とある生徒、転入生を観察する
「転校生が来るらしいよ」
月曜日の朝。
いつものように登校した彼女は、仲の良いクラスメートからそんな話を聞いた。
「そうなの? うちのクラスに?」
「うん。なんか、朱華さんが見たことない女の子と歩いてたんだって」
「そうなんだ」
頷き、朱華というクラスメートのことを想う。
朱華・アンスリウム。
目の覚めるような紅い髪と瞳を持つ少女である。なんだかややこしい名前をしているのは中国と、どこか西洋の国の血が混じっているからだとか。そのため多くの者は「アンスリウムさん」と呼ぶのを避けて下の名前で呼んでいる。
朱華は目立つ。
髪や瞳が人目を惹くというだけでなく顔立ちそのものも整っており、アジア人に比べると色白で、スタイルが良く、おまけに高等部に通う北欧系の外国人の先輩と仲が良い。
住む世界が違う、と言ってもいいレベルだが、当の本人は気さくで話しやすい。お陰でいつも色んな生徒から話しかけられている。
そんな朱華が連れてくるのだから、
「やっぱり外国の人なのかな?」
「らしいよ。なんか、金髪の可愛い子だったとか?」
「うわあ」
金髪とはまたレベルが高い。
お嬢様学校として知られているこの学園の生徒にはハーフや外国人もいるが、やはり「異国の少女」といえば金髪だ。可愛いとなれば猶更。期待がこみあげてくると同時にプレッシャーも生まれる。
「どんな子なんだろう」
外見というよりは内面を指して呟けば、察した友人もまた呟くように、
「朱華さんの友達なら悪い子じゃないと思うけど」
何気なくクラスメートの会話に耳を向けてみれば、多くの生徒が転校生の噂について語っていた。
日本において黒以外の髪は目立つ。みんなが浮足立つのも当然といえる。
周りのムードにつられるようにして鼓動が早まるのを感じながら話をするうち、予鈴が鳴り、HRの時間になる。
「みなさん、おはようございます」
このクラスの担任は先生になって四年目になるという若い女性だ。
品のいいスーツに身を包んだ彼女は日直の号令を受けた後、生徒達の期待を裏切ることなく、転校生の存在を告げた。
合図が出され、前側の入り口が小さな音と共に開く。
──息を呑んだ。
入ってきたのは聞いていた通りの少女だった。
聞いていた通り、美しい少女だった。
窓からの陽光は届いていないが、それでも照明の光を浴びてきらきら輝く金色の髪。
吸い込まれそうなほどの奥行きを持つ、宝石のような碧の瞳。
肌は白く、見ただけですべすべな質感がわかる。手足は細くしなやかに伸び、華奢な身体には守ってあげたくなるような魅力がある。
緊張しているのか、歩き方はどこかぎこちないが、そのせいでついじっと見つめてしまう。
そして。
箸より重い物を持ったことがないのではないか、と思えるような指がチョークを持ち上げ、己の名をカタカナで記していく。
アリシア・ブライトネス。
しっかりとした字だ。
しっかりしすぎていて男の子みたいな字だが、胸に湧き上がるのは感嘆だった。
「初めまして、アリシア・ブライトネスです」
ぎこちなく一礼した少女は、イメージ通り可憐な声を響かせる。
「両親はイギリス人なのですが、ずっと日本で暮らしていたので英語は殆ど喋れません。この学校には少しずつ慣れていければと思っています」
イントネーションにぎこちないところは微塵もない。
言葉が通じるという実感が心に浸透し、それはアリシアという少女の印象を、近寄りがたい異国の少女から、友達になりたい女の子へと変えていく。
「こんな時期の転入でご迷惑をおかけすることもあると思いますが、どうかよろしくお願いします」
言って、もう一度彼女が一礼した直後、誰からともなく拍手が起こった。
「ブライトネスさんはどこの学校から来たの?」
「このまま高等部に進学するの?」
HRが終了した途端、アリシアをクラスメート達が取り囲んだ。
見れば、他のクラスの生徒も複数、この教室を覗き込んでいる。
まあ、無理もない。
転校生というのはいつだって珍しいものだし、それがアリシアのような子なら猶更だ。
「あ、えっと、アリスでいいですよ」
次々飛んでくる質問へ気さくに応じている。
ただ、多すぎて全部には答えきれないという様子だったが。
「お、私、入院していて中学には通っていなかったんです」
「そうだったの?」
「もう大丈夫なの?」
「はい。もう治っているので大丈夫です」
言って微笑むアリス。
思わず、白い病室に在る少女の姿が思い浮かぶ。他のクラスメートもそうだっただろう。こうして、アリスに病弱属性が追加された。
クラスメートからの質問攻めはそれからも、そして授業後の休み時間や昼休みにも続けられた。
質疑応答が続くうちにわかってきたのは、アリスには不思議なところがあるということだ。
「アリスちゃんはスポーツだったら何が好き?」
「そうですね……剣道とか?」
「剣道!?」
彼女が面や防具を身に着け、重たい竹刀を振るう……?
