第77話 きさらぎに雨が降る⑱
「もう少し喜ぶと思ったんだけど、きみはよほどドライなのかな」
声のした方に顔を向ける。
居間の入り口に、少年が立っていた。
違和感の正体は、すぐにわかった。
「あなたは、洞澤じゃないですね」
姿形は確かに洞澤だ。だが、違う。身にまとっている雰囲気や、内面からにじみ出る邪悪さは隠しようがない。
「では、誰だと?」
少年は楽しそうに問う。
「――
「身体は洞澤の物なのですが、なぜわかったのですか」
口調ががらりと変わる。
「簡単です。あなたのどす黒い精神性が透けて見えたからですよ」
「これは手厳しい」
「確かにすり潰したはずですが、生きていたんですね」
「ええ、前の身体はあなたに殺されました。完膚なきまでにね。まったく、恐ろしい力だ」
どうやら、絶命したのは間違いないようだ。
ではなぜ死んだはずの久野座が洞澤の姿で現れたのか。
洞澤が言っていた器という言葉、消えた洞澤の死体。
真白の中である推測が像を結ぶ。
「――そうか。洞澤の身体を乗っ取ったのか」
「そんなところです。洞澤に私の魔力を込めた細胞を埋め込んでいなかったら、私は今頃完全に死んでいたはずですよ」
「なるほど。あなたは人の身体を奪って生きながらえてきた魔術師なんですね」
「ご名答。奪うというと人聞きが悪いですがね」
「どこまでも生に執着する。だからあなたは時を巻き戻す秘術を欲した」
「ええ、その通りです。私は死が怖い。私にとって、死とは無に他ならない。死から遠ざかるためなら、手段を選んでなどいられませんよ」
「それで一体何人の命を踏みにじったんですか」
「覚えてませんね」
久野座は涼しい顔で言う。
今すぐその顔面に銃弾を撃ち込んでやりたい衝動に駆られた。
――だめだ。相手のペースに乗せられるな。
「……私になんの用ですか。性懲りもなく、巫女になれというのではないでしょうね」
「いえ、それは諦めました。あなたは私が御せるような存在ではない。私は、あなたに協力を申し出たいのです」
「協力……?」
「はい。
久野座は両手を広げた。身体は違っても、仕草が以前の久野座そのものだ。
「悪趣味です。死者はどうあろうと蘇りません。蘇ってはいけないんです」
「そうですか。ですが、この空間を作り上げたのはあなたですよ。姫咲さん」
「私が?」
「ええ。あなたの願望を反映したのです。私は、あなたが壊したきさらぎ駅の残滓を半年がかりでかき集めて地盤を整えただけ。あなたが結界を抜けた時点で、この空間は完成した。それまでどうなるか、私にもわからなかった」
願望。だとしたら、この空間は――。
父と母、そして
自分が望んだ、失った家族のかたち――。
「実は、もっと歪なものになるかと思ったのですが、予想に反して解像度が高い。それだけあなたの精神が豊潤なのでしょう。それもそのはず、あなたには外なる神の血が流れている」
「外なる……神?」
「はい。我が神に連なる神々の一柱です。あなたが帰還した際にもしやと思ったのですが、今回の件で確信しました。門に至る道に介入できる存在などそうはいない。加えて、我が神の力を借りた魔術を打ち破るとなるとその数はさらに絞られる」
つまるところ、汚れたものどもの神ということか。
――私に、その神の血が流れている?
