第四章【樹形図】7

 その時、不自然に雨風の音がひどく増したように思えた。それはどうやら気のせいでは無かったらしく、朽葉と灰色の彼の両者も周囲に目を動かせた。


 しばらくの間、沈黙が守られ、私を含む誰もが緊張の色を濃くしていた。そのように映った。ややあって、朽葉が静かに腕と思われるものを伸ばして囲炉裏の中へと入れた。微かに灰が舞う。火の点いた炭が見える。そこへ手を入れるなんてと思い、私が制するよりも早く朽葉は言った。


「こんなものでも無いよりはましなんだ。気休め程度かもしれないけれど、少なくとも此処には誰も入ることは出来ない。原理は僕にも良くは分からない。獣は火を恐れることから由来しているのかもしれないけれど、幾ら長くいても分からないことは多くあるし、次々と疑問や疑念は生まれる。この場所を知り尽くしているのは女主人くらいかもしれない。あとは、あの白猫かな。ちなみに僕らはあいつが嫌いなんだ」


 がさがさと囲炉裏の中を掻き混ぜていた朽葉は不意に手を止め、ちらりと灰色の彼を見た。まるで同意を求めるように。対する灰色は、何とも言えない顔で黙ったまま、囲炉裏の中心から視線を動かさなかった。そして一つ、長く細い溜め息をついた。


「お前は本当に話しすぎるな」


 そう言い、灰色の彼は寒さを堪えるかの如く体を震わせた。


 そして、


「だから、あまり気乗りはしなかったんだ」


 と付け加えた。


「別に誰彼構わずこうじゃない。他ならぬ君が気に掛けているというからこそ僕は話しているんだ。勘違いしないでほしいな。僕だって自分の身は可愛いさ」


 朽葉は心外そうに告げて囲炉裏から手を引く。灰を払うように何度かその細い手を振るうと、ぱさぱさと粒子が宙を舞い、落ちた。


「ええと、何処まで話したかな。三という数字についてだったかな」


 私が同意すると、そうだよね、と朽葉は満足そうに頷き、続きを話し始める。


「つまり、此処にいたいなら三を超える。此処にいたくないなら三を超えてはならない。そういうことなんだ。ただ、その判断を付けることはほとんど自分では不可能だ。大体の者が押し流されるようにして三を通り過ぎてしまう。気付いた時にはそれはもう遥か後方で、どれ程に戻りたいと思っても戻れない。そうして、やがては喰われてしまう」


「おい、喰われるとはどういうことだ?」


 物騒な言葉に私は慄きながら尋ねた。すると朽葉は何でも無いことのように全く声の調子を崩すこと無く、そのままの意味だよ、と言った。


「食事にされてしまうのさ。勿論、しばらく使われた後でだけれど。この辺りは今のところ詳細に話す必要はないから割愛するね。と言うか、僕の知っていることで、かつ、話せることを些末さまつな事柄も含んで全て語ると夜が明けてしまう。いや、夜が明けても語り終わらないかもしれない。とにかく、必要最小限だけを伝える。樹形図が分かりやすいかな。少し待っていて」


 言い置いて朽葉はふわりと宙を舞い、部屋を出て行く。あとには何を考えているのか全く読み取れない無表情とも言える灰色の彼と、与えられた情報を取りまとめることで精一杯の私が取り残された。

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