王女と猫の中庭―Bitter story―

R・S・ムスカリ

―Bitter story―

 私はロミを愛している。





 ロミは、私の幼馴染だった。

 身分の差はあれど、私にとって数少ない心許せる友。


 だから私はロミを愛している。





 ロミは、私の国を守る騎士団の精鋭だった。

 いつも身を挺して、私を守り抜いてくれる偉大な英雄。


 だから私はロミを愛している。





 ロミは、私にかしずく従騎士だった。

 いつも私を傍で支えてくれる、誰よりも頼れる人。


 だから私はロミを愛している。





 ロミは、私と一緒にいる時に必ず言ってくれる言葉がある。

 いつだってあなたの幸せを願っている、と。


 だから私はロミを愛している。





 そのいずれかが欠けても、私がロミを愛することはなかっただろう。





 しかし、それゆえに私たちは結ばれない。





 ロミエル・ハルジオンが国王より女男爵バロネスの爵位を叙勲したのと同じ日、私との秘密の関係が白日の下にさらされた。





 ◇





「ロミエルよ。本日付けで近衛騎士団の任を解き、お前にはオリヴィア領の統治を任せる。引き受けてくれるな?」


 謁見の間で国王の前にひざまずくロミは、顔を曇らせていた。

 若くして女男爵バロネスの爵位を授かるなど、争いのない小国では非常に稀有なことだった。


「……陛下。私は……」

「オリヴィアは自然豊かな土地だ。病気がちな父上も楽をさせられよう。……よもや、断ることはあるまいな?」


 父の玉座の隣で、私は身を強張らせながらロミを見つめていた。

 うつむく彼女の顔は苦渋の色を浮かべている。


 ……ずるい。

 お父様は卑怯だ。


 私は居ても立っても居られなくなり、強ばる体を奮い立たせて声を上げた。


「お父様。爵位の叙勲を口実に、ロミを私から遠ざけるおつもりですか」

「……ジュリア。わしはロミエルを正当に評価しているつもりだ」

「評価は異論ありません。しかし、早々に都から追い立てるなんて……!」

「それは誤解だ」

「何が誤解なものですかっ」


 私は玉座から腰を上げて、お父様を睨みつけた。

 普段こんな慎みのない無礼な行動はしない。

 でも、今回ばかりは礼儀がどうのとは言っていられない。


「私とロミが愛し合うことが、そんなにいけないことなのですかっ!?」


 感情的に、声を荒げた。

 私とロミを引き離すなど、それしか考えられないから。


 謁見の間に並ぶ家臣たちは、一様に顔を強張らせる。

 それを見て、私は父だけでなく、彼らも事情を知っているのだと察した。


 深い溜め息をついた後、お父様は口を開いた。


「ジュリア、よく聞け。我が国は弱い。帝国の統治下でしか生きられぬ属国よ。代々、この国の王は娘を皇子殿下に嫁がせてきた。次は、お前が殿下に嫁ぐのだ」


 ……そんなことはわかっているわ。

 子供の頃から飽きるほど聞かされてきたことだもの。


「そんなお前が、自国の騎士と――しかも同性と恋仲にあったことが知れたらどうなるか……言うまでもなかろう?」


 ……重々承知していますとも。

 だからって、自分の気持ちに嘘はつけない。


「わしの代でその慣わしを破るわけにはいかん。わかってくれ、ジュリア」

「わかりませんっ! 騎士との恋が悪いのですか!? 女同士の愛は異端でしょうか!?」

「どちらも許されん。少なくとも、この時代、この国ではな」

「だからって……!」


 私は、ひざまずいたままのロミへと視線を戻した。

 彼女は顔を深くうつむかせていて、今はその表情をうかがえない。

 でも、床に置いた拳を震わせているのは、私にもわかった。


 どうしてこんなことに?

 ずっと秘密にしてきた私たちの関係を、誰が密告したの?

