第一章 スプーンを曲げた日

第5話 スプーンを曲げた日①

 真白ましろは、父と母と一緒にテレビを観ていた。

 懐かしの映像集という番組で、画面にはスプーンを持った若い女性が映し出されている。海外の、見とれるくらいにきれいな人だった。

 テレビの中の女性を見る父はにこにこしていて、母はそれが少し面白くなさそうだ。

 母はいつもそうだ。父が自分以外の女性を見ているのが許せないらしい。

 やきもち焼き。

 小学三年生になって、新しいクラスでできたばかりの友達に教えてもらった言葉だ。真白が母のことを話すと、友達は笑って言ったのだ。

「真白ちゃんのお母さんは、やきもち焼きなんだね」と。


「お母さんは、やきもち焼きなの?」

 ある日、母がいない時、真白は父に訊いた。

 父は、「お母さんは情熱的なんだよ」と笑った。

 父が言うには母の母、つまり真白のおばあさんは南米の人で、だからその血を引く母は熱っぽくなりやすいらしい。

 よくわからなかった。真白がきょとんとしていると、父はこう言った。

「お父さんのことがいっぱい好きってこと。もちろん、真白のこともね」

 やはりよくわからなかったが、悪い気はしなかった。だから嫌なことではないのだろう、たぶん。


 真白は意識をテレビに戻す。画面の中では、女性がスプーンに手をかざしている。

 何をするつもりなのだろう。

 真白が拳をぎゅっとにぎりしめて見守っていると、驚くべきことが起こった。女性の手の中で、スプーンがぺこりとお辞儀をするように曲がったのだ。

「すごい!」

 真白は興奮した。手も触れてないのに、一体どうやったのか。

「ね、すごいよね?」

 父と母に同意を求めたが、二人はぼんやりした笑みを浮かべるだけだった。

「いや、トリックが」父が言いかけ、「あなた」と母に遮られる。

「そうだな。すごいな」

 父は後ろ頭をかいた。言うほど感心してないのが丸わかりだった。

 なんでだろう。あんなにすごいものを見たのに。

 そうだ。だったら――

 真白は立ち上がると、掃除の行き届いたキッチンの引き出しから、プリンを食べる時などに使う自分用の小さなスプーンを持ってきた。

 自分が曲げてみせよう。そうしたら、二人はきっとびっくりするはずだ。

 真白は誇らしげに両親の前にスプーンを掲げた。画面の中の女性がさっきしていたように、スプーンに手をかざす。

 曲がれ、と心の中で思った。スプーンは曲がらなかった。

 次は口に出してみた。

「曲がれ!」

 やはり、スプーンは曲がらなかった。

 何度やっても同じだった。しまいには泣きそうになった。

「まあまあ」

 父が真白の頭をやさしくなでる。

「練習していたら、そのうちできるようになるかもしれないよ」

「本当?」

 真白は涙目で尋ねた。

「ああ。真白は頑張り屋さんだからね。自転車だってそうだったろ。何回転んでも、諦めずに練習を続けたから乗れるようになった。超能力も同じだよ」

「超能力?」

「そう。手を触れずにものを動かしたり、一瞬で違う場所に移動したり、壁の向こうを見通したりできる、不思議な力さ」

 聞くだけでわくわくする、魔法のような力だと思った。自分も、アニメや映画に出てくる魔法使いみたいになれるのだろうか。

「あなた、そんな無責任な」

「いいじゃないか。もしかしたら、真白にはすごい力が眠っているかもしれないだろ」

 父が笑うと、母も仕方ないなというように笑った。

 父の笑顔には不思議な力があると真白は思う。周りの人を和ませるのだ。それこそ、超能力ではないだろうか。それはきっと、なにものにも代えがたい、素敵な力だ。


 次の日から、真白の練習が始まった。

 家ではもちろん、学校でもスプーンが添えられた時は給食を食べ終えた後、じっと見つめ続けた。

 男子はここぞとばかりに曲がるわけないだろと真白をからかった。肌の色でも真白をからかうし、男子は嫌いだ。

 真白は母譲りのミルクチョコレートみたいな色の肌が好きなので、からかわれると悲しくなる。

 真白にやきもち焼きという言葉を教えてくれた友達の園実そのみは、「男子たちは真白ちゃんが気になるからちょっかいをかけるんだよ」とよく言うが、どういうことなのだろう。

 気になるから意地悪をするというのが、真白には理解できない。意地悪されたら、嫌いになるだけなのに。

 一か月は我慢できたけど、飽きずにからかい続ける男子がうっとうしくなって、真白は学校ではスプーンと向き合うのを止めた。

 その分、家での練習時間を増やした。父と母は見守ることに決めたようで、真白が一時間以上黙ってスプーンを見つめていても何も言わなかった。

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