慣れれば早起きくらい誰でもできますよ」


 近頃はだいぶ気温が高くなってきているため、冷たい水で顔を洗い気を引き締める。

 ついでに髪をざっくり梳かした。別にしっかり梳かしてもいいんだが、この後、服を脱ぎ着するので乱れてしまうことになりやすい。

 こういう時、髪が長いのはつくづく不便だ。

 ともあれ部屋に戻り、着替えに取り掛かる。


 俺が通うことになった中学の制服は臙脂色のブレザーだ。

 スカートは黒。丈は平均より少し長めらしい。

 お嬢様学校らしいシックで清楚なデザインは、大正時代の女学生に感じるのと似た何かを思い起こさせる。


 ジャージを脱いで下着姿になったら、まず指定の黒ソックスを履く。

 無地の白または黒であれば市販品でも可、となっているらしいが、指定の品は値が張るだけあって肌触りが良かった。

 続いてスカート。私服で慣れているので「穿き方がわからない」ということはない。サイドに取り付けられたファスナーを下ろして足を通す。


「本当、防御力が低い格好だよな……」


 次はブラウスだ。

 白くてさらさらした生地で前ボタン式、という意味ではワイシャツと大差ない。強いて言えばボタンが左右逆なことと、袖口や襟にさりげなくフリルがあしらわれていることくらいか。

 結構違うな、などと今更思いつつ、リボンを装着。

 自分で結ぶのかと思いきやこれは「リボン型の飾り」だ。結ぶ必要はなく、首にかけて長さを調節するだけで完成である。いかにも女子、といった形と色合いがアレだが、付け方自体はネクタイより楽かもしれない。


 最後に上着。

 意外というかなんというか、これが一番戸惑わなかった。

 色合いや細かなデザインに目を瞑れば男子制服と大差ない。そうして完成した格好を、教授によって設置された鏡で確認すると──。


「うわあ」


 金髪碧眼の、成長途中にある美少女が、シックで清楚な制服を纏って立っていた。

 俺が顔を顰めると同じように顔を歪める。

 見慣れたはずの自分の姿にあらためて苦笑してから、袖についた糸くずを払ったり、リボンの位置を調整したり、ブラウスの襟を整えたりする。

 それから、これまた教授にもらった手鏡を使い、ノワールが「お部屋にもあった方がよろしいかと」と用意してくれたヘアブラシで髪を整える。高そうなシャンプー、リンスを使っているだけあって金髪には簡単に櫛が通る。


「……ま、こんなもんだろ」


 時間が余ったので荷物もチェックする。

 特に通学鞄。俺は転校生なので、当然ながら初日から授業がある。筆記用具や教科書、ノートなど、不足があっては困る。

 後はハンカチとかか。スカートには小さいがポケットもついている。かといって、入れすぎるともこもこして格好悪いので気をつけろ、と朱華がからかうような口調で言っていた。ていうかそれ、冬服の時はいいとして、夏服だったらどうするんだ。


「ん? ……夏、服?」


 今は何月だったかと考えてみる。

 七月だ。

 そういう話だったのだから当然である。ていうか、気づいてみるとが暑い。夏場に厚手のブレザーなんか着てるんだからそりゃそうだ。

 いや、そもそも最近は朱華とシルビアが夏服着てたじゃないか。なんで間違えてるんだ俺は!?


