第3話 春になったら③

 タイミングを見計らっていた男は素早く近くにあったコンテナの陰に飛び込んだ。

 ほどなくして、パラパラと石の破片が降ってくる。

 ――やった。やってやった。

 ゴーレムには自爆装置が仕込んであったのだ。それを少女に気づかれないようにワンフレーズの呪文で起動しておいた。長い呪文だったらきっとばれていただろう。時間稼ぎがうまくいったのもよかった。

 商品なので本当の意味での最終手段だったが、命あっての物種だ。依頼主には悪いが己の命には代えられない。

 爆発による粉塵が収まってきた。ゴーレムが倒れていた場所は大きく抉れている。少女の姿はない。バケモノといえども、さすがにひとたまりもなかったようだ。もう出ても大丈夫だろう。

 男は出口に向かって歩きながら擦り切れかけたコーデュロイパンツのポケットを探り、携帯端末を取り出した。

 操作して、最近妻から送られてきたばかりの子どもの写真を呼び出す。

 思わず足を止め、しげしげと見入った。

 今年で五歳になる娘は驚くほど大きくなった。こんなに大きくなるまで、妻が一人で育ててくれたのだ。

 妻には苦労しかかけていない。

 でも、無事に育ってくれてよかった。

 娘は、生まれつき難病を抱えていた。治療には莫大な金がかかり、蓄えは一年で尽きた。男の稼ぎではどうやっても治療費を工面できなかった。

 絶望し、半ば諦めかけていた時、昔つるんでいた魔術師仲間から声がかかった。男の苦境をどこかで聞きつけたのかもしれない。

 ――いい話があるんだ。

 要は、魔術を用いた犯罪だった。

 男には、乗る以外の選択肢はなかった。

 あれから四年、気づけば堕ちるところまで堕ちていた。

 幸い治療はうまくいき娘の命は助かったが、男の手は汚れきっていた。今更、父親面で帰れないだろうと思っていた。

 だが、大きな仕事が舞い込んで、事情が変わった。

 ゴーレムを教団に引き渡せたら、まとまった金が手に入ることになったのだ。

 うまくいったら悪事から足を洗い、妻子の元に戻って商売でも始めたらいいと仲間が言って、男は容易くその気になった。

 春になったら――。

 そう。春になったら、また一緒に暮らせるはずだった。しかし、どうやら無理のようだ。

 妻には悪いが、可能な限りの金を振り込んで、自分は姿を消そう。

 協会の保安部に目をつけられてしまった以上、国内にもはや逃げ場はない。新しい狩人が送り込まれる前に海外に高飛びするしかないだろう。

 ちっぽけな欲に目がくらみ、人を殺した報いだ。必要のない殺人だった。

 少し待てば大金が手に入る予定だったのに、愚かだったとしかいいようがない。

 そんなことを考えながら娘の写真を見ていると、後頭部に斜め下から何か押し当てられた。

 確認せずともわかる。大型拳銃の銃口だ。

 まさか、そんな。コンクリートの床をごっそり抉り取るような爆発に至近距離で巻き込まれて生きていたのか。ばらばらの肉片になっていてもおかしくないのに。

「最後に一つだけ訊いておきたいのですが」

 背後から聞こえてきたのは、間違いなく、あの少女の声だった。声の位置の低さから、否応なく身長差を意識する。

「なんだ」

「その写真に写っているのはあなたの子どもですか」

「そうだと言ったら、見逃してくれるのか」

 銃口が更に強く押し当てられた。男はため息をついた。

「俺の子だ。つっても、向こうは俺のことなんざ覚えてないだろうが」

 銃口越しに、少女のわずかな感情の揺らぎを感じた。

「それはよかった。覚えていないのならば、私も心がさほど痛まずに済みます」

 血も涙もないのかと思いきや、どうやら人並みに痛む心は持ち合わせているらしい。だが、見逃してくれる気はないようだ。

 もっとも、さすがにそれを期待するのはムシが良すぎる。こちらは少女を殺そうとしたのだ。殺されても文句は言えない。

「俺からも、最後に一つ訊いていいか」

 何の気なしに、そんな言葉が口をついて出た。無視されるかとも思ったが、少女は応えてくれた。

「なんですか」

 さっき見たばかりの娘の写真が男の脳裏をよぎる。

「お嬢ちゃんは何歳なんだ」

「……十四です」

 少女が答えるまで、少しだけ間があった。

 最悪だ。興味本位で訊くんじゃなかった。なんで年齢なんて訊いてしまったのだろう。

 男は嘆息する。

 年齢を知ったことで、人間離れした得体の知れないバケモノが、現実の輪郭を持った少女になってしまった。

 自分が十四の子どもを殺そうとしたことも、十四の子どもがこれから自分を殺そうとしていることも、どうしようもなく救いがない。少女にこんなことをさせている悪い大人は自分もろとも地獄に落ちればいいと思う。

「そうか」

 目を閉じた男は、すまない、と心の中で妻子に詫びた。

 この命は惜しんでいいようなものではないが、娘の成長を見届けられないのが心残りといえば心残りではあった。

 

 春になったら、一緒に暮らせるはずだったのに――。

 

 銃声、男の意識は闇に溶けて消える。

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