聖女、レッスンを受ける(後編)
■レッスン3:シルビアの場合
「よし、アリスちゃん。この『女の子らしくなれる薬』をぐいっと」
「飲みません」
「……えー? お薬飲むだけで苦しまずに女の子らしくなれるんだよ?」
「明らかにヤバい薬じゃないですか、それ!」
「残念」
夜。
前にも来たことのあるシルビアの研究室。
銀髪蒼目に白衣の少女は渋々、といった感じで薬(見るからに色が毒々しい)を戸棚にしまうと、真面目な顔で振り返った。
本題が始まるのだろう、と理解した俺は息を呑んで次の言葉を待ち、
「女の子の気持ちが知りたいなら、女の子の身体を知るのが一番──」
「ああ、そうか。実はこの家で一番ヤバいのはシルビアさんだったんですね」
「待って。お願いだから遠い目をしたまま帰ろうとしないで」
回れ右したら胸の辺りに抱き着かれた。
微妙ながら存在する膨らみに触られると自分の中の『女』を自覚してしまうので止めて欲しいんだが。
身の危険を感じつつ、シルビアをジト目で睨んで。
「いやまあ、女子の身体を触れるのは嬉しいんですけど」
「……なんだ。アリスちゃんてばむっつり?」
透明感のある整った顔に安堵が浮かぶ。
悪いけど続きがあるんだ。
「触るのは嬉しいけど、触られるのは嫌なんですよ」
「そこはギブアンドテイクでしょ……?」
「同意見ですけど、嫌なものは嫌なんです」
きっぱりと言ったら腕の拘束が解けた。
「なんていうか、シルビアさんはわかりやすく元男子ですよね」
別に元男とは決まってないんだが、まず間違いなくそうだろう。
いや、朱華や教授が元女性に見えるかっていうと微妙だな。というかノワール以外が元男だとすると、唯一の純粋な女性に変態ども(俺を除く)が身の周りの世話をさせている図ということに……?
するとシルビアはきょとんとして、
「え?」
「え? ……もしかして、もともと女性だったんですか?」
事あるごとにスキンシップを求めてくる癖に?
「……まあ、知らない方が良いこともあるよねー」
「なんか物凄く気になるんですけど!?」
閑話休題。
多少落ち着いた俺達は床に座布団を敷いて座ると、話を進めることにした。
「さて。ノワールさんが言葉遣い、教授が身だしなみをレッスンしてくれたんだよねー?」
「ですね」
「なら、お姉さんはやっぱり得意分野から攻めるしかないね」
「だから薬は飲みませんと」
「違う違う。……まあ、口に入れるものではあるんだけど」
言って彼女は席を立ち、隣の私室から何か瓶詰のようなものを持ってきた。
中に入っているのは赤や紫、黄色をした楕円形の物体。
新品らしく、中身はたっぷり詰まっている。
「飴?」
「うん、キャンディ。私が常備しているのと同じやつ。私はこれで『味覚』から攻めてみたいと思います」
具体的には、この飴を転入までの約一週間で舐めきれ、とのこと。
手渡されたそれは意外と重く、糖分の塊だと思うと身体に悪そうな気もするが、
「それだけでいいんですか?」
お菓子を食べるだけじゃレッスンという感じがしない。
尋ねると、シルビアは「うん」と微笑んで頷いた。
「楽勝だったらそれはそれでいいんだよ。頑張ってるご褒美だと思って受け取って」
「そうですか。だったら遠慮なく」
ごく普通の市販品で怪しい薬が入っていないことは保証してくれたし、自覚症状のある薬物なら魔法で解毒できる。
甘い物は別に嫌いじゃないが、こんな量を一人で食べたことは未だかつてない。
そう考えるとちょうどいい試練なのかもしれないと思いつつ、俺はシルビアにおやすみを言って自室に戻り、とりあえず飴──キャンディを一つ口に放り込んだ。
「うま」
この手の飴って砂糖の甘さが強烈に来る奴もあって、そういうのは正直苦手なのだが、シルビアがくれたものは果物の甘みが一緒に来るので嫌な甘さがなかった。
放り込んだ赤いのはどうやらイチゴ味だったらしい。
