第四章【樹形図】8

 灰色の彼は何も言わず、語らない。加えて、先程から囲炉裏の中央をじっと見つめたままだ。それに、此処へ来てから彼が発した言葉の数はとても少ないように思える。私には彼の考えていることなど分からない。それでも、どうしてか彼の心情は分かるような気がした。それがたとえ、全体の内のごく小さな砂粒のような質量だとしても。


「なあ、もし見当違いだったら悪いが。朽葉が語ることによって朽葉は身を危ぶめていて、それをお前は心配している。違うか」


 すると傍目にもはっきりと分かる程、彼は身を震わせた。見ている所は依然として囲炉裏の中央から変わらないし返って来る声も無かったが、それが何よりも彼の答えであるように思えた。私は慎重に言葉を選び、話した。


「朽葉はお前の友人なんだよな。はっきりとは分からないが、お前達が何かを私に伝えて助けようとしてくれていることは、おぼろげながら分かる。それはとても……とても、嬉しい。うまくは言えないが、この町で私の助けと成り得るのはお前だけだと思っていた。そして今日、此処に来てからはお前と朽葉になった。それ以外の人間や他の生き物からは、得体の知れないものを覚えるだけで、たとえばこの町の疑問を尋ねるとか、そういったことは出来そうに無かった。


 さっきの朽葉の言葉を借りるなら、誘導されているとでも言うのかな。私の本意をうまく覆い隠して遠く遠くへ運び、代わりに自分達の――菓子商店の女主人や売り子の意思を無理矢理にでも私に渡そうとして来ると言うか。それに私は気が付かないんだ、その時は。やがて違和感を覚えたり、違和感を無くしたりしている内にいつしか時間が経っていて、今日と明日の境目が滲んで分からなくなる。多くあった筈の疑問が知らぬ間に数を減らし、大きさを失う。


 それから、ここ数日の間が、まるで数年のような重さを持って私の中にある。それなのに重さばかりがあるだけで中身が伴わない。空虚だ。そのことに朽葉の放つ言葉を聞いていて気が付いた。もしかしたら他にも多くのことに気が付けるかもしれない。分からないことが分かり、知らないことを知り、何かが変わるかもしれない。今、そういう期待と不安の中にいるんだ、私は。


 正直に言えば、私は朽葉の話をもっと聞きたい。けれど、それによってお前が――たとえば友人を失うようなことになるのなら。朽葉が危険な目に遭うのなら。私は、もう充分だ。あとは何とか、自分でやって行くさ」


 最後の言葉は強がりでしか無かった。私はまだ、歩き出したばかりの赤子のような存在だ。情けないが、そう思う。この町での正しさも何も知らないまま、また此処で灯火を見失うようなことになれば、そしてまた時間が流れて行けば、元の木阿弥もくあみになってしまう可能性は否めない。


 だが、私が此処まで辿り着くことが出来たのは、ひとえに灰色の彼と朽葉の厚意に他ならない。本音を言えば、結末まで導いてほしいという心情はある。何しろ、自分でどうにかするにも限度がある事態だ。いや、限度があった所でその全体容量の一割にも満たないかもしれないのだ、私の努力は。


 しかし、それは私の事情であり、彼らの事情では無い。また、彼らの立場や存在とでも言うものを危うくしてまで私がもやから抜け出す道理も無いのだ。


 彼らには彼らの事情や状況が有り、私には私の事情や状況が有る。それだけのことだ。そのバランスを崩してまで、どちらかがどちらかを助けねばならないという決まり事など無いし、義務も無い。私は本当に感謝していた。灰色の彼と朽葉の両者に。だからこそ、留まるべき所をきちんと見極めておきたいのだ。

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