 私たちの関係を割こうとするその誰か・・・・が憎い。


「ロミエル。返答を聞かせてもらおうか」


 父の冷めた言葉が、ロミへと投げかけられる。


 私の力では彼女を助けられない。

 王女の地位など何の役にも立たないのだ。

 王家の女は、いつだって政略結婚の道具にしか過ぎないから。


 ……胸が苦しい。

 私が無力なせいで、ロミとの仲が引き裂かれてしまう。

 そんな許しがたいことに抗えないなんて……!


「陛下――」


 ロミが顔を上げた。

 そこには何の色もない、いつも通りの澄ました表情に戻っていた。


「――農家の娘だった私を取り立てていただいた上、女男爵バロネスの叙勲、ありがたく存じます。しかし、この地を去る命令だけは従いかねます」


 ロミの返答に、家臣たちがざわめいた。

 お父様は深々と溜め息をついて、彼女にあらためて問いかける。


「わしの恩情を受け入れてはくれぬか……」

「自分の気持ちに嘘はつけません。私は、ジュリア王女を愛しているのです」

「ならば、死よりも辛い罰を与えねばならん。覚悟の上か?」

「この地に留まることが許されるのなら、我が身がどうなろうとも構いません。いかなる罰も受け入れる所存」

「……そうか。仕方あるまいな」


 お父様が利き腕をあげた。

 すると、玉座の横にある袖幕から、濃紺色のローブをまとった老人が現れた。

 話したことはないけれど、私はその老人を知っている。


 彼は国一番の魔法使い。

 その名は帝国にも届いているという、魔法や呪術のエキスパートだ。


「陛下。よろしいので?」

「やむをえまい。……頼む」


 魔法使いはロミの前に立つと、樫の杖の先を床で突いた。

 その途端、杖がぼんやりと紫色に輝きだす。


「ロミエル・ハルジオン、立たれよ」


 魔法使いの言葉に従い、ロミが立ち上がる。

 彼女の視線は魔法使いに向いていて、私を一瞥もしてくれない。


「そなたの罪は本来なら死刑。さらには陛下の恩情まで受け入れられぬと申すならば、そなたには呪いを受けてもらわねばならぬ」

「覚悟の上です」

「そなたなら、いかな呪いかは知っておろう」

「はい」

「……地獄の苦しみぞ?」

「この想いを胸に地獄へ落ちるのならば……本望」


 ……お願い、ロミ。

 私を見て。こっちを向いて。

 あなたの顔が見たい。

 また私に微笑ほほえんで。


 杖の輝きが増していく。

 魔法使いの周囲を暗い煌めきが覆い隠すや、彼は呪文を唱え始めた。


「ヴー・ビャー・アスク。ヴー・ビャー・アスク。招かれざるゲーティアの楽団。一抹の音色、ベレトの闇をたまわらん――〝コンヴェル・シオン〟」


 杖を通して、魔法使いからからロミの体へと紫色の煌めきが乗り移っていく。

 彼女の銀色の髪が。白い肌が。

 暗く変貌する様を見せられて、私は全身の毛が逆立った。


「ロミッ!!」


 私の声が届いたのか。

 不意にロミが私を見つめて、微笑ほほえんだ。


 胸当てが落ち。

 籠手が転がり。

 具足が倒れ。


 彼女の全身を包んだ煌めきが収まった時には――


「ロ……ミ……?」


 ――ロミの居た場所には、銀色の体毛を持つ猫が座っていた。


 栗色のつぶらな瞳に見る気高い表情。

 美しい銀色になびく毛並み。

 剣のように尖った長い尻尾がゆらりと宙へ立ち上がる。


 ……猫は、鳴き声ひとつ上げない。


「陛下。御覧の通り、呪いは到りましたぞ」

「ご苦労だった――」


 お父様は猫を一瞥すると、家臣たちへと声をかける。


「――誰ぞ、その猫を中庭へ連れてゆけ。しばらくすれば、他の猫たちと家族になろう」


 家臣に運ばれていく猫を、私はじっと見つめていた。

 その姿は、挙動は、猫そのもの。

 彼女は私に振り返ることもなく、謁見の間から連れ出されてしまった。


