第4話 春になったら④
脳髄と頭蓋骨の破片、そして血が飛び散る。
頭部の半分以上を失った男の身体が床に倒れる。
デザートイーグルを肩に吊り下げたホルスターにしまい、顔に飛んだ返り血をぬぐいもせずにかがみこんだ
男の血で濡れた画面には、楽しそうに笑う幼い子どもが映っている。かわいらしい女の子だった。
たった今、自分はこの子の親を殺したのだ。その事実に胸がねじ切れそうになる。
なんだってあんなことを訊いたのだろう。知らないままで引き金を引いていればよかったのに。そうすれば、余計な荷物を背負いこまずに済んだ。ひどいミスだ。
自分が射殺した男は罪のない一家を殺した魔術犯罪者だ。こいつらに殺された家族にだって子どもはいて、一緒に殺された。同情の余地はない。
そう自分に言い聞かせる。
細い息を吐き出し、真白は携帯端末を男の手に握らせた。
男たちの犯行についての重要な手がかりになるだろうが、持っていきたくない。見るのも嫌だった。置いていっても、後で処理班が回収してくれるから問題はない。
立ち上がった拍子に脇腹が痛み、真白は小さくうめいた。
見れば、脇腹に石の破片が突き刺さっていた。爆発の際に咄嗟に『力』を巡らせて防壁を張ったのだが、隙間を抜けたようだ。
他にも身体のあちこちに怪我を負ったようだが、今は無視する。
真白は脇腹に刺さった破片に手をかけ、一気に引き抜いた。叫びそうになるくらいの激痛が走った。すぐさま患部に意識を向け、力を集中して強引に圧迫、止血する。
脇腹を押さえたまま、荒い呼吸を繰り返す。
頭の芯に突き抜けるような痛みは消えないが、血は止まった。とはいえ、気を抜けばすぐに出血するだろう。自分には傷を癒す力はない。傷つけるばっかりだ。
ついさっき聞いた男の言葉が頭の中に響く。
今まで何人殺した?
――知らない。数えてないよ、そんなの。
「何があった?」
真白が風通しのよくなった倉庫を出ると、目の前に天を衝くような大男がいた。今回の任務のパートナー、
「ゴーレムの自爆です」
「目標は?」
「捕縛は困難と判断したため、射殺しました」
本当か、と自分の声が胸の内にうつろに響く。
本当に、殺す必要はあったのか。
あった。自爆などされたらたまったものではない。
だから、引き金を引いたのは間違ってない。
「そうか。突入できなくてすまない」
あの状況で倉庫の中に突っ込むのは自殺行為だ。織戸の判断は正しい。
「お気になさらず。それより、怪我の治療をお願いできますか」
真白はジャケットを脱ぎ捨て、ブラウスとキャミソールの裾をめくった。
織戸は真白の血に染まった脇腹に目を向け、痛そうに顔をしかめた。この大男は、血や怪我を見るのが何よりも苦手なのだ。
「了解だ」
それでも嫌がることなく織戸は傷口に手をかざし、口の中で小さく何やら呟く。
ぽう、と小さな光が灯り、痛みがすっと引いていった。
自然治癒ではありえない速度で傷を癒す、回復魔術だ。
傷が治るのならば何でもいいが、魔術というのは得体が知れないと真白はいつも思う。一体どういう仕組みなのか。
魔術とは、然るべき手順を踏んで術者が望む現象を引き起こすもの。引き金を引けば銃口から弾丸が発射されるのと同じ。
一度織戸がそのように説明してくれたことがあったが、真白にはさっぱり理解できなかった。
もっとも、織戸たち魔術師からすれば、真白の力の方が意味不明のようだ。
魔術には体系だった理屈があるが、真白の力にはそれがないらしい。魔力も使わず、過程を省いて一瞬で結果を発現させる、インチキじみた力だと魔術師たちは口をそろえて言う。
一部の者はバケモノ、とも。
「使い魔が死んだ後は状況がわからなくなったが、ナイフで刺されでもしたのか」
織戸はネズミを即席の使い魔に仕立て上げ、倉庫内の様子を「見て」いた。
真白が物陰に隠れていた男に気づくことができたのも、織戸がインカム越しに教えてくれたからである。でなければ、ゴーレムに気を取られて男に撃たれていたかもしれない。
真白をサポートしてくれた使い魔のネズミは、残念ながら爆発に巻き込まれて死んでしまったようだ。本来ならば失われずに済んだ命だ。ネズミは好きでも嫌いでもないが、悪いことをした。
「いえ、爆発で飛んできた石の破片です」
「自分で抜いたのか」
「はい。嫌だったので」
「嫌だったって、おまえ、せめて俺に見せるまで我慢しろよ。うかつに抜いたら出血がひどくなるだろうが」
「わかっています。ですが、痛みはともかく、異物感は我慢できません。それに、血は止めました」
「だからって……はぁ、まあいい。姫咲はそういうやつだったな」
呆れたように嘆息し、織戸は傷口から手を離した。傷は塞がっていた。真白は脇腹をさする。もう痛くない。傷跡は残るかもしれないが、問題はないだろう。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
織戸は任務で一緒になることが多く、今回の件も共に調査していた。織戸は後方支援担当、真白は戦闘などの荒事担当だ。逆じゃないのかと、周囲にはいつもからかわれる。
筋骨隆々、いかにも強そうな見かけに反して織戸の戦闘能力はさほど高くない。しかし魔術に長けているので、いつも助けられている。
「織戸さん、怪我を治してもらったついでに訊きたいのですが」
「なんだ」
「そういうやつって、織戸さんから見た私はどういうやつですか」
「どうってそりゃ、自分でもわかってるだろ」
そうだ。わかっている。それでもなお、訊かねば気が済まなかった。
今まで何人殺した?