これだったらいくらでも舐められそうだな、と思いつつ口の中で転がしているうちに無くなってしまったので、今度は紫色のキャンディを口に入れてベッドへ潜り込む。
子供の頃は母から「寝る前にお菓子を食べると虫歯になる」と口を酸っぱくして言われたものだが、これも必要なレッスンだから仕方ないだろう。
「こんなレッスンならいくらでも受けるんだけどな……」
ブドウ味だったキャンディは俺の意識が完全に落ちる前には口の中から溶けて消えていた。
■レッスン4:朱華の場合
「さ、次行くわよ次」
朱華が俺の部屋に突撃してきたのは、シルビアのレッスンが始まった二日後、土曜日のことだった。
彼女達の通う女子校は週休二日制なので土日は休み。
そのため、今日は朱華もシルビアも朝から家に居た。教授はどうやら仕事が忙しいらしく、いつもの時間に出勤していったが。
ベッドに寝転がってマンガを読んでいた俺は、何やら大荷物でやってきた紅髪の少女を見て、
「
「飴舐めながらマンガ読んでるだけでしょうが。しかもそのマンガ、あたしが貸したやつだし」
彼女の言う通り、マンガの出所は朱華だ。
今クラスで流行っている恋愛ものの少女マンガである。こういうのを朱華が読むのは意外だったが「履修しとかないと話題に乗り遅れるのよ」とのこと。
正直、少女マンガってギャグのノリが寒かったり、大事件が起こったと思ったらなあなあのうちに無かったことになったりっていうのが多くて苦手だったのだが、貸してもらったこれは普通にすらすら読めた。そうなると普段自分が読まないジャンルだけに先が読めず、続きが気になって仕方ない。
だが、朱華を怒らせると「燃やされる」可能性がある。
「わかったわかった。……で、何するんだよ?」
「ノワールさんが言葉遣いで教授が身だしなみ、シルビアが味覚……と来た以上、あたしができることなんて大してないのよね。だから変化球で攻めるわ」
答えながら、朱華は自分の部屋から持ち込んだらしい機材をセッティングしている。
見れば、ノートパソコンにWi-Fiルーター、ヘッドホン。
傍らに置かれた残りの荷物はポテトスナックにチョコレート、クッキー、煎餅、ペットボトルの紅茶……要はお菓子と飲み物のようだ。
「何しに来たんだお前」
「んー……そうね。とりあえずエロゲ?」
「何しに来たんだお前!?」
教えてもらっている立場で言うのもなんだが、やる気がないなら帰って欲しい。
しかし、少女が浮かべるのは余裕の笑み。
「慌てないでよ。これはちゃんとあんた用のレッスンなんだから」
「……エロいゲームから女の子の可愛い台詞を学べ、とか言わないよな?」
「あー、それでも良かったかな。でも安心しなさい、違うから」
そして宣言されたレッスン内容は、
「これから入学の前の日まで、あんたにはできるだけあたしと一緒にいてもらうわ」
という、なんとも不思議なものだった。
それから約二時間後。
朱華から借りていたマンガを読み終えた俺は、息を吐いてベッドから起き上がった。
「んっ……」
長時間じっとしていたせいか身体が凝っている。
軽く伸びをし、貰い物の煎餅がだいぶ残り少なくなっていることに苦笑。
当の贈り主がどうしているのかと視線を向ければ、
「……ふふっ」
上機嫌なのか、時々くすくす笑いながらえんえんとディスプレイを眺めていた。
耳に嵌めているヘッドホンは割と高そうな品で、そのお陰か音漏れはしていない。だが、彼女の耳にはおそらく、軽快なBGMと共に美少女の声が響いていることだろう。
紅茶のペットボトルは順調に減っているし、時折菓子にも手を伸ばしている。しかし、それ以外はただエロゲに興じているだけだ。
……この女は。
見た目が可愛いから許されるが、不細工な男がやっていたらただの自堕落なオタクである。
これが何のレッスンなのかと言いたいところだが、朱華が説明してくれたプランにはある程度の説得力はあった。
『あんたの問題は、とにかく女慣れしてないことよ』
