第一章【振り返れ】3
幾つもの売り場を巡った後、さすがに疲れた私は手近な柱に寄り掛かり、休憩がてら小考した。此処は一体、何なのかと。菓子商店、そんなことは言われずとも理解している。私が思考すべきことは、もっと根本的なことだ。それこそ、私は此処にいて良いものだろうかと、そういったひどく基本的な所まで私は立ち返らざるを得ない。
しかし、一人で考え続けてみた所で正しい解は浮かばず、却って混乱を深くしただけのようだった。
あの女主人に尋ねてはみたのだ。此処は何処だ、と。だが、放たれたのは「此処は町一番の菓子商店さ」という言葉だけだった。そして、それ以上は私の問いに答えてくれることは決して無かった。私には、この広い店の中をうろつくことしか与えられなかったのである。
――そういえば、と私は柱に寄り掛かりながら思う。私の足元に付き従う、不思議な彼と初めて会った時のことを。
あの時、菓子商店内を私がうろついていたら、唐突に腹の底まで響きそうなくらいの低く静かな鐘の音が鳴り渡った。すると、それを合図としたかのように、それぞれの売り場は一様に閉店準備を始め、客は皆、誰もが同じ方向に向かって歩き出した。
どうやら、この鐘が閉店を知らせるものだと私は思い当たり、私も彼らの後に付いて出口を目指そうと一歩を踏み出した時だった。私は盛大に転び、強かに額を床に打ち付けた。どうやら何かに
「悪気は無かった。どうか許してほしい」
未だ床に座り込んだまま私が声のする方へと顔を向けると、其処には少なくとも私の見たことの無い、未知の生き物が存在していた。
「気になったものだから、つい近くで見ていたくなった。その欲求に従って行動した結果、お前を転ばせるに至ったようだ。だが先程も述べた通り、悪気は無いのだ」
私が沈黙したままだったことが気に掛かったのだろうか、
「大丈夫か? 頭を打ったのだろうか。人間は頭を強く打つと様々な弊害を得てしまうと聞いている。もしも今の衝撃で言葉の発音の仕方、或いは言葉そのものを失ってしまったということならば、どれ程の謝罪をしても償うことは出来ないだろう。それを承知で問いたい、私に何か出来ることはあるだろうか」
目の前で私に向けて話す生き物の外見は、座布団のようであった。これは決して、私が頭を打ち付けたことから生じた視認情報の誤りでは無いだろう。おそらく。
色は灰色。形は座布団のような正方形。それが座布団では無いと決定付けることには、耳と尻尾が表面から生えていることに他ならない。そして何より、座布団は言葉を話さないだろう。
「私の言っていることが理解出来ないのだろうか。それとも本当に言葉を失ってしまったのだろうか。どうか私の言っていることが理解出来ているのなら、今すぐ右手を挙げてほしい」
私は混乱していたのだろう。だからだろうか、私はその座布団のような不可思議な生き物の言葉に従ってしまった。すなわち、私は右手を挙げたのだ。
すると、その生き物は――生き物と判断して良いものか分からないが――何処か安堵したような雰囲気を携えて、灰色の尻尾を一度だけゆらりと振ったのだ。
「良かった。どうやら意思疎通は図れているようだ。安心した。ところで、この店は今日は店仕舞いとなる。とりあえず此処を出ないか?」
「……ああ。いや、その前に」
「私は何者か? そう問いたいのだろう。だが、そんな質問は全く意味の無いことだ。何故なら、ある存在がまた別の存在を正しく理解することなど不可能だからだ。せいぜい、名や容姿や好みなどを把握して理解した気になるということが人間の限界だ。それでも私について尋ねたいというならば止めはしない。しかし、全ては此処を出てからにすべきだ」
その言葉の、特に最後には抗い難い説得力が見えた。いや、言葉というよりも――目の前のこの生き物の放つ圧倒的な、それでいて正体の分からない力に私は反論する気力を削がれてしまう。
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