 やばい、と冷や汗をかきながら大慌てで夏服に着替え直した。







「間違えて冬服でも着て来たら笑ってやろうと思ったのだが」


 朝食の席で教授に言われた時には冷や汗が出た。


「ま、まさか。そんなことあるわけないだろ?」


 笑い飛ばして朝食を平らげ、朱華の「そろそろ行きましょ」という呼びかけで席を立つ。


「いつもより早くないか?」

「だってあんた、先生との挨拶とかあるでしょ?」

「そうだった」


 ノワールに「ごちそうさま」を言い、鞄を持って玄関に向かう。

 昨日まで──今日は月曜なので正確には数日前までは見送る側だったことを考えると、少々感慨深い。


「行ってらっしゃいませ。……あ、アリスさま」

「はい?」

「少し失礼いたしますね」


 真新しいローファーを履こうとする俺を呼び止めたノワールは、俺の首辺りに手を伸ばすと、ブラウスやリボンのバランスを整えてくれる。

 自分でも納得のいくまでやったつもりなのだが、満足げに「可愛くなりました」と微笑む彼女には何も言えない。

 というか、自然と距離が近くなったせいで匂いとか体温を感じてしまう、こそばゆいような気持ちに襲われてしまった。

 これで相手が母親で、俺が男子高校生のままだったら「うるさいなあ」で終わりなのだが。


「行くわよ、アリス」

「はいはい。……行ってきます、ノワールさん」

「はい。行ってらっしゃいませ、アリスさま。皆さま」


 朱華、シルビアと連れ立って、俺は一歩、玄関から足を踏み出した。







「っていうか、夏服って余計に防御力低いな……」


 外に出て真っ先に感じたのは素肌に当たる夏の日差しだった。

 別に俺は吸血鬼ではないし、真正の引きこもりでもない。

 学校に通うことになるのは「真っ当な学生に戻る」というだけの話なのだが、それにしても、女子の夏服というのはなんとかならないものかと思う。

 何しろ、半袖のブラウスと薄手のスカートである。

 指定の靴下が夏服だと黒から白になるのは涼感的に有難い限りだが、袖から先、それからいわゆる絶対領域的な部分が日差しと視線に晒されるのは避けられない。


 特に、俺達三人は肌が白いので余計に目立つ。

 俺の愚痴にシルビアが頷いて、


「下着が透けないように気を付けた方がいいよー?」

「……ああ、うん。気を付ける側に回るとは思わなかったけど」


 下着透けてる女子とか当然のようにさりげなく凝視していた。


「ちなみに、透けないようにするのってどうするんだ? 白いの付けてりゃいいのか?」

「一概にそうとも言えないのよね」


 学生の下着、というイメージから言えば、朱華が難しそうな表情で答えてくれる。


「簡単に言えば、肌の色に近い方が透けない──というか目立たないんだって」

「だから、日本人の場合、白とか淡い色の方が透けるんだよー」

「なん、だと……?」


 清楚な下着の方が透けやすいとか、神様は変態なんだろうか。

 いや、見られる側になった以上、呑気なことも言っていられないんだが。

 朱華が肩を竦めて、


「ま、アリスとかシルビアさんの場合は逆に考えればいいんじゃない?」


 白人に近い肌色をしているので淡い色合いでも目立ちにくい、とのこと。


「ちなみに色が透けなくても、下着のラインって浮き出やすいからね」

「待て。逃げ場はどこにあるんだ」

「恥ずかしい思いをしたくなかったらキャミを重ね着するとか、大胆な下着は穿かないようにするとか。……ああ、あんたはそもそもブラ付けないんだっけ」

「いや、三日に一回くらいは付けてるけどな」


 低い防御力を補うのは簡単じゃないらしい。

 だったらいっそ重武装にしてしまえ、という話だが、世の女子達がみんなジャージで生活し始めたら男は地獄の苦しみを味わうだろう。

 まあ、喉元過ぎたら「ジャージはジャージでエロいよな」とか言い出す気もするが。


「っていうかアリスちゃん」


 二歩ほど後ろを歩いていたシルビアが隣に来て言ってくる。

 ちなみに逆隣には朱華がいる。

 女子二人に挟まれての登校とか、自分自身が女子になっていなければ嬉しいシチュエーションだったのだが。


「外に出たんだから言葉遣い、もうちょっと整えた方がいいよー」

「あ、そうか。……そう、ですね」


 ノワールのレッスンを受けて以来、家でも一人称だけは「私」を心がけていたが、気心の知れた連中の前だとどうしても素の口調になってしまう。

 学校に近づけば近づくほど生徒の姿も増えるはずだから気をつけなければ。

 思っていると、朱華の口元に笑みが浮かぶ。


「どこまで猫被れるか見守っててあげる」


 この少女と俺は同じクラスだ。

 普通、所属クラスは初登校の際に教えられることが多いのだが、俺の場合は特別だ。事情を知っている仲間がサポートできるように「上」が手を回してくれたらしい。

 実際、俺としても一人ぼっちよりはずっと心強い。

 もちろん、嫌味の類はノーサンキューだが。


「私だってやればできます」


 むっとして言い返すと、何とも言い難い吐息が漏れて、


「敬語作戦は良いかもね」

「見た目は外国のお嬢様だしねー」


 外では敬語で通す、というのが俺なりに考えた身バレ対策だ。

 転校生で外国人で、通うのがお嬢様学校と来れば常時敬語で話していても違和感は持たれないだろう。しばらく過ごして、外面を取り繕うのに慣れてきたら口調を崩すことを考えればいい。

 女子として自然に話せる自信がないならそのまま敬語を続けてもいい。ゲーム内でもアリシアは敬語キャラだった。


「じゃあ、雑談でもしてみる? いい天気ね、アリス?」

「はい。日差しが少し強いくらいですね」

「アリスちゃん。勉強についていける自信はどれくらい?」

「大丈夫だとは思いますが、私立の学校なので少し不安ですね」


 などと言いながらも歩みは止まらない。

 俺にとって、まともに外出するのは約一か月ぶりで、ぶっちゃけ普通に歩くだけでも「どう見えているか」怖くて仕方ない部分があったが、朱華とシルビアが代わる代わる話しかけてくれるお陰で、緊張ばかりが重なってしまうことはなかった。

 そして。


「さ、見えてきたわよ」


 気づけば、俺が新しく通うことになる学び舎が姿を現していた。

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