聖女、採寸に行く

「教授。昨日聞き忘れたんだけど、あれって結局どういう意味なんだ?」

「む? あれ、とは?」

「バイトが俺の願いを叶えるかもしれない、とかなんとか言ってたやつだよ」

「ああ、あれのことか」


 バイトの翌日、夕食時に尋ねると、教授は箸を止めないまま鷹揚に頷いた。

 見た目は幼女の癖にこういう仕草が似合うから困る。


「期待をさせてしまったか。確固たる算段があっての話ではない。むしろ……そう。ゲームや物語におけるセオリーのようなものだ」

「? 悪いけど、もう少しわかりやすく言ってくれないか?」

「雑魚戦があるのだからボス戦もあるだろう、ということだ」


 今度は簡単になりすぎた。

 別に俺はボスと戦いたいわけじゃないんだが。


「わかっている。だが考えてみろ。ある日突然、マンガやゲームや映画のキャラに変身してしまう、なんていうことが普通ありえると思うか?」

「まあ、ありえないと思う」

「だろう? だとしたら、この現象を起こした者がいる。そして、その者は我々を利用して何かをしようとしているはずだ。では、その誰かがとしたら?」

「化け物が生まれるのはボスがけしかけているから、っていう可能性もあるってことか」

「そうだ。やはり地頭は悪くないらしいな」


 無駄に腹の立つ物言いだが、言いたいことはわかった。

 雑魚を倒し続けていればいつかボスが出てくるかもしれない。そして、そのボスが元に戻る手がかりを持っているかもしれない。


「加えて言えば、戦いの成果自体──レベルアップだとかドロップ品だとかが何かの手がかりになるかもしれない。バイトをすることで世の中が上向き、誰かの研究が私達を救う切っ掛けになるかもしれない」

「かもしれないだらけだな」

「だが、ないよりはよかろう?」


 俺は教授ににやりと笑い返した。


「ありがとう。少しは希望が出てきた」

「うむ。では、これからもバイトには参加ということでよいな?」

「ああ。回復役がいないと始まらないだろうしな」







 更に翌日。

 俺は、また新たな試練に直面することになった。


「制服のための採寸……ですか」

『はい。アリシアさんの場合は転入ですので、指定の洋品店に直接出向いて採寸をしていただくことになります』


 国から電話があり、俺の入学は無事に認められたと伝えられた。

 変身してから十日も経っていないのでかなり早い。朱華やシルビアという前例のお陰で手続きがスムーズだったこと、もともと高校二年生だったため「転入試験は飛ばしても問題ない」と判断されたことなどが理由だそうだ。

 先方としては七月頭からの転入が望ましい、とのこと。

 もしもそのスケジュールで行くなら、さっさと制服を用意しないと間に合わない。暇なら明日にでも行って来てくれ、と言われた。

 ただ、


「……あの、それって自分で測って数字だけ伝えるとかじゃ駄目ですか?」

『素人が測った結果ですとずれが生じやすいので、極力、専門家に測っていただいた方がいいと思いますが……何か問題でも?』

「いえ、その」


 正直に言うのは憚られたため、思わず口ごもる。

 実際、大した理由じゃないのだ。単に、私服を着て外出をするのが嫌だというだけ。しかも採寸ってことは人前で下着姿になるわけで。

 嫌すぎる。いや、アリシアの身体であって俺の身体じゃないので、別に見られてもいいといえばいいのだが、なんというか、そういう人と関わる行為をする度に否応なくこの身体に慣らされていくのが嫌だ。