似合わないにも程がある。というか、着替えただけで重くて動けなくなりそうだ。
なので、
「あ、そっか。見る方の話?」
「いや、そうじゃなくて」
「外国の人って時代劇とか好きだもんねー」
そういうことになった。
アリスが反論しようとしていた気もするが、誰も聞いていなかった。というか、日本かぶれだと思われるのが恥ずかしいのだろう、とみんな勝手に納得していた。
何しろ、好きな飲み物を尋ねれば「緑茶」と答え、クラスメートの髪を見ては「黒髪が羨ましい」とこぼしていたのだ。
ああ、この子は日本が好きなんだな、という感想にしかならない。
「私は見るんじゃなくてやりたいんですけど……」
「でも、高等部にも剣道部はないよ?」
「だって、あれは男子がやるものでしょ? あの防具って絶対暑いし蒸れるじゃない」
じゃあ、アリスに似合うスポーツは何かというと、
「「テニス?」」
満場一致だった。
白いテニスウェアに身を包んだアリスがラケットを振るう姿はさぞかし可愛らしいだろう。その姿を見たいがためだけにテニス部へ入る子がいてもおかしくない。
しかし、お姫様はお気に召さなかったようで「テニスはちょっと」と言う。
「なんで嫌なの?」
「……だって、テニスって短いスカートで動き回るんですよね?」
アリスは身長が低い。
中学生に見えないというほどではないが、校章や上履きの色で判別できない場合、一年生か二年生に見えるだろう。
そんな彼女が顔を真っ赤にして、上目遣いで周囲の生徒を見上げていた。
そうなったら、周りがどんな反応をするかは簡単だ。
「「可愛い!」」
登校初日にして、アリシア・ブライトネスのマスコット扱いが決定した。
「あーっと……それくらいにしてあげてくれる?」
女子しかいない空間というのは気安い。
アリスを歓迎する生徒達の声は放課後になっても止まなかった。
質問だけが続いていたわけではなく、むしろ途中からは雑談半分という感じだったが、そうやって賑やかに話をするのが重要なのだ。
仲良くお喋りをした経験は得難い思い出になり、アリスを「転入生」から「友達」へと変えていく。
ただ、さすがにはしゃぎすぎてしまったのか、帰りのHRが終わって三十分程度が過ぎたところで保護者からの声がかかった。
クラスメート達の輪に近づいてきたのは紅髪紅目の少女だった。
怒っている、という様子ではない。
呆れ気味の表情で遠慮がちに声をかけてきた、という感じだったが、素の表情が勝ち気そうに見えるせいもあって効果は覿面だった。
「あ……ごめんなさい」
「ずっとお喋りしてたらアリスちゃんも疲れちゃうよね?」
「あ、いえ、気にしないでください」
しゅん、として言う少女達。
アリスは首を振って慰めてくれたが、その表情は明らかに安堵していた。やっぱり疲れていたのだろう。それでも「迷惑だ」と言わない辺り良い子だ。
「朱華さんはアリスちゃんと一緒に住んでるんだよね?」
「そうよ。うちは事情がある子向けのシェアハウスみたいなところだから」
軽く肩を竦めて答える朱華。
確か、高等部の
色とりどりの髪や瞳をした美少女達が共同生活を送っている場所──想像しただけで華やかで楽しそうで、少し憧れてしまう。
アリスも朱華とは気心が知れているのか、恨みがましい視線を彼女に向けて、
「……朱華さん?」
「ごめんってば。アリスが随分楽しそうだったから、声をかけづらかったのよ」
少女達の輪に紅い少女が加わる。
アリスはちらりと時計に目をやり、鞄に手を伸ばそうとする。しかし、その手はすぐに止まった。朱華が机に軽く手をついたせいだ。
さっさと帰るつもりならアリスの手を取ってしまえば良かった。
迂闊だったのか、それとも故意だったのかはわからないが、結果的にそれは雑談を継続させるきっかけになった。
「朱華。最近付き合い悪かったのってこの子と遊んでたから?」
「あー、うん。実はそうなのよ。アリスってば新しい生活が不安だったのか、あたしと一緒にいたがっちゃって」