「自分が何者であったか、さらにはジュリア様のことも覚えてはおりますまい」

「それで良い。それがロミのためでもあろう」


 魔法使いとお父様の話を聞いて、私は絶句した。

 大切な何かが欠けたような、言いようのない恐怖を感じる。

 まるで心に穴が空いてしまったかのよう。

 絶え間なく、不安と焦燥と後悔が押し寄せてくる。


 ……これが絶望というものなのね。


「ジュリア。近く帝国より皇子が参られる。過去は忘れ、先のことを考えよ」

「国のために……娘から愛を取り上げますか」

「この国のためだけではない。わしは、お前にも幸せになってもらいたいのだ」

「私の幸せは、たった今潰えました」


 その場に投げ出された彼女の武具を見つめていると、私の頬を涙が伝った。

 今はもう誰も拭ってくれない涙。


 ……二度と泣くまいと、私は誓った。





 ◇





 私は猫が好かなかった。


 王宮の中庭には、祖父の代から数匹の猫が飼われている。

 最初の猫は祖父が拾ってきたそうだ。

 そんな所以ゆえんからか、猫たちは王族が世話する慣わしがあった。

 父も、母も、すでに嫁いだ姉も、次期に国王となる弟も、その猫たちをずいぶんと可愛がっていた。

 でも、私は一度たりとも彼らを世話したことはない。


 なぜだろうか。

 ……きっとそれは、籠の中の鳥のように、誰かの世話がなければ生きられない存在だからかもしれない。

 そう。この私のように。


 だから、中庭に立ち寄ることなんてほとんどなかった。

 それが一転して、今は毎日のように訪れている。

 ロミが私を覚えていてくれるかもしれない。

 そんな淡い期待を抱いていたから。


「ロミ」


 でも、そんな都合の良い呪いなどありはしないのだろう。

 彼女は私が声をかけても、知らんぷりしている。

 それどころか、私が近寄ろうとすると逃げるように走り去っていく。


 ……他の猫たちと同じ反応だわ。


 あの銀色の猫は、もうロミではないのね。

 私は中庭に訪れるたび、その現実を突きつけられた。


 そんなある日のことだった――


「ジュリア様」


 ――魔法使いが私に話しかけてきたのは。


「あなたも中庭こんな場所に訪れるのですね」

「人間でありますれば、穏やかな時を必要と致します」

「人を呪う者に安息など許されますか?」

「そうかもしれませぬ」


 魔法使いは、銀色の猫を見つめる私の隣にぼうっと立っている。

 じっと黙っている彼は、まるで枯れた樹木のよう。

 音もしなければ、臭いもしない。

 一体いくつなのかは知らないけど、植物のような人間だと思った。


「ジュリア様。ロミエル・ハルジオンのことはお忘れなさい」

「あなたも人間なら、私の気持ちがわかるのではなくて?」

「どうでしょうか。暗き道を歩んできたゆえ、人の心はわかりませぬ」

「私が男だったら、きっとあなたを殴り殺しているわ」

「小生を殺して気が済むなら、甘んじて受けましょうぞ」

「冗談よ」


 魔法使いに報復したところで、何の意味もないわ。

 もう何をしたって、ロミが帰ってくることはないとわかっているもの。

 ……でも、どうしても諦めきれないの。


「ねぇ。私も猫にしてよ」

「できません」

「できるでしょう! 他人を呪うのが務めのくせにっ!!」


 思わず言葉を荒げてしまった。

 中庭の清掃をしている女中たちが、驚いた様子でこちらを見入っている。

 ロミが隣に居てくれた時は、こんな品格に欠けるような真似はしなかったのに。


 私、荒れているんだわ。

 心がざわついて落ち着かない。

 ……苦しい。


「猫になんてせず、国外追放にでもしてくれればよかった」

「駆け落ちは許されませぬ」

「猫にするくらいなら、一思いに処刑してくれればよかった」

「後追いは言語道断」

