第6話 贋作街・屋根の上(2)

「気づいたか、小太郎」

「え?」


 久々に下の名前で呼ばれた気がする。……いや、どうでもいいか。

 俺の家からここまで走って十数分。しかも平坦な道ではない。足場の悪い瓦屋根の上やビルの屋上。それから垂直に跳んだり飛び降りたりと、とにかく普通の人間ならとっくに巻けているはずなのだ。

 確かに人数は減っている。でも、その中でも数人は未だに追跡の手を緩めていなかった。何もんだあいつらは。

 そして、それに意識が向いた俺を見て、堅勢が言った。


「今朝がた、表から数人の人間がこっち側に迷い込んだ形跡があった」

「今朝? 境界が緩んだのか?」

「……いや、塞いだ空白の跡地には、無理やりこじ開けられた形跡があった」


 表とは一般的に言われる世界のこと。規制を敷かれ、節度を守ることを第一とされたつまらない世界。

 表と贋作街は、特殊な境界によって区切られているが、その境界にも小さな穴がある。それが空白だ。空白からは資源や文化、時折人間なんかも紛れ込んでくるのだが、それを選別し、送り返したり回収したり、処分したりするのは各々の議員が担当する。処分するのは警戒議員の仕事だ。

 いつもなら迷い込んだ人間は送り返して終わり。そのはずだが……


「つまり、贋作街こっちがわの人間が手引きした、と?」

「ああ、そうなるな。そしてこの騒ぎの元凶もおそらくそいつだろう」

「それは……」


 お前の過失じゃないか。言葉は胸中に沸く。しかし苦悶の表情を浮かべる堅勢を横にして、言えることではない。

 堅勢はとっくに分かっていることだろうが、今回のその迷い込んだ人間は、そのほとんどが「処分する」側の人間である。


「とりあえず、俺は斗樋からの言伝を任されてお前のところに来た」

「斗樋? なんだって」


 何回か跳び継いで走ったビル群も、交差点を区切りに先が無くなった。俺は堅勢に肩を抱えられ、飛び降りる。


「闖入者のほとんどは散り散りになったが、一人だけ空白の近くに残っていた。斗樋のところにアルと一緒にいる。小太郎はまずそこに向かえ」

「分かった。堅勢はどうする?」


 ビルの高さは軽く40メートルはあった。交差点の向かいには今度は尖った屋根のレンガ塔が林立している。斗樋はあの塔の群にいる。

 軽い身のこなしで着地した堅勢から離れ、俺は交差点の向こう側に向かう。すると堅勢は俺に背を向け、上着の内側からマチェットナイフを二本、引き抜いた。


「とりあえず、ここを鎮圧する」

「……分かった。任せる」


 俺は逡巡の後、交差点を渡った。

 一瞬の迷いは、堅勢の身を案じたのではない。どちらかと言えば、追手の安全だ。まさか堅勢も、皆殺しにはしないと思うが……流石に戦闘力には差がありすぎるだろう。

「……まあ、いいか」

 全身兵器、化野堅勢。どちらにせよ、あいつにとっては取るに足らない相手だろう。

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