第34話 きさらぎ駅でつかまえて③

「あら真白ましろ、おはよう。今日は早いのね。どうしたの?」

 みそ汁をかき混ぜていた茉理まつりはおたまを下ろすと、やさしく真白の手を包んだ。

「小説を読んだんです。クラスメイトが貸してくれたの」

 茉理は真白に座るように促し、自身も椅子に腰かける。

「どんな内容だったの?」

 真白はとつとつと、小説のあらすじを茉理に語って聞かせた。

「――読み終わって、ひどく残酷で、悲しい話だと思いました。でも、悲しいだけじゃなくて……」

 茉理はただ黙って真白の言葉を待ってくれる。

「……うまく言えません。もどかしいです。こういうの、語彙力がないっていうんでしょうか」

 感情が溢れそうなのに、言葉として紡ぐことができないのがもどかしい。

「――真白は、その物語の主人公と自分を重ねて考えたのかもね」

「重ねる?」

「そう。なんか、真白と私に似てない? 怪物と、少女」

 茉理は交互に自身と真白に指を向ける。

「あ……」

 あやかしと家族を亡くした少女が一緒に暮らす。言われてみれば、重なる部分がある。

「だから、強く感情移入したんじゃないかしら」

 他人事とは思えない理由はそれかと腑に落ちた。

「――そう、ですね。あってはならないことですが、もし茉理が誰かに殺められるようなことがあったら、私は絶対に復讐します」

 その場合、自分はきっと力を使うことをためらわない。相手を八つ裂きにしても飽き足らないだろう。完全に、息の根を止めてやる。

 真白の決意を聞いた茉理は、困ったように笑った。

「心配しなくても、私は簡単には死なないわ。ずっと昔、一回ばらばらにされたんだけど、今はこの通りピンピンしてるからね」

 なんでもないことのように茉理は言う。真白は目を見開いた。

「そ、そんな目に遭ったんですか?」

 真白はあまり茉理をあやかしとして意識していない。一度、病室で腕が虎のものになったのを見たくらいで、普段の茉理はあやかしらしさを感じさせないのだ。

 だが、時折こうした発言がぽんと出てくると、ああ、やっぱりあやかしなんだなと思う。

 人とは違う。人はバラバラになったら死ぬ。――首が折れても、死ぬのだ。

「ええ。あやかしはしぶといの。だから大丈夫。あなたは復讐なんて考えなくていい」

 茉理は真白の頭をなでる。真白は目を細め、こくりとうなずいた。

「――はい」

 頭に乗った手から温もりが伝わってきて、心に染み入るようだ。

 改めて実感する。あやかしとか人間とか関係なしに、自分は、本当に茉理が大切なのだ。


 明らかに睡眠不足だが、物語の余韻のおかげかまったく眠くない。

 いつもより早めに教室に到着した真白は、つむぎが登校するなり文庫本を差し出した。

「読みました」

「どうだった?」

 紬が、少し緊張した面持ちで訊いてくる。

「少女の生き方が胸に迫りました。面白かったです。貸してくれてありがとうございます」

 朝からずっと真白なりに考えてまとめた感想を述べる。

 我ながら素っ気なさ過ぎると思ったが、文庫本を受け取った紬は安心したような笑みを浮かべた。表紙を愛おしそうになでて言う。

「よかったぁ。これ、映画にもなってるんだよ。主人公の子ども時代を演じているカナカナがすっごくかわいいの」

弓張ゆみはりかなでですね」

 CMやドラマでよく見る子役で、金色の髪に紅い目が印象的だ。父親は有名な冒険家で、母親はイギリス人だとか。自分とは全く縁のない、華々しい世界を生きている子どもなのだろう。彼女は、間違いなく輝きを持っている。本当の特別とは、弓張奏みたいな人間のことをいうのだと思う。

「映画も面白いから、機会があったら観てみて」

「そうですね。そうします」

 自分でも驚くくらい、真白は素直にうなずいていた。よほどこの小説が胸に刺さったのだろうか。

「――ねえ、姫咲ひめさきさん」

 不意に真剣な面持ちになった紬が口を開いた。

「はい」

「姫咲さんは……」

 そこまで言いかけたところで、「ツム、昨日の『ニャムサン侍』観た?」と女子生徒が話しかけてきた。紬と話しているところをよく見かける子だ。

「――あ、ああ。うん、もちろん、観たよ」

「あたしも観た」

「俺も」

 次々とクラスメイトが集まってきた。みんな、紬と話したいのだ。

 紬には、人を引きつける光のようなものがある。弓張奏とはまた違う、親しみやすい光だ。

 真白は気にしないで、というように軽くうなずいてみせた。紬はほっとしたように笑うと、クラスメイトとの会話に興じていく。

 真白には、あの輪に入っていく勇気も協調性もない。

 取り残されたみたいで一抹の寂しさを覚えないでもないが、それよりも気になるのは、先ほどの紬の表情だ。

 真剣な面持ちで、紬はなにを言いかけたのだろう。


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