「なら、どうしろって言うのよ!?」

「忘れることです。どんな辛い記憶も、忘れられるが人の特権」


 心がざわつく。

 帰ってくる正論すべてが、私の苛立ちを掻き立てる。


「ロミを元に戻してよっ!!」


 私は全身を沸騰させるような激情に身を任せて、魔法使いに掴みかかった。

 すると、どういうわけか……。

 ローブを掴み上げたはずが、私が掴んでいたのは数枚の枯れ葉だった。


「王女殿下に触れられるなど、恐れ多い。ご無礼お許しを」


 魔法使いの声が後ろから聞こえてきたので、私は驚いて飛び跳ねそうになった。

 振り向くと、さっきと変わらぬ老人の姿がそこにある。

 ……なんて不可思議な人なの。


「魔法使いならロミを元に戻せるでしょう。お金ならいくらでもあげるから、彼女を私に返してよっ!」

「ロミエル・ハルジオンの覚悟の結果ゆえ。そういうわけには参りませぬ」

「じゃあ、ロミは一生猫のままなの!? もう私のことを思い出してはくれないの!?」


 私は腰が抜けてその場にへたり込んでしまった。

 そんな私を心配して、女中たちが一斉に駆け寄ってくる。

 ……私が助け起こしてほしいのは、あなたたちじゃない。ロミなのよ。


「お願いよ、魔法使い。ロミを助けてくれれば、彼女とは二度と会わない。帝国にも嫁ぐから……!」

「わかっていらっしゃるのでしょう。小生が頷かぬこと」

「……そうよね。あなたもお父様側だものね。私を政策の道具としか思っていない」


 その時、顔色ひとつ変えない魔法使いの視線がブレた。

 ……ような気がした。


「仮に……被呪者が抗い続けたならば、十年もすれば呪いもほつれましょう」

「呪いは解けるということ!? 時間が解決してくれるのね!?」

「しかし、猫の寿命はせいぜい十年。その頃には、あの猫も土へと還っておりましょう」

「そんな……」

「忘れることです」


 最後にそう言い残して、魔法使いは中庭から出て行ってしまった。


 ……十年。

 ロミが帰ってくるのであれば、決して長い時間ではない。

 だけど、私が自由に使える時間はもう残り少ない。


 ……忘れる。

 それが正解なのでしょうけど、忘れられっこないわ。


「ロミ……」


 いつからか、銀色の猫がじっと私を見つめていた。

 そのつぶらな瞳を見ていると、目の前が滲んで涙が出てきそうになる。


 ……でも、泣かない。

 泣いてたまるものですか。


 ロミが帰ってくる日まで。

 彼女が戻ってきた時に嬉し涙で迎えるまで。

 私は絶対に泣かない。

 そう決めたから。





 ◇





 ……それから時が経った。


 私は帝国の皇子に娶られ、子供も生まれた。

 どんな辛い過去があっても、いつしか人は乗り越える。


 夫からは愛され、私も夫を愛している。

 その結晶が私の子供たち。

 もちろん彼らも心の底から愛している。

 私は今、きっと幸せなのだ。


 いつだったか――


 婚姻のためにいよいよ国を出ることになった日。

 私は王宮を出る際、中庭へと立ち寄った。

 銀色の猫――ロミは、やっぱり私を遠くから見つめているだけだった。

 その頃にはすでに年老いて毛並みも乱れていたけれど、その立ち振る舞いは相も変わらず気高いものを感じさせた。


 ――もう何年も前のこと。


 そして、今また私は故郷ふるさとへ帰ってきた。

 夫の許しを得て、私は子供たちを連れて懐かしき王宮へと戻ってきたのだ。


 あれから十年。

 久しぶりの王宮は、思いのほか記憶と違っていた。

 人も、物も、時の流れが変えてしまっていた。


 それでも、私の記憶からほとんど変わらぬものもある。


 年老いた父や母。

 立派になった弟。

 世話になった女中や家臣たち。

 そして、懐かしき中庭。


「草木や花壇の匂い、十年前あの頃から変わりないのね」


