第6話 スプーンを曲げた日②
夏休みになった。
両親に連れられて、
お寺や神社がたくさんある古都は、うんざりするような暑さだった。
古い建物が好きな母は楽しそうにしているが、暑いばっかりで真白はちっとも面白くない。父もあまり楽しくなさそうだ。
遊園地とか動物園、それか水族館ならよかったのにと思う。せっかくの夏休みで、せっかくの家族旅行なのに。
夏休みに入る前に聞いたのだが、
うらやましい。お寺や神社より、ディズニーランドの方が楽しいに決まっている。行ったことはないけど、たぶん間違いない。
でも、京都には母が来たがっていたので、喜んでいるのならいいのかなとも思う。
「ちょっと涼んでいこうか」
つまらなさそうにしている真白が気になったのか、父が言った。父が指をさす方を見れば、軒先に涼し気なかき氷の旗がなびいている喫茶店があった。
「うん! かき氷、食べる!」
真白のそれまでの不満はあっけなく青い夏空の向こうに吹き飛んだ。
父に手を引かれて入ったお店の中はひんやりと涼しくて、少し寒いくらいだった。外の暑さがうそみたいだ。
席に着いた真白はメニューを手に取る。さらさらと触り心地のいいメニューは触れているだけでわくわくする。
期待で胸を膨らませた真白がメニューを開くと、色とりどりのかき氷の写真が目に飛び込んできた。
「お父さんとお母さんはどれにするの?」
真白は顔を上げ、仲良く二人で一つのメニューを見ている両親に訊いた。
「お父さんは抹茶だな」
「お母さんは小豆で」
緑と茶色で、どちらも地味だ。
「真白は?」と父が尋ねる。
「わたしはこれ」
最初に見た時から決めていた。元気なひまわりみたいに鮮やかな黄色。マンゴーだ。
マンゴーが乗ったかき氷なんて、地元のお祭りの夜店では見たことがない。
注文を終えて、かき氷がやってくるのを待つ。真白は、こういう待つ時間も嫌いではなかった。楽しみの一部だからだ。
やがて、かき氷が運ばれてきた。
ふわふわした雪みたいな氷の上には、たっぷりのマンゴーが乗っている。
「いただきます」
銀色のスプーンでマンゴーを氷と一緒にすくって、落っこちないように慎重に口に運ぶ。
「――!」
口の中でほろりと氷が溶けて、マンゴーの甘みと混じり合う。
びっくりするくらいおいしかった。こんなにおいしいかき氷は今まで食べたことがない。
「おいしい?」と尋ねる母にこくこくとうなずいてみせる。
「ふふ、よかった。一度にいっぱい食べると頭がきーんってなるから、ゆっくりね」
そう、かき氷を食べる時はいつもそれで困るのだ。
「うわ、こりゃほんとにうまいな」
かき氷を一口食べた父が言う。その言い方がなんだかおかしくて、真白と母は顔を見合わせて笑った。
真白はいつもより時間をかけてかき氷を食べ終えた。
両親はとっくに食べ終わっていて、おいしそうにコーヒーを飲んでいる。
父と母はいつも何も入れずにコーヒーを飲むが、あんなに苦いものをよく飲めるなと思う。牛乳と砂糖をたっぷり入れてもらってもなお、真白はコーヒーをおいしいとは思えなかった。ジュースの方がずっといい。
ふと、真白は空になったかき氷の器に乗っているスプーンに目を留めた。
せっかくだから、ここでも練習しよう。
お店のものを曲げたら怒られるから、自分のスプーンを子ども用のポシェットから取り出す。
真白は相変わらずスプーン曲げに夢中で、家族旅行中でも愛用のスプーンを常に持ち歩いていた。
かき氷を食べたからか、やけに頭がすっきりしている気がする。
前触れも予感も、それらしいものは何もなかった。
スプーンを握りしめ、真白はいつものように曲がれと念じた。
すると、スプーンが、真白に向かってお辞儀するようにくたりと曲がった。
父と母はコーヒーカップを持ったまま、二人仲良く動かなくなった。
曲がったスプーンを見つめたまま、二人は固まっている。
お話で見た、頭が蛇だらけのメドゥーサという怪物に石にされたみたいだった。
「――暑い中を歩いていたから、金属がへたったのかもしれないな」
父が言って、コーヒーカップを置いた。
「そ、そうね。きっとそうよ」
母が同意する。
真白は、自分の手の中のスプーンをまじまじと見つめた。
すぐには信じられなかった。でも、本当だ。本当にスプーンが曲がった。
そして、爆発しそうな喜びがやってきた。
「お父さん、お母さん。わたし、できたよ!」
「真白、お店の中だよ」
父が人差し指を口に当てる。
「あ……ごめんなさい」
つい声が大きくなってしまった。人がいるところでは、行儀よくしていなければいけないのに。
「でも、ほら、見て」
真白は、父と母に曲がったスプーンを差し出した。何も言わない父と母は、スプーンを受け取ってくれなかった。
驚かなかったのだろうか。喜んではくれなかったのだろうか。
もしかしたら、曲がる瞬間を見ていなかったのかもしれない。
だったら――。
真白はかき氷の器に乗っていたスプーンを手に取った。
父と母にスプーンを曲げるところを見てほしかった。驚いてほしかった。褒めてほしかった。いっぱいがんばって、自転車に乗れた時みたいに。
曲がれと念じる。
スプーンは、父と母の方にぐにゃりと曲がった。
「真白!」
父が大声を出した。真白はびくりと震える。
そして、はっとした。
「あ――」
自分が今曲げたのは、お店のスプーンだ。父が怒るのは当たり前だ。
「ご、ごめんなさい、わたし」
上目づかいで父と母の様子を窺う。
父と母は怒ってはいなかった。青白い顔をして、得体の知れないものでも見るような目で真白を見ていた。
不安になった。
二人は一体どうしたのだろう。もしかしたら、お店が寒すぎて、具合が悪くなったのかもしれない。
「お父さん、お母さん……?」
「どうかしましたか?」
父の大声を聞いたのか、お店の人がやってきた。
今度こそ怒られる。
真白は身を縮こまらせた。
「あ――その、すみません。娘が悪戯して、スプーンを曲げてしまったんです。もちろん、弁償します」
「ああ、そうでしたか。お気になさらず。弁償せずとも大丈夫ですよ」
お店の人はにこりと笑う。
「ごめんなさい……」と、父と母に促される前に真白は頭を下げた。夢中になりすぎて、お店の迷惑を考えられなかった。
「きちんと謝れて、えらいね」
お店の人は怒るどころか、褒めてくれた。
しかし――
「……?」
笑顔だったお店の人は、曲がったスプーンを見て眉をひそめた。
「あの、やっぱり弁償を」
「あ、いえ、違うんです。ただちょっと妙だなと思っただけで」
「妙、ですか」
「はい。当店のスプーンは特製で、大人が力を入れてもここまで曲げるのは難しいはずなんですが……まあ、経年劣化していたんでしょうね」
そう言って、お店の人は食器を片付けてくれた。
曲がったスプーンが視界から消えても、自分が何か取り返しのつかないことをしてしまったという不安な気持ちは、真白の胸からは消えてくれなかった。
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