第5話 壁画はちゃんとある

「渡したい物ってなに?」

 美月さんは席に着くなりそう言った。あれから一週間後、私は彼女を喫茶店に呼び出した。

「これです」テーブルの上に大型の画集を置いた。「アルタミラ洞窟壁画」…これが画集のタイトルだった。世界史の教科書に載っていた人類最古の芸術絵画について詳細に記載されている。

「私は夢の中で美月さんの茶色い絵を見ました。言葉にできないくらい感動しました。と同時にどこかで見たことあるなと思って、行き着いた作品がまさしくこれでした」

「夢の中の話でしょ」美月さんは窓の外を見る。

「この壁画の中に、ご両親が描かれている可能性はないですか?」私は一番言いたかったことを強く伝える。美月さんは私の顔を見る。でも何も言わなかった。

「きっとあなたは、自分が見聞きしたもの全てを茶色い絵の中に描いたと思うんです。きっと牛とか馬とかだけじゃない。あなたが大好きだったご両親のことも必ず絵に遺しているはずなんです」 

 私が夢の中で見た壁画には、おびただしい数の絵が描かれていた。だからその中にご両親が描かれていたのかは定かではない。でも、美月さんならきっとどこかに描いていたはずだ。生まれ変わる前の美月さんがこのアルタミラ壁画を描いたはずなんだ。

 画集の表紙にはアルタミラの牛の絵が印刷されていた。それを美月さんはじっと見て何かを考えているようだった。そしてペラペラとページをめくり始める。

「三千年も前に洞窟の中で、これを描いたなんて信じられないわ。これを見ても何も思い出せないけど、これが最期の希望なのね」美月さんはまた窓の外を見る。そしてそっと立ち上がる。


「スペインまで見に行ってくるわ」そしてちらっと私の方を見て、「あなたも一緒に来てくれる?」と言って私に手を差し出す。

「よろこんで」私はその手を強く握った。

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