 私は子供たちに手を引かれ、中庭へと入った。

 猫を見つけるたび、子供たちは彼らを追いかけて広くはない庭を駆け回る。

 王族とは言え、まだまだ落ち着きのない年頃だものね。


「元気なお坊ちゃんたちですね」

「ええ。兄弟そろってやんちゃで困っているわ」


 子供たちと猫の追いかけっこを見ているさなか、老婆が話しかけてきた。

 少し腰の曲がった白髪の老婆。

 見覚えのない顔だわ。

 中庭にはあまり立ち寄らなかったから、私の知らない女中もいたのね。


「ジュリア様が知っている猫は、もうおられないでしょう」

「……そうね。数も増えて、ずいぶん賑やかになったものだわ」

「ですが、生まれて間もなく死んでしまった子猫も多く……。助けを求めている子を救えないのは、歯がゆいものです」

「気持ちはわかるわ。でも、その傷も時間が癒してくれる」

「同意いたします」

「……あなたは猫のお世話係?」

「いいえ。それは陛下とご家族のお役目。わたくしは庭師でございます」


 老婆は園芸用の小さなハサミを持っていた。

 お年寄りが庭師だなんて、大変なお仕事だこと。


「ジュリア様っ! お父上がお待ちですよ~!!」


 中庭の外から、女中が私を呼ぶ声が聞こえてきた。


「お父様ったら、よっぽど孫と会えるのが嬉しいのね。これで何度目だか……」

「お幸せそうで何よりです」

「お話できて嬉しかったわ。ありがとう」


 老婆はニコニコと笑みを絶やさぬまま、私と子供たちを見送ってくれた。

 ……なんだか、とても暖かい人だったわね。





 ◇





 楽しい時間というものは、過ぎ行くのも早い。


 里帰りして三日。

 私はいよいよ帝国へ戻ることとなった。


 次に戻ってこれるのはいつになるかしら。

 五年? 十年? もっと後になるかもしれない。

 そう考えると、故郷ふるさとを出るのは名残惜しくなる。


 王宮の入り口には、私を見送るために大勢の人が集まってくれた。

 父と母と弟に加えて、お城の家臣や女中まで全員。

 こんなに嬉しいことはないわ。


「……あら。魔法使いはどうしたの?」

「あやつはもうこの国にはおらんよ。数年前に同盟国へと派遣され、今は向こうの宮廷魔術師として働いておる」

「そうなのですか」


 魔法使いには会って謝罪をしたかった。

 十年前あの時は彼の立場も考えず、無理難題を言ってしまったものね。


「……お父様。もう一人、庭師の方がいらっしゃいましたよね?」

「庭師なら、先ほど挨拶を済ませたばかりではないか」

「え?」

「我が城は小さいからなぁ。庭師も一人いれば十分だ」


 庭師が一人?

 たしかに家臣の列には、つい今しがた挨拶をした庭師がいる。

 なら、数日前に中庭で出会った老婆は一体……?


「白髪のお婆さまがいませんでした? 庭師と名乗る方とお話したのですが」

「白髪? そんな老婆など女中にはいないが……」


 ……どういうこと?

 お父様が知らないなんて、あの老婆は一体誰?


 その時、私は不意に魔法使いの言葉を思い出した――


『仮に……被呪者が抗い続けたならば、十年もすれば呪いもほつれましょう』


 ――十年。呪いのほつれ。


 呪いが……解ける……?


「まさか……」


 とっさに、私の脳裏によぎった顔。

 今も色褪せることなく覚えているその顔。

 彼女は、銀髪。


 あの老婆の髪の毛は――


「……銀髪だわ!」


 ――艶を失った銀色の髪。

 それが白く見えていたのよ!


「ジュリア!? どこへ行く」

「お父様、子供たちをお願いします! すぐに戻りますからっ」


 私は見送りの列を掻き分けて、中庭へと走った。


 まさか。

 そんなまさか。


 十年。

 彼女は待っていてくれた。

 私を待っていてくれた!!


