第71話 きさらぎに雨が降る⑫
気づけば、真っ白な空間にいた。暑くもなく、寒くもない。
目の前には、見上げたら首が痛くなりそうなほどの巨大な門がある。両開きの門は、ぴたりと閉ざされていた。
門の傍らには、人に近い形をしたなにかがいる。小柄な
『おまえには、門を通る資格がある』
不意に、頭の中に言葉が流れ込んできた。
――精神感応。
どうやら、小柄な異形が発したらしい。
『身のうちに鍵を持つ者よ。門を開き、先に進むことを望むか?』
行け、と頭の中で誰かが囁く。行って神に会え。知識を乞え。
――そうだ。わたし、行かなきゃ。
熱に浮かされたように、『望む』と返しそうになった真白の肩を、「待った」と誰かがつかんだ。
振り返る。
真白の肩をつかんでいるのは、褐色の肌の美しい男性だった。
「宮廷といい、真白とは変な場所で会うね」
かすかに記憶がよみがえる。そうだ。自分はこの男性に会ったことがある。
「あなたは……」
名前を教えてもらったはずなのに、どうしても出てこない。
「いいよ。無理に思い出さなくて」
男性はやさしく笑った。
「それより、こんなところになんの用?」
答えは考えずとも口をついて出てきた。
「わたしは神さまに会うんです。会って、知識を授けてもらうの」
「なんの知識?」
「……え?」
わからない。神さまに会えば、わかるだろうか。
「神さまに会うっていうのは、自分の意志で決めたのかい?」
真白は首をかしげた。このひとは難しいことを訊くと思う。
頭の中はぼんやり霞がかかったみたいで、考えるのが面倒だった。自分の意志って、なんだろう。
「ふむ」
男性は顎をさすると、「ちょっと失礼」と真白の頭に手を乗せる。くすぐったい。
「――なるほど。古代の魔術のアレンジかな。悪質だ。駆けつけてよかったよ」
「……?」
男性は真白の頭から手を離した。
「真白。僕の言うことをよく聞いて」
真白はこくりとうなずいた。男性の言葉は、不思議と頭の中にすっと入ってくる。
「いい子だ。いま、真白は、悪い力に支配されかけているんだ」
「悪い力……」
この、頭の中で誰かが囁いているみたいなのがそうなのだろうか。神に会え、知識を乞えとせっついてくる。
「そう。完全に支配されてしまうと、真白の意志は消えてしまう。自分がなくなってしまうんだ。そんなのはいやだろう?」
「いや」
真白は即答した。
自分は自分のままでいたい。
男性はうなずく。
「だったら、悪い力を追い出そうか」
「どうやって?」
「きみには自分の力がある。その力を使えばいい」
「力……念動力?」
自分が持つ力だ。手を触れずとも、ものを動かしたりできる。
「真白の力の本質からすれば念動力は余波みたいなものだけど、要領は同じだ。いいかい。僕が指を鳴らしたら、力を一気に解き放つんだ。やれるかい?」
「いいの?」
父も母もこの力をきらっていた。思い切り使うなんて、とんでもないことなのではないか。
「いいとも。誰も怒りはしないよ」
男性の言葉に安心した。怒られないなら、全力が出せる。
「なら、やれる」
「よし、いくよ」
男性は、真白の目の前で指を鳴らした。
「――!」
途端、身体の中から清浄な力が湧き上がってくるのを感じた。
「行け!」
真白は叫んだ。
思うがまま、身体から溢れそうになる力を解き放つ。
白い世界が波打ち、揺れた気がした。
頭の中の靄が、強い風で吹き飛ばされたみたいに一瞬で晴れた。
「……私、は」
真白は額の古傷を押さえる。
「正気に返ったかな」
男性がやさしい声で言う。
そうだ。自分は、六花に奇妙なクスリを飲まされてここに来たのだ。
「――ありがとうございます。また、助けてくれたんですね」
やはり名前は思い出せないが、以前にもこの男性に助けられた記憶があった。
「僕は手伝っただけだ。きみ自身の力だよ。――まぁ、なるべく介入は控えるべきなんだけどね。これぐらいは大目に見てもらおう」
男性は微笑む。恐ろしく魅力的な笑みだった。
「……あの、あなたはなぜ私を助けてくれるんですか」
真白の問いに男性は考えるふうをして、
「そうだな。僕は、困難の中であがく人間が大好きなんだ。真白のような美少女ならなおさらだ。こんなところで終わらせるのは惜しい。もっと真白の活躍を見ていたい。真白を助ける理由は、こんなところだね」と語った。
「そ、そうですか」
助けてくれたことにはもちろん感謝するが、あまり関わり合いにならない方がいい存在かもしれない。
「おっと、引いちゃったかな。ま、それは冗談として、真白を助けるのは単に僕の身びいきさ」
「身びいき……?」
「気にしないで。――そういうわけだから、彼女は現世に返すよ。門を通るのは、自分の意志でなされるべきだ」
男性は、織物の異形に気楽な調子で声をかける。異形はかすかにうなずいた。
「よし、真白。きみはもう帰っていい。今度は送っていけないけど、大丈夫かい」
「大丈夫です」
やるべきことははっきりとしている。
久野座を討つ。
そして、そのあとは――。
「本当に、大丈夫かい」
男性は、もう一度同じ問いを発した。先ほどとは意味合いが違って聞こえるのは、自分の気のせいではないと思う。
「――大丈夫です」
真白は同じ答えを返した。
目は背けない。
己が決めた道を、六花に示す。
「なら、いい。じゃあね、真白。陰ながら見守っているよ」
大きくうなずいて、真白は目を閉じた。
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