第75話 きららぎに雨が降る⑯

 二月のある日、真白ましろが学校から帰ると、居間のテーブルの上に白い封筒が置かれていた。

 手に取って確かめてみると、表には『姫咲ひめさき真白様へ』とだけ書かれていた。丁寧な筆跡だ。裏返す。差出人の名前はない。

「ああ。それ、ポストに入ってたの。男子からのラブレターかもよ」

 居間に顔を出した茉理まつりが、からかうように言った。真白はかぶりを振る。

「ありえません。そんな物好き、いるはずがない」

「あら、わからないわよ」

「そもそも、クラスでここの住所を知っているのはつむぎちゃんだけです」

 しかし、朝から学校にいた紬が投函できるはずがない。紬が誰かに話す可能性も皆無だ。

「だったら、誰かしらね」

「とにかく、開けてみます」

 真白は封筒を開けた。中には、やはり白い便箋が入っている。

 取り出して内容を改める。

 便箋の真ん中辺りに、きれいな字でこう書かれていた。


『あの駅で待っている』

 

 これだけ書けば伝わるだろうという、簡潔な文面だった。

 そして、真白には確かに伝わった。

 いつか、こういう日が来ると思っていた。

「どう? 甘い言葉でも書いてあった?」

 ラブレター説を捨てきれないのか、茉理が興味津々といった様子で訊いてくる。

「デートのお誘いでした」

「ホント!?」

 うれしそうな顔をした茉理は、しかし真白が差しだした便箋を見て固まった。

「……これって」

 茉理も文面の意味を察したようだ。

洞澤ほらざわ真赭まそおでしょう。彼だけ、死体が見つかっていなかった」

 去年の夏の暗殺任務後、久野座邸で処理班が回収したのは六花の遺体と、原型を留めていない久野座くのざの死体だけだったのだ。

「でも、死んでいたのよね」

「はい。間違いなく」

 息をしていないのは確認した。

 しかし、洞澤の死体は忽然と消え失せてしまった。以来、銀の鍵教団に張り付いている監視班からも発見の報告はない。

 生きていたのか、それとも――。

 いずれにせよ、ようやくだ、と思う。ずっと気にかかっていたのだ。

「私、準備をしてきますね」

「え、ちょ、ちょっと。真白!」

 便箋をテーブルの上に置き、真白は居間を出た。

 自室に行き、着替えもせずに机からデザートイーグルを取り出す。ひと撫でして、スクールバッグに突っ込む。

「一人で行くの?」

 開けっぱなしにしたドアの前に、茉理が立っていた。

「はい。けりをつけます」

 仮に誰かを連れて行っても、手紙に書かれた『あの駅』に入れるのは自分だけだという直感があった。

「行き方は? 泉間せんまの異界駅はもうないんでしょ」

「そうですね。でも、同じ方法で行けると思います。別物か、復活した駅かはわかりませんが」

 紬を助けに行ったときの手順だ。特定の駅で乗り降りをする。

 情報部の調べでわかったのだが、泉間のきさらぎ駅への行き方を取り扱ったサイトのいくつかは、銀の鍵教団が作ったものだったようだ。魔術的な儀式の意味合いもあったのだろう。

 久野座の暗殺からおよそ半年が過ぎている。表向き、銀の鍵教団はまだ活動しているが、以前のような力はすでにない。

 久野座を失ったこともあるが、何より協会の本格的な調査が入ったことが大きい。魔導具や魔道書を取り上げられ、もはや、組織として大がかりな暗躍はできないだろう。

 つまり、洞澤は独自に異界駅を作り上げたということだ。真白との戦闘で魔術を使っている様子はなかったが、才能があったのだろうか。それか、真白憎しで習得したか。

「ペイルホースは?」

「あんなものがなくても、向こうは私を迎え入れてくれるはずです」

 茉理はしばし真白をじっと見つめ、ぽつりと、

「真白。あなた、死に急いでないわよね?」

 どきりとした。茉理には見透かされていたのかもしれないと思う。

「そう見えますか」

「前ほどは。でも、なんだか、このまま真白が遠くに行ってしまうような気がして……」

 そう言って、茉理は口元を手で覆った。

「茉理。もし、私が戻ってこなかったら――」

「やめて。縁起でもない」

「話は最後まで聞いてください。――もし、私が戻ってこなかったら、迎えに来てくれますか」

 紬たちを助けるためにきさらぎ駅に赴いたときは、現実から逃げ出したいという気持ちが確かに自分の中にあったと思う。

 でも、今は違う。

 ここが、茉理と生活するこの家こそが、自分が帰るべき家なのだ。

 真白の言葉の意味は、茉理に正しく通じたようだ。

 微笑んで、茉理は言った。

「――ええ。そのときは、『全力』で駆けつけるわ」

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