 と、いった心の葛藤がどれくらい伝わったかはわからないが、電話の向こうの担当者は少しだけ同情するような声のトーンで言ってくれた。


『心の準備もあると思いますので、無理にとは申しません。ただ、夏休みも控えていますので、よく考えてご行動ください』

「……はい」


 結局、そう答えるしかできない俺だった。





「採寸くらいで怖がっててどうするのよ。学校に通うようになったら体育で着替えるし、身体測定とかだってあるのよ?」

「まあ、そうなんだけどな……」


 帰ってきた朱華達とテーブルを囲んで採寸の話をすると、案の定、朱華のあっけらかんとした言葉が真っ先に飛んできた。

 悪い奴ではないのだが、あまりにも物言いが率直すぎる。

 ついでに言えば人をからかうのも大好き。今回も俺の表情を見ながらにんまりと笑みを浮かべ、追撃するように言ってくる。


「採寸も着替えも女子と一緒なんだから、あんたにとってはご褒美じゃないの?」

「お前、その発言は問題あるだろ!?」

「んー? アリスちゃん、したいならお姉さんがぎゅーってしてあげるよ?」

「なっ」


 あまりの発言に過剰反応をすれば、隣に座っていたシルビアが抱き着いてくる。

 彼女に身体を押し付けられるのは今に始まったことではないが、だからといって何も感じないわけではない。

 思わず顔が赤くなり、反射的に逃げそうになる。椅子に座って半身を拘束されているので簡単にはそうできないのだが。

 と、教授までが面白がるように笑みを浮かべ、


「なんだ。そういうことなら吾輩もひと肌脱ごうか?」

「いや、さすがに教授の裸では興奮しないから」

「なにおう!? それは吾輩が幼児体型だって言いたいのか!?」


 からかってみると意外に面白いな、教授。


「そもそも、そういう話じゃないんだって。俺にとっては着るのと脱ぐのが大問題なんだ」

「採寸だけでしたらわたしが行っても構いませんが……」

「本当ですか? ノワールさんにお願いできるなら安心なんですけど」

「へえ。専門の人は駄目で、ノワールさんならいいんだ?」


 言われてぐっと言葉に詰まる。

 家で測るのと外に出るのとでは大違いなわけで、決してノワールが相手ならいい、と一概に言えるものではないのだが。


「ならノワールさんに一緒に行ってもらえばいいじゃない」

「そこまでお願いするくらいなら一人で行くっての」


 家事を一人で引き受けているノワールは意外に忙しい。

 朱華が「ママがいないと不安なのかな?」的なニュアンスで言ってきたのもあって、俺は我が儘を言うのを諦めることにした。

 たかが制服如きで何を怯えているのか。採寸くらい人生で何度か経験がある。作られる制服が女子のものである、という問題点を無視すれば大した話じゃない。

 ようやくやる気を出した俺を見て、朱華は「最初からそう言いなさいよ」と笑った。もしかして、まんまと言いくるめられたのか?

 と、


「んー? でも、アリスちゃん。ノワールさんと一緒の方がいいんじゃない?」

「シルビアさんまで俺をいじめますか……」

「じゃなくて。細かい注文一人でできる? 体操着が何着必要とか、デザインが二パターンあった時にどっちがいいかとか、ぱっと答えられる? ……お店の人に言われるまま買いすぎちゃったりしない?」

「う」


 自慢じゃないが、買いすぎる気しかしない。

 言い訳をするなら、体操着やブラウスの代えがどのくらいいるかは洗濯と乾燥のペースにもよるだろうから、実際に家事をしているノワールじゃないと正確なところがわからない。

 後はまあ、運動部に入るかどうかとかもあるが、中三の一学期が終わりかけている時期に入部しても仕方ないか……?


「あの、アリスさま。わたしでしたら喜んでご一緒しますので……」

「……すみません。一人じゃ不安なのでついてきてください」


 俺はノワールに頭を下げて同行を依頼した。







「の、ノワールさん。もう少しゆっくり歩いてください」

「ふふっ。アリスさま、そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ」

「そう言われても……」


 バイトでゾンビを蹴散らしたのを除けば、アリシアの身体になって初めての外出。

 ノワールが同行してくれたお陰で車を出してもらえることになり、人目を大きく避けることができたのは思わぬ幸運だった。

 ただ、さすがに駐車場から店内までは歩かなければならない。

 頼りないワンピースを着て歩くのはなんとも心細く、必要以上に足が遅くなる。最終的にはノワール(さすがにメイド服ではなく清楚系の私服姿)に手を引かれるようにして自動ドアをくぐった。