「……朱華さんが部屋に押しかけてくるんじゃないですか?」
「ん? あれ、迷惑だった?」
助けに来たはずがノリノリの朱華。
瞳を覗き込まれたアリスも満更ではないのか、頬を染めて視線を逸らした。
「べ、別に迷惑ってわけじゃ……」
瞬間、名前をつけるのが難しい奇妙な感情が湧き上がった。
もしかするとこれが「萌え」なのだろうか。
「朱華さん、アリスちゃんとどんなことしてたの?」
「別に普通だけど? ゲームしたり、お菓子食べたり?」
「朱華さん……」
アリスの呟きには「まだ帰れそうにない」という諦めと「この子に頼っちゃ駄目だ」という呆れの色が含まれていた。
◇ ◇ ◇
「……酷い目に遭ったんだが」
「ごめんってば。でも、ふふっ、あははっ」
「おいこら朱華いい加減にしろ」
結局、教室を後にすることができたのは、帰りのHRから一時間後のことだった。
全身が疲労でずっしりと重い。
正直、バイトでゾンビと戦った時より断然疲れた。何しろトイレのために席を立った以外、ほぼずっと囲まれっぱなしだったのだ。
女子ってのはあそこまで強い生き物だったのか。
好意的に受け入れて貰えたのは良かったが、お陰で気を張りながら話を合わせ続けなければならなかった。本当、なんであんなにぽんぽんと話題が出てくるのか。
恨みを込めて睨むと、朱華は申し訳なさそうにしつつも楽しそうに笑って、
「あれー? もう『朱華さん』って呼んでくれないんだ?」
「呼ぶか馬鹿!」
丁寧にさん付けで呼んでいたのは対外向けの対応だ。家でまで敬語を使うつもりは全くない。
「お疲れさまでした、アリスさま。大変だったのですね」
ノワールはさすがに人間ができている。
下校するなり話し始めた俺と朱華をリビングに案内してお茶を出してくれた。疲れているせいか紅茶の香りに癒される。
どうせなら何か甘い物を、と思ってしまうが、少ししたら夕飯になるのだから我慢した方がいいか。
「いや、本当に大変でした……」
間違いなく人生で一番長い一日だった。
朱華やシルビアの通う学校──私立
お嬢様学校というだけあって敷地は高い塀で囲まれており、外からは内部の様子が殆どわからない。
きちんと守衛さんの立っている正門をくぐると桜並木があり、校舎まで俺達を導いてくれる。
どことなく別世界に来たような感覚があった。
言ってしまえば学校には違いない。改修を繰り返しながらも創立当時の面影を残しているという校舎は風格を感じさせたが、物語の中にあるような別格のそれというわけではない。
それでも、女子しかいない世界というのは想像以上だった。
クラスメート達の質問攻めもそうだが、校舎に男子トイレが(職員・来賓用を除いて)存在しないことや、先生の八割以上が女性ということにも驚かされた。
担任も若い女の先生だったが、前の学校に居たおばさん国語教師や気の強い世界史教師なんかと違い、立ち居振る舞いに育ちの良さを感じた。
「なんていうか、あれは下手なことができませんね……」
お陰で決定的なボロを出さずに済んだわけだが。
隣に座った朱華が紅茶を飲み干してからくすりと笑い、
「あんたも頑張ってたわよ。あれだけできれば十分でしょ」
「そうか? ならいいんだが……」
ギリギリまで声をかけなかったのは面白がっていたからだと思ったのだが。
「上手くいったのでしたら何よりです」
「そう、ですね」
ノワールの微笑みにぎこちない笑みを返す。
確かに、初日を乗り切ったことで多少の自信はついた。これからの日々を乗り切っていく自信が、だ。
ぽん、と、ノワールが手を打って、
「今日の夕食はたくさん食べてくださいね。明日からも頑張らないといけないのですから」
「……そうなんですよね」
休みの日までには後四日もある。
こんな調子で体力が持つのか不安になった俺は遠い目をしながら「
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