この男は、いきなりなにを言い出すのだろう。狂気にでも取り憑かれたのか。
「混沌を好み、人の困難をあざ笑う。いくつもの化身を持ち、その姿は千変万化」
久野座はもったいぶるように言葉を切った。陶然とした様子で続ける。
「――すなわち、
「無貌の、神……」
真白の頭の中に浮かんだのは、美しい褐色の肌をした男性の姿だった。顔も、名前すらも思い出せないが、間違いなく知っている存在だった。
「あのお方がただの人間を助けるなどありえない。例外があるとすれば、その人間をよほど気に入ったか――あるいは、身内であった場合です」
不思議と、久野座の言葉には説得力があった。
うっすらと記憶が蘇る。
ここではないどこかで真白を助けたはずの男性は確かに言っていた。『身びいき』と。あれはそのままの意味だったのではないか。
「でも、神さまが人間となんて……」
「我が神も人との間に子を成した。世界の神話にはその手の英雄が溢れている。珍しくもなんともないでしょう?」
その通りだ。それくらいは真白でも知っている。ぱっと思いつくところではギリシャ神話のヘラクレスやケルト神話のクー・フーリン、他にも枚挙に暇がない。
「……だけど、私の両親は人間でした」
「ならば、そのご両親は? もっともっと遡ったら?」
「それは……」
真白は言い返せなかった。自分の祖先のルーツなど、何一つ知らない。改めて、血の縁が薄いのだと自覚する。
「ご納得いただけましたか」
納得などできるはずがなかった。
だが、自分には外道の神の血が流れていると言われると、腑に落ちる部分があるのも事実だった。
「どうか、我が神と接触してください。あなたならクスリの力がなくとも正気を保っていられるはずだ。そして、時を巻き戻してあなたのご両親や雨越さんを復活させるのです」
「……」
「どうです。魅力的だと思いませんか」
真白が黙っていると、久野座は畳みかけるように言った。
「思いません」
「……なぜ? あなたの正義に抵触するとでも?」
真白の断言が気に食わなかったらしく、久野座は眉をひそめる。
それもある。
だけど、一番大きいのは――。
「今までの出来事をすべてなかったことにするなんて、あまりにも無責任すぎるから」
考えるまでもなかった。
確かに何度も間違えた。やり直せるのならばやり直したいと思う部分もある。
けど、間違いもすべてひっくるめての自分なのだ。それを否定することはしてはいけない。
外なる神とやらの血が混じっていても関係ない。どのみち自分は血まみれなのだ。
――いいだろう。上等じゃないか。
「私は、まるごと自分を受け入れます」
真白が言い切ると、久野座はため息をついてかぶりを振った。
「――そうですか。残念です。ならば、できるかどうかわからないが、あなたの身体をいただくとしましょう」
「よく言う。最初からそのつもりだったのでしょう」
「さて、どうですかね」
真白は久野座と相対した。
腕を下げ、自然体でゆったりと立つ。
異形と化した久野座には直接力が使えたが、この姿の久野座に対して力を振るえるかどうかはわからない。
必然的に、握りしめている大型拳銃が頼みの綱だ。
「この構図、まるで西部劇の早撃ち勝負ですね。といっても、お若い姫咲さんは知らないかもしれませんが」
久野座の軽口にも耳を貸さない。
右手に握ったデザートイーグルの感触を確かめ、集中し、力を『籠め』る。
無貌の神は、念動力は真白の力の余波みたいなものだと言った。今なら、その言葉の意味が直感的にわかる気がする。
――私の力とは、すなわち、干渉する力。
物体に手を触れずに動かせるというのは、干渉する力の一部に過ぎない。
この空間でなら、もっと力を柔軟に使えるという感覚があった。
久野座と真白の右腕が上がったのはほぼ同時だった。
銃声。
触手に変化した久野座の腕が真白の顔のすぐ側をかすめていく。
一方で、真白が放った50AE弾は正確に久野座の心臓に命中していた。
続けざまに右肩目がけて発砲する。触手型の右腕が吹き飛んだ。
残った左手で赤く染まった胸を押さえた久野座が不敵に笑う。
「いい腕です。だが、この程度の銃弾ではね」
アクション・エクスプレス弾の弾頭はホローポイントタイプで、着弾と同時に弾けて対象に絶大なダメージを与える。レベルにもよるが、ボディアーマー越しでも致命傷を与えられる代物だ。
そんなものを撃ちこまれた久野座の心臓は完全に破壊されているはずなのに、笑っていられるとは呆れた生命力だった。近距離で散弾を浴びて生きていたのも納得だ。
あのときは、久野座の桁外れの生命力について知らなかった。だが、今回は違う。
本命はこちらだ。食らえ。
「
真白の一言で、久野座の体内に浸透した鉛に籠められた力が解き放たれた。
爆発音と共に、久野座の胸が破裂した。
「な……」
久野座が大きくよろめいた。
「く……まったく。魔術でもないのに、ふざけた破壊力だ」
「諦めてください。久野座」
「……確かに、この身体はもう持たないようです。やっとなじんできたところだったのに、やってくれますね。――だが」
口の中で何事か呟いた久野座は、驚愕に顔を歪ませた。
「なぜだ。精神を切り離せない」
「ええ。そのように力を調整しました」
どうやら、予想通り、魔術で精神を飛ばして逃げようとしたようだ。対策をしておいて正解だった。
「調整だと?」
「はい。あなたの精神に干渉し、打ち砕く力を弾丸に籠めました。だから久野座、一体どれほどの時間を生きてきたかは知りませんが、あなたの生はここで終わりです」
「……馬鹿な。どうやって……。そんなもの、念動力の域を超えている」
「そうですね。あなたの言う無貌の神に教えてもらったのかもしれません」
真白の言葉を聞き、久野座は呆れたように笑った。
「……そうか。姫咲真白。やはり、あなたは」
真白は両手で構えたデザートイーグルの銃口を、久野座の頭部にぴたりと照準した。
「バケモノだ、でしょう。いい加減、聞き飽きましたよ」
そして真白は引き金を絞る。
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