第一章【振り返れ】2

 やがて、この町一番の大きさであり、この町一番の評判を誇る、菓子商店が見え始めた。屋根の上の看板には堂々たる「菓子商店」の文字。他に名前の付けようはなかったのかと、私は見るたびに思う。


 暖簾のれんくぐって中へと入ると、入口付近に佇む売り子の一人が、こんにちは、と私に声を掛ける。こんにちは、と私は返す。今日で三日目ですね、お気に召す所が見付かると良いですね。そう、売り子が他意のない朗らかな笑顔と声で私に言う。そうですね。そう、私は答える。


 この商店の中は少し――いや、かなり変わっている。確かに、此処はこの町で一番大きな商店であり、外観もとても立派なものだ。だが、明らかに外から見た場合と内側の作りが異なっているのだ。まるで空間の法則を無視したかのような広さが、入口から店の奥まで信じられない距離感を以て、ぐんと広がっている。それは縦横に及ぶ。岸壁から遠く海岸線を臨んだような、果てしなく、吸い込まれそうになる程の距離が目の前に一気に広がる。そして、あるのは全て菓子売り場であった。


 この町の人はそんなに菓子が好きなのだろうかと、初めて此処を訪れた時、私はその有り得ない空間の広さと品揃えに圧倒されたのか驚愕したのか、それらからの逃避なのか――そんなことを考えた。


 菓子など女子供の食べるものと思っていたが、客には意外に男性も多く、売れ行きも良いようだ。私の思ったことはあながち間違いでは無いらしい。もっとも、売れ行きが良くなければ此処まで大きな店にはならないだろう。従業員の給金だけでも相当な額に上るのではないだろうか。そんな余計な心配をしてしまう程に商店の中は広く、売り場の数も多く、売り子の数も多かった。


 ただ、全てを見たわけでは無いが、どの売り場にも売り子は決まって一人しかいない。それでもこれだけの売り場の数だ、売り子の数もそれに等しいのならば相当の数になるのであろうと思っている。


 私はいつものように目的も無く、ぶらぶらとうろつく。いや、厳密に言えば目的も無くというのは正しくは無いのかもしれない。私が自身の中でそういう曖昧な認識にならざるを得ない理由は勿論、ある。事象には等しく理由が存在する。これは私の足元に付き従う彼の言である。


 この菓子商店の女主人は長い黒髪を緩く垂らした美しい人で、ひどく綺麗に微笑む。切れ長の瞳を細めて笑む、その姿は本当に綺麗だった。だが私は、其処に何かしら底知れぬ恐ろしさを覚えたのだ。美しさとは時に恐怖を与えるものなのだろうか。


 彼女は私に言った。気に入りの処を見付けたら声を掛けておくれ、と。それまではゆっくりじっくり、めつすがめつ歩くと良いさ、と。それが初日のことだ。


 私はその言葉の通り、広すぎる店の中に面食らいながらも彼方此方あちらこちらの売り場を渡り鳥のようにして歩いた。目下の所、私の目的というのは気に入りの売り場を見付けることだ。理由も分からないままに。


 そうしている内に気が付いたのが、一つの売り場には一人の売り子。そして、一つの売り場には一匹の猫ということだ。


 普通、食べ物を扱う店に動物は入れないものではないだろうかと、私は思った。だが、売り子も客も誰一人、それを気にしている様子は無かった。まるで私の感覚がおかしいのだと錯覚させられてしまう程に、彼らは自然に売り場に佇んでいた。

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