――リリーは途方に暮れた。

「……ウエイトレスは一朝一夕ではできません。慣れないと」

「でも、でもでもでも!」

 リリーは床を拭いていた雑巾を投げ出した。

 コーヒーを二杯こぼし、カップとソーサーを一組割り、クレームを一件受けた結果、リリーに接客は無理、という結論が出た。床の拭き掃除をしながら、リリーは泣きそうだった。

「あっちとこっちじゃ時間の流れが違うの。まさか、たった五年でお師匠様に孫ができて、そのうえ死んでるだなんて。この調子で、私がお代を払い終えるころには、……」

「うーん、ならお皿洗いはどうでしょうか」

 直生すなおはパチンと手を鳴らした。

「僕の手、最近荒れているので、お皿洗いを代わってもらえるだけで助かります」




――リリーはまた、途方にくれた。

 お店が閉まったあとのお皿洗いなんて、魔法でちょちょいのちょいだ、と思ったのが運の尽き。皿洗いくらいの操作魔法なら見逃してもらえると思ったら大間違い。過信していた。「自分にしかできないこと」が魔法だなんて。……過信していた。

リリーは大量の皿を宙に浮かせたところで、「なにかおおきなもの」に魔法を制御される感覚に陥った。右腕をほとばしる魔力がわだかまる。

 血の色で「警告。人間界での魔法の使用は禁止されています」と腕に刻まれたかと思えば――持ち上げていた十数枚の皿が一気に降ってきた。

 がっしゃーん!

 店中に響き渡る破壊音に、直生がすっ飛んできたのは言うまでもない。


 大量の皿のかけらを前に、リリーは項垂れた。

「直生。ごめんなさい。私、だめ魔女だわ……」

「正直に謝れるのだから、ダメではありません」

 直生は言った。けれどもリリーにも、彼が少し怒っているのが読み取れた。

「……――次は気を付けて」

「本当に、ごめんなさい……」

 割れたお皿を眺める直生の視線は、痛々しいくらい悲しく見えたから――リリーはその場を去って、居候としてあてがわれた部屋の隅っこに膝を抱えた。

「どうしよう」

 魔法界であったなら、リリーにできることはたくさんある。お師匠様仕込みの魔法。修復も創造も破壊もなんでもござれ。……でもここは、魔法の使用が禁じられた人間界だ。

「……私にできることなんか、あるのかな」

 お師匠様は遺言状で「お前にしかできないことがある」と言った。それが本当であるかどうか、もはやリリーにはわからなくなっていた。

「にゃー」

 ふと気配を感じて視線を上げると、マサ子さんが部屋の中に入ってくるところだった。リリーが腕を伸ばすと、彼女はその手に吸い付くように頭を差し出した。

「あんたも慰めてくれることがあるのね」

ふさふさの白い毛の中に鼻をうずめる。定期的にシャンプーに通っているらしい彼女からは、ふわっとしたやさしいにおいがした。ふと、開きっぱなしのふすまから差し込んでくる、カフェの暖かい光を見て、リリーは思い出した。

「……そういえば、直生はどうしたかしら」

 マサ子さんが先に立ってゆっくり歩いていく。リリーもそのあとに続く。直生は、リリーの割ってしまったお皿を丁寧に片づけているところだった。

「ねえ、直生」

「リリーさん。休んでいてよかったのに」

「……手伝う。手伝うわよ。自分の始末くらいつけなくちゃ、お師匠様に怒られるわ」

 彼は、マサ子さんとリリーとを見比べた。そして、ふうっと息を吐いた。

「お願いしようかな。箒を持ってきてくれる?」

「私のでよければ。ああ見えて、掃除するのにも良い箒なのよ」


 大きな欠片は拾い、細かい欠片は掃き集め、それから直生は「掃除機」をかけた。ひと段落着いた頃にはふたりとも汗をかいていて、びしょびしょになったお互いを見て、笑った。

「クーラーでもつけましょうか」

そう言う彼の指が三か所切れているのを、リリーは見逃さない。

「けがをしてる」

「いや、これくらい。舐めてればなおりますよ」

 魔法界ならば、ここで治癒の魔法をかけるのはたやすい。だけど……。

「人間界では、小さな傷には絆創膏を貼るの。そういうことになってるの」

「え、でも」

「いいから、絆創膏の場所を教えなさい」

「リリーさんにできるかなぁ」

「できるわよ!」

 四苦八苦しながら絆創膏と戦うリリーの様子を見て、大魔女の孫は懐かしそうに目を細めた。

「おばあちゃんも、不器用だったなぁ……。ね、マサ子さん」

「なーう」

 猫が同意して、直生の腕をべろべろと舐めた。


 結局、リリーに出来ることは、開店前と閉店後の掃除に落ち着いた。はたきで装飾の埃をはらい、床を箒で掃いて、テーブルやカウンターをふきんで磨き上げる。今のところ、大きな失敗はしていない。

けれど、リリーの頭の中からは、遺言の「お前にしかできないことがあるはず」という文言が浮かんで離れない。これは「私にしかできないこと」なのだろうか?

 マサ子さんはそんなリリーを暇そうに眺めていた。お客さんはほかにもたくさんいて、マサ子さんに構いたがる常連もいる中だ。しかし、リリーはそのことに気づかない。

 

 レジ横の天然石ブレスレットにハタキを優しくかけながら、リリーはふと、その石一つ一つが魔力を秘めていることに気づいた。そしてその魔力が「噛み合っていない」ということも分かった。色こそきれいに統一されているけれど、まるでちぐはぐで、効力を打ち消しあっているものもある。これじゃ、ただの石ころと変わらない。

 石には力があり、相性がある、というのがお師匠様の教えだった。白魔女は宝石の魔女。そしてリリーはその弟子だ。石についてはほかの魔女より詳しい。

 そして、このブレスレットが売れているところを、リリーは見たことがなかった。

 ――これだ。これしかない。

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