第四章【樹形図】6

「先にも述べておいた通り、詳しくは言えないけれど。今、君は考えていた筈だ。僕の言ったことについて、自分の心情について。けれども考えがまとまらない。まとまらないばかりか、自分が何を望んでいて何を望んでいないのかも良く分からない。違うかな」


 それは、まさにその通りのことだった。私の思っていた通りのことであった。半ば反射的に頷き、私は身を乗り出す。どうして私のことが今日会ったばかりの彼に分かるのか、私は不思議でならなかった。


  同時に、こいねがう気持ちでもいた。もう「分からない」ことは耐えられなかった。いや、また少しずつ時間が過ぎて行けば、少しずつその感情すら削ぎ落とされて行くのであろう。そう、その予感にも耐えられなかった。


 私は私が本当に望んでいることを知りたかったし、本来の私を取り戻したかった。それを自分の手で行えないことは悔しいが、そんな些末さまつな思いに捉われている場合では無いように思えた。何もかもが霞んでいる中で、焦げ付くような焦燥だけが今という時間における限定事として内に存在している。私はこの熱を取り逃がしてはならないと強く認識していた。


「この町に対する疑問、自分に対する疑問。そういう不透明なことだらけの中で、考えるべきことの多くある中で、唯一選び取ることが、あの菓子商店で働くことというのはどう考えてもおかしなことなんだ。勿論、分からないことが見えて来るかもしれないという期待が菓子商店にあるのは分かる。


 けれど、それは誘導された結果であって本来の君自身が進んで望んだことでは無いし、もっと言ってしまえば望むべきことでも無い。深く思考することは出来ないかもしれないけれど、考えてみて。疑問だらけの現状に放り出された時、何度か足を運んだだけの店で仕事をしようなどと思えるだろうか。僕ならそうは思えない。僕なら、こう思う。どうして自分は此処にいるのだろうかと」


 ――ドウシテジブンハココニイルノダロウ。


 その十七つの音が、それぞれにくっきりとした輪郭を持って光の粒の如き形を取る。それらは確かに私の身の内側で誇張され、主張された。そして音が再構成され、元の形に戻った時、私は長い夢から覚めたような心持ちになった。


 だが、それはあくまでも心持ちに過ぎない。肝心なことはまだ分かってはおらず、私自身、具体性のある真実を掴んだとは思っていないのだから。しかしながら、それは此処に来て初めての感覚であり、好機であると思えた。見えては隠れ、見えては隠れを繰り返す何がしかの尾の先に触れた。それぐらいには思えていた。


「おい、朽葉。少し話しすぎる」


 はっとして私が声のした方を見ると、幾分か渋い表情をした灰色の彼が朽葉を見遣っている。そこで私は、あまり詳しくは言えないということ、話すことには危険を伴うということを朽葉が告げていたと今更ながらに思い出した。


「仕方無い。これぐらいは言わないと難しいと思う。それに今日は三日目の雨だ。いい時機だよ」


「そうだ、その三という数字。何か意味があるのか? 確か彼も言っていた。完全トーティエント数とか……」


 私は今まで何度か気に掛かっていたことを尋ねた。どうも三という数字には何かしらの重要な意味があるように思えてならなかったからだ。勿論、私自身の考えでは無く、灰色の彼の考えに導かれたからに他ならないが。


「三は最小の完全トーティエント数。まあ、それ自体にはあまり意味は無い。完全云々は三という直接の呼称を避ける為に用いているだけなんだ。言わば、忌み名や隠し名のようなものだね。


 それで、三という数字には古来から様々な意味があってね。たとえば、物事の成り立ちとか物事が複雑化する象徴であるとか。色々な捉え方がある。此処では特に、そういう意で使われているんだ。つまり、物事の成立、或いは複雑化。或いは、反転」


「反転?」


「そう。もしくは現実化。この町では三という数字、回数が極めて重要な位置にある。君がそれを手にしてしまうと、君はもう此処を現実にするしかなくなるんだ。僕らのようにね」

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