別に女子が苦手なつもりはなかったが、女子になって女子校で過ごせるくらい慣れているかといえばもちろんノーだ。
『ま、童貞なら当然だけど』
『そういうこと面と向かって言うなよ!?』
罵倒が必要だったかどうかはともかく、恋愛経験豊富な奴の方が女慣れしているのは確かだろう。
要するに経験値、会話を交わした回数、一緒に過ごした時間の問題。
『なら、周りに女子がいる時間を増やせばいいのよ』
だから一緒に行動する、というわけだ。
周りの音をシャットアウトしてエロゲに興じるこの女がサンプルとして適当かはともかく、女子には違いない。
同じ部屋にいるだけでも全然違うだろう、ということなのだが、
「やっぱ、別に大したことない──」
「あははっ。何よこれ、ライターさんノリノリすぎでしょ」
「っ」
やっぱり朱華じゃ駄目だ、と結論づけようとした瞬間、楽しそうに笑う朱華が姿勢を変えた。
足を一本ずつ左右に投げ出していた姿勢から、俺のいる方へ纏めて投げ出す格好へ。スカートを穿き、靴下は身に着けていないせいで素足がこれでもかと露出している。というか、その気になったら奥にある下着まで覗けてしまいそうだ。
(肉体的には)女子しかいない空間だからって気を抜きすぎじゃないのか。
あらためて意識してみれば、何気ない息遣いにさえ色気のようなものが漂っているような気がするし、空気には朱華の匂いが混ざり始めている。
「なるほど、な」
なんだか妙に納得して頷いてしまう。
朱華なんかに色気を感じてしまうとは屈辱だ。俺的に、この家の中でランキングを作るなら(教授は論外として)こいつが一番下に来る。まあ、高校生にしては異様に発育のいいシルビアと、若々しさと大人の魅力を併せ持つノワールが別格すぎるだけだが。
とはいえ、この朱華も考えてみると美少女だ。
強く人目を惹く紅の髪と瞳だけでなく、アジア系とヨーロッパ系の特徴をいいとこ取りしたような顔立ちも、しなやかかつ健康的に伸びる手足も、文句をつけるのが難しいくらいだ。
はあ、ともう一度息を吐いて、
そういえば、こいつの髪に触ったことがなかったなと、何気なく手を伸ばし──。
「ん? どうしかした、アリス?」
視線に気づいた少女がヘッドホンを外してこっちを見た。
やましい気持ちを咎められたような気分になった俺は慌てて答えた。
「え。あ、いや。マンガ読み終わったから、何か別の借りられないか?」
「あー。良いわよ、好きなの勝手に持ってきて」
返答はなんともあっさりとしたものだった。
てっきり、自分の部屋に入られたくないからこっちに来たと思っていたのだが。
拍子抜けした俺はワンテンポ遅れて「わかった」と口を開き、そこへ、少女の細い指がチョコレートを一欠片放り込んだ。
「はい。おすそ分け。煎餅ばっかじゃ飽きるでしょ」
甘い。
じわりとした苦みと、その倍以上の幸福感。
高いチョコというわけではない。むしろド定番の板チョコだ。男だった頃にだって何度も食べたことがある。あるはずなのだが。
俺、こんなに甘い物好きだったか……?
シルビアから貰ったキャンディの方も結構なペースで減っている。ちゃんと舐めないと舐めきれない、と習慣づけようとした結果、舐めていないと口寂しくなるようになってしまっている。この分だと期日には余裕で間に合うだろう。
というか、頭の片隅で「同じ物っていくらで買えるのか今度聞いてみよう」と考えている自分がいる。
ともあれ。
「サンキュ」
「どういたしまして」
飾らない朱華の笑顔に、狐につままれたような気分になりつつ自室を出て、朱華の部屋からマンガを借りた。
初めて入った女子中学生の部屋は持ち主の匂いに包まれており、また、意外なくらいに女の子らしさに溢れていた。
そんなこんなで、先輩方からのレッスンは恙なく進行し、転入初日の前日に終了を迎えることとなった。
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