第70話 きさらぎに雨が降る⑪
「……方法は?」
「時を操る秘術で、母さんの身体を元に戻す」
「……! そんなの」
夢物語の類いではないのか。そもそも、人が使っていいものなのか。
「ええ、人が扱う魔術の範疇を遙かに超えている。奇跡の域です。だが、始まりも終わりもない我が神ならばそれも可能なのですよ。――ただ」
久野座はそこで言葉を切り、
「神の声を聞くには特別な資質が必要で、残念ながら、あたしにも久野座さんにもその資質はない」
「
「……なんで私なんですか」
資質なんて言われても、心当たりはない。念動力が使えるだけでは神に見初められる理由にはならないだろう。
「人々の精神を神に捧げる祭場だったきさらぎ駅は、巫女の適正者を探す実験場でもあった。あなたは神に選ばれたのです。その優れた精神が、神の目に留まった!」
久野座が熱っぽく語るほどに、真白の胸は冷えていく。
要は、たちの悪い神さまに目をつけられたということか。
そういえば、小学生のときに
神さまに選ばれた人間はいると思う、と。
なにかしら特別なものを持っている人間は、神さまのお気に入りなのだと。
――もし、それが本当だったとしたら、神さまはどうして私を選んだのか。
精神なんて、自分でもよくわからない曖昧なものなのに。
「保安部のことならお気になさらず。あなたの御身は、責任を持って教団で保護します。あなたはもう戦う必要はないのですよ」
真白の無言をどう受け取ったのか、久野座はそんな的外れなことを言った。
「外の
六花が久野座に加勢するように言う。
そこまで準備済みだったのかと焦燥感が膨れ上がるが、いまの真白にはどうしようもない。皆が切り抜けるのを信じるだけだ。
「ねえ真白。あたし、母さんに謝りたいんだ。母さんが嫌いなのに変わりはないし、一緒に暮らしたいなんて望まない。ただ、元通りになってほしいだけ。じゃないと、あたしが自由になれないから」
黙っている真白に業を煮やしたのか、一転、六花は懇願するように言った。
「自由って、六花はどうするんですか」
「あちこち放浪する予定。海外に行くのもいいかな。追っ手がかかっても、負ける気はしないし。押しつけられた生き方はもうここまで。あとは好きにやらせてもらう」
「久野座にだまされている可能性は? 本当は、時を戻す秘術なんて存在しないかもしれない」
「そうだね。まぁ、だとしても、あたしはもう引き返せないから」
六花は笑った。どこか捨て鉢な笑みだった。
ここまでしたのだ。結果がどうあれ、六花はもはや保安部には戻れない。彼女の先にあるのは逃亡者としての日々だ。
すべてを投げ打ってでも、六花は束縛からの解放を望んだ。
虐げられてきた六花が自由を望む気持ちはよくわかる。母親を助けたいというのも嘘ではないのだろう。もしかしたら、真白の協力でそれが叶うかもしれない。
だけど――。
「真白だって、任務で人を殺すのはいやでしょ。保安局を抜ければ、人殺しをやめられるんだよ」
それでも、真白の気持ちは揺るがなかった。
「――六花。なにを言われようと、私は銀の鍵教団には与しません」
「……どうして? やっぱり、
「六花はわかっているはずです」
「わからないよ、真白。ちゃんと言葉にしてあたしに教えて。なんで真白は戦うの?」
六花は挑むような目つきで言った。
確かに茉理は大事だし、
償いという意味合いもあるし、いままで奪ってきた命に対する責任もある。
けど、そういう理由をいくら列挙しても六花は納得するまい。
結局のところ、六花が聞きたい言葉は決まっているのだ。
――いいよ六花。教えてあげる。
息を吸って、真白は六花が望む言葉を口にする。
「私は、正義の味方を目指しているから」
寄って立つべきは、己の信念を置いて他にはない。
任務従事者として死ぬまで戦い続ける。
血塗られた道だとしても、自分で選んだ道だ。決して踏み外すわけにはいかない。
六花と六花の母親を助けたい気持ちはもちろんあるが、銀の鍵教団に与するのは自分にとって正しいことなのかと問われたら、絶対に違うと言い切れる。
「正義か」
久野座は苦笑した。
六花は笑わなかった。
「――そっか。そうだよね」
ため息をついた六花は久野座に目配せした。
「いいのですか」
「無理。あたしじゃ説得できそうにない」
「わかりました」
久野座は、机の引き出しから小さな瓶を取り出す。透明な瓶で、中には錠剤が入っている。
「できれば真白の同意を得たかったんだけど、仕方ないよね」
スコーピオンを机に置いた六花は瓶とペットボトルを手に取り、真白に歩み寄る。
「邪魔だね」
六花は硬直している真白の手からファイブセブンを、そしてホルスターからデザートイーグルを抜き取り、部屋の隅に放り投げる。
「前から思ってたんだけど、無骨な銃は真白に似合わないよ」
「大きなお世話です」
「つれないなぁ」
六花は瓶の蓋を開けて中から錠剤を取り出した。鈍色の錠剤だった。
「これ、なんだかわかる?」
「サプリなら間に合ってますよ。栄養は茉理のごはんで取っているので」
ふっと笑うと、六花は真白の顎に指をかけて持ち上げる。
「はい。あーん」
抵抗らしい抵抗もできず、こじ開けられた口の中に錠剤を放り込まれた。
ペットボトルの水を口に含んだ六花が、真白の唇に口づける。
「! ん……むぅ」
口の中に流し込まれた水と共に、錠剤が喉を下っていくのを感じた。
――キスされた。いや、それより、なにを飲まされた?
呆然としている真白をおかしそうに眺めて、六花は口を開く。
「銀の鍵、っていうんだ」
「……銀の、鍵?」
「そう。真白がいま飲み込んだクスリの名前。門を開くための鍵だよ」
そのときだった。
六花が異能を解いたのか、急に身体が軽くなった。
チャンスだ。銃は奪われたが、まだナイフがある。
これでまず久野座を仕留める。
「……ぁ」
腰に手をやろうとしたが、意識がもうろうとして、とても立っていられない。急激な眠気が襲ってきた。
「おっと、危ない」
ふらつき、倒れそうになった真白を六花が抱きとめた。まぶたが重くなる。
「り……っか」
ここで自分が倒れたら、誰が彼女を止めるのか。だが、身体は意志に反してまるで言うことを聞いてくれない。
真白の耳に口を近づけて、六花がささやく。
「行ってらっしゃい、真白。いい旅を」
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