「ロミッ!!」


 私が中庭へ飛び込むと、輪になっていた猫たちが驚いて散り散りに逃げていく。

 その時、私は視界に彼女・・の姿を捉えた。


 白い髪の老婆。

 あらためて見ると、たしかにその髪は艶を失った銀色だった。


「お帰りになられたのかと」


 彼女は穏やかな笑みをたたえながら、私をじっと見つめている。

 私は激しい鼓動を懸命に落ち着かせながら、彼女に問う。


「ロミ、なんでしょう?」


 老婆は間を置いて――


「はい」


 ――私の問いに答えてくれた。


「ロミ。ずっと私を待っていてくれたの?」

「待っていました。ジュリア様の心の穴を埋める務めが残っていますから」

「心の穴?」

「今こそ、すべてをお話しします」


 ロミはそう言って、ふらりと中庭を歩き始めた。

 私もいざなわれるように、ゆっくりと彼女の背中を追いかけた。


「ジュリア様と私の関係を陛下に密告したのは、私自身なのです」

「なんですって!?」


 ……そんな、嘘でしょう?

 秘密を密告したのは、ロミだったと言うの?


「どうしてそんなことを……!?」

「私との秘密が続けば、この国に未来はありませんでした。何より、あなたを不幸にしてしまう。ですが、私は離れられなかった。自分自身の想いを止められなかった」

「ロミ……」

「だから密告したのです。私の務めを果たすために。あなたの幸福を守るために」

「そんな……そんなの……」


 私を幸せにするために、あなたはあえて・・・呪いを受けたと言うの。

 私が背負うはずの不幸を、私から取り去って。

 すべての責任を一身に背負い、十年間も人ならざる姿で……。


「呪いを受けたことで、私はあなたの幸せを守ることができた。でも、それによってあなたを傷つけたのも事実――」


 ロミは振り返ると、私に深々と頭を下げた。


「――お許しください、ジュリア様」


 あなたが謝ることなんて何もない。

 私があなたを愛したせいで、あなたは大切な時間を失ってしまった。

 謝るのは、きっと私の方なんだわ。


「もっとよく顔を見せて、ロミ」


 顔を上げたロミは、頬に溢れんばかりの涙を流していた。

 私も同じ。

 ただただ、再会できたことが嬉しくて……私は泣いた。


「怒っているわけないわ。正直に告げてくれて、ありがとう」


 私はロミと手を取り合って、涙を流し合った。

 お互いに笑顔を絶やさぬまま、私たちは実に十年ぶりに見つめ合ったのだ。

 年を取っても、ロミの気高い瞳は変わらない。

 いつまでも美しい瞳……私が何度も見惚れた双眸そうぼう


 ……なんだろう。

 ずっと心に空いていた穴が塞がったような。

 まるで青い草原を黄金の風が吹き抜けるような、清々しい心地がする。


「ジュリア様。あなたの帰る場所はここ・・ではありません」

「ロミ……」

「遠い過去の思い出は幻。お戻りください、あなたがいるべき場所へ」

「もう、会えないの?」

「会えるとするなら、思い出の中で。あるいは、夢の中でも」

「そうね。きっとまた、会えるわね」


 その時――


「お母さま~」

「どこぉ~」


 ――子供たちの声が聞こえてきた。


 ロミはすっと私から手を離すと、ゆっくりと後ずさっていく。

 代わりに、子供たちに手を握られた。暖かい手。


 ……そうだ。

 私の幸せは、ここにあるのだ。


「ジュリア様。今のあなたは……幸せですか?」

「幸せよ。すっごく……幸せ」

「よかった」


 ロミがひと際大きな笑顔を見せる。

 その矢先、私は子供たちに引っ張られて彼女に背を向けることになってしまった。


「振り返らないで、ジュリア様――」


 ロミの声が小さくなっていく。


「――さようなら。お幸せに」


 そして、それっきり彼女の声は聞こえなくなった。


「さようなら。私の愛した人」


 子供たちに引っ張られながら別れを告げて……私は中庭を出た。





 ◇





 ……その後。


 私は帝国皇子の妻として一生を過ごした。

 息子は帝国の新たな皇帝となり、私の祖国も少しだけ大きくなった。


 私は猫を飼った。

 偶然手に入れたのは、銀色の毛並みの猫だった。

 もちろん魔法も呪いもない普通の猫。


 ロミとは二度と会うことはなかった。

 時折、彼女との淡い青春時代を思い出すのみで、夢にも出ない。

 でも、決して忘れることはない。





 ロミという女性がいたことを。





 私が彼女と愛し合っていたことを。









――fin――

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