「いらっしゃいませー」

「っ」


 店員らしき女性の声にびくっとする。

 平常心、と、心の中で念じながら店内を見渡す。学校指定の用品店はいわゆるスポーツショップのようなところだった。

 特に中高生向けのウェアやシューズ等が充実しているようで華やかな印象を受ける。


「せっかくだから少し見てみますか?」

「さ、先に用事を済ませたいです」

「かしこまりました」


 ノワールはくすりと笑って了承してくれた。


「採寸の予約をしていたブライトネスですが……」

「承っております。では、こちらにどうぞ」


 カウンターで用件を告げるとすぐに奥まった部屋へと案内してくれる。

 移動する直前、背中の方から「あの子、すごく可愛い」という歓声が聞こえた気がした。







 作業は服を脱いでの採寸、それから注文数の相談という、至って普通の流れで進むことになった。


「では、服を脱いでもらえますか?」


 レディーススーツを着た大人の女性に問われ、俺は頷いて、


「えっと、下着もですか?」

「いえ。下着はそのままで結構です。基本的につけた状態で着るものですから」

「そうですか」


 少しだけほっとした。

 部屋の入り口に目隠しのカーテンがされているのをあらためて見てから服に手をかける。この場には女性しかいない、ということで気安い雰囲気だ。

 これで、脱ぐのが俺ではなく他の誰かだったら大歓迎だったかもしれない。

 ワンピースを脱ぎ、首から下げていたロザリオも外す。用意されていた脱衣かごに軽く畳んで放り込めば、それで終了だった。来る前の苦悩が嘘のようにあっけない。大体の物事は過ぎてしまえばそんなものだが。


「クリスチャンなんですか?」

「あ、いえ」


 思いがけない問いに反射的に答える。

 ノワールが慌てた様子もなく補足してくれた。


「ご両親はそうだったんですが、この子は違うんです。でも、せっかくだからアクセサリー感覚で身に着けてもらっていて」

「なるほど。……あれ? ええと、お二人のご関係は?」

「同居人です。わたしはこの子の姉代わりのようなものですね。家庭の事情で、親族の方は海外なもので」

「そうでしたか。失礼しました」


 採寸自体はてきぱきと進んだ。

 胸のところでトップとアンダーを測られたのは少々カルチャーショックだった。まあ、ブラが必要ないくらいの胸しかないんだが。今日もブラではなくキャミソールで済ませているし。

 それと、腰が細い割に尻のサイズがそこそこあった。後でノワールに聞いたところ、女子はヒップが大きくなりがち、ということらしいが。


「もう服を着て大丈夫ですよ」

「ありがとうございます」


 お許しの声がかかった時には思わずほっと息が漏れた。

 そこからは主にノワールの仕事だった。学用品として扱っているあれこれ(教科書なんかはさすがに別で、あくまでも衣料品関係だけ)がリストとして提示され、サイズや数量を決定していく。


「あと一年もありませんからそんなに数は必要ないと思いますが、洗濯のことも考えますとブラウスは三枚くらいあった方が──」

「そうですね。予備という意味でも体操着は二着で、それから──」


 てきぱきとした話し合いを横で聞きながら、ノワールに来てもらって良かったと心底思う。

 手持ち無沙汰の間にリストを横目に眺めると、体操着や制服、ブラウス等々、纏めると結構な値段である。私立の女子校だからなのか、それとも標準的な価格なのか、男子だった頃も母親に任せきりだったため判断がつかなかった。

 まあ、各一着分の費用は国から出るらしいし、俺も一時的に金持ちなのであまり心配はないが。


「では、こちらで手配させていただきますね。お急ぎということなのでなるべく早くお渡しできるように致しますので」

「よろしくお願いします」


 ノワールと一緒に頭を下げ、会計を済ませて無事、任務完了。

 これで帰れる。

 俺は意気揚々と店の出入り口へと向かい──ノワールに「アリスさま」と呼び止められた。


「せっかくだから見て行きましょう?」

「……そうでした」


 まあ、俺としてもスポーツ用品は興味がないわけでもない。

 男子高校生用のランニングシューズを眺め、男だった頃は手が出なかったそれらを今なら買えることに溜息をついたり。

 自主トレ用のウェアなんかをついでに眺めて「男子用の方がシンプルでいいなあ」と言ったら「似合わないから駄目です」とノーを突きつけられたり。

 寄ってきた店員とノワールが一緒になって声を弾ませるのを蚊帳の外から眺めたりした。


「なんだかんだ、結構時間がかかりましたね……」


 スマホを見ると時刻は正午を過ぎていた。

 ノワールは俺の言葉に頷いて、


「そうですね。じゃあ、今日は二人で外食してしまいましょうか?」

「いいんですか?」

「はい。でも、他の皆さまには内緒ですよ?」


 専業主婦の役得という奴に便乗させてもらえるらしい。


「なら、今日のお礼に代金は俺が……」

「アリスさま。子供は素直に甘えていいものなんですよ?」


 当然のことを言ったつもりの申し出はあっさりと却下され、俺は少々申し訳ない気分になりつつ、ノワールと二人で街のレストランに入った。

 そこで食べたハンバーグランチと、デザートのアイスクリームは絶品だったことを付け加えておく。

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