再び男の声が頭に響く。
「不愛想、頑固、めんどくさい、冷酷、外道ってところですか」
直前まで子どもの写真に見入っていた親でも容赦なく殺す。それができるのが自分という人間だ。それができるように肉体的にも精神的にも訓練を受けた。でも、まったく心が痛まないわけではない。
悪い大人が一人消えるたび、確実に世の中はよくなっていく。
表の法では裁けない悪い大人を殺す自分は正義の味方だ。
そう自分に言い聞かせないと、とてもやっていられない。
殺されても誰も悲しまないような相手ならばまだいい。
しかし、悪い大人にだって事情がある。今日のように。
男の家族は、男を殺したのが真白だと知ったら、恨むだろうか。
「そこまでは思ってない」織戸は大袈裟に肩をすくめた。
「いくつかは当てはまると」
「どうした。今日はやけに突っかかるな」
織戸の声がやさしさを帯びた。その手には乗るものか。
真白は無言で織戸を見つめる。織戸は諦めたように嘆息した。
「最初の二つだけだ」
織戸としては、最大限の譲歩なのかもしれない。これ以上追及して困らせるのも悪い。
真白は脱ぎ捨てたジャケットを拾い上げ、羽織る。
「そうですか」
そっけなく言って、耳から外したインカムを織戸に放った。
踵を返す。自分の仕事は終わらせた。後始末は織戸を含めた大人たちがやってくれる。真白がこの場に留まる理由はもう無い。
「待て、
またお説教だろうか。
織戸はなんでこんな仕事をしているのかと不思議になるくらいの善人だが、時折うっとうしく思う時がある。
――あ、いまの私、嫌なやつだ。
喉元までこみあげてきた自己嫌悪を飲みこみ、足を止めた真白は首だけ振り向いた。
「なんですか」
「怪我、病院できちんと診てもらった方がいいぞ。ひとまず傷は治したが、骨や内臓に異常があったりしたら大変だろ」
お説教ではなかった。織戸の目には、心底真白を気遣う色があった。
気持ちは嬉しいが、的外れだ。病院なんて、死んでも行きたくない。
「必要ありません。私が病院嫌いなのは知ってますよね」
「知ってるけどな。協会の息がかかった病院なら――っておい、姫咲!」
真白は診療が嫌なのではない。病院という場所そのものが嫌いなのだ。
正面に向き直った真白はもう振り向かなかった。そのまま歩き続け、待機していた任務従事者回収用の車に乗り込む。
運転手は一言も喋らず車を発進させる。
黙っていても家まで送っていってくれるのがありがたい。いつもそうだ。
任務で傷を負い、疲れ果て、ぼろぞうきんのようになっていても、運転手は何も訊かない。ただ機械的に真白を家に送るだけだ。
たぶん、車中で真白が事切れて物言わぬ死体になった場合でも、この運転手は最後まで自分の仕事を全うするのだろう。そうして眉一つ動かさず、真白の保護者に真白の死体を引き渡すのだ。
その光景を想像しただけで、ひどく気が滅入った。
自分が先に死ぬのは確実にせよ、彼を無駄に悲しませることだけはしたくない。だが、どんな死に方をすれば彼を悲しませずに済むか、真白にはわからなかった。
窓の外を暗い街の景色が流れていく。
自分の身体を見下ろす。織戸の言った通り、返り血と自分の血で、ひどい有様だった。
正義の味方って、本当はもっときらきらしているものではないのか。
時々、どうしても考えてしまう。なんで自分はこうなったのだろう、と。
素質、巡りあわせ、選択。
いくつかの要素が混じり合った結果だとしても、きっかけはやはり、スプーンを曲げたことだと
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます