「もう店じまいなので、どんなお話でもどうぞ」

 ナポリタンとクリームソーダ、と直生すなおは言った。

「祖母がいたころからの看板メニューなんです。祖母はリリーさんにこれを召し上がっていただきたかったんでしょうね。味も、祖母直伝なんです」

「……おいしい」

 喫茶店の中は明かりが落とされて、先ほどまでとは全く違う店に思えた。ジェンガのように積み重なった漫画本や、命を模した造花や、レジ横に置かれている手作りの天然石ブレスレットや――ありとあらゆる箇所から、お師匠様のにおいがした。抱きしめられた時の腕のぬくもりのような、頭を撫でる優しい手の感触のような――包み込むような「におい」がしていた。

「死んでるなんて嘘みたいよ」とリリーは言った。「まるで今もお師匠様は生きていて、私を見ているみたい。この店自体が、お師匠様みたいだわ」

 クリームソーダの緑色の境界が白く溶けていく。

「ねえ、本当は生きているとか言わないわよね」

「……いいえ」

 直生は背後に積み上げてあった缶のなかから、クッキー缶を取り出すと、中に入っている紙を広げて読み始めた。

「本当は生きているんじゃないかと聞かれたら、生きようとする者が遺言状なんか書くわけないでしょう、おばか。とお言いなさい」

「……見抜かれてるわ」

「祖母は本当に魔女だったんですね」と直生は言った。リリーは大きくうなずいた。

「大魔女よ。お師匠様に並ぶ魔女なんか、数えるほどしかいなかったわ……――ねえ」

「この遺言を見せろと言われても絶対見せるなと書いてあります」

「ちぇっ」

 リリーは最後のクリームソーダを啜った。

「……お師匠様が居ないのなら、私もここにいる理由はないわね」

 空っぽのグラスを置き、ふと隣を見る。リリーのとなりに、あのいまいましいマサ子さんが、くるんと丸くなって座っていた。

「明朝、帰るわ――」

「……と言ったら、お代を頂いてないです、とお言いなさい」

 遺言状を読み上げた直生が、「ですって」と続けた。リリーは目を剥いた。

「お代? お代ですって!? ニホン円なんか持ってないわよ、私!」

「リリー。働いて返しなさい。お前にしかできないことがあるはず。等価交換。あなたに最初に教えたこと、覚えているでしょう」

直生は素直に読み上げ続ける。

「とんでもない大失敗も、あなたの糧になるはず。精進なさい。お前のお師匠様より。……とのことです」

「働くって、何をすればいいの! 私、魔法しか使えない!」

 リリーは空っぽの皿とグラスを見た。

「私にしかできないことって、いったい何なの?」

「手伝っていただきたいことはいっぱいあります。例えば――」



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