第4話

 伊生と弘志は、自称カースト下位層のまま、小学校を卒業し同じ中学校に入学したが、その後はそれぞれ別の高校に進んだ。定期的な連絡も次第に少なくなり、高校卒業後の生活は互いに知らない。


 伊生は、高校卒業後に県立大学へ進んだが、学生の限度を超えた怠惰な生活が実を結び、二度留年した。その後の就職活動でスーパーの食品工場から内定をもらい、社会人の仲間入り!と安心したのも束の間、つまらなくて辞めた。現在は、地元の居酒屋でアルバイトをし、何とか生活を維持している。


 冴えない繁華街のさらに奥まった場所で、居酒屋「南風」は今日もしっぽりと営業していた。伊生が会計済みのテーブルの上に残ったポテトフライをひょいと口の中に放り込んだ時、ガララと戸が開いたので、慌てて右の頬にポテトフライを追いやった。いらっしゃいまへ、ともごもごしながら入口へ向かうと、学生時代にカースト下位層を共に生き抜いた戦友の姿があった。当時より大人びて髭も少し伸びかかっているが、雰囲気はそのまんま、弘志のまんまだ。


「お前、何してんだよ」

「ここで働いているのか、伊生」


 お互いの近況を全く知らなかった2人は、急な戦友との再会に驚いたが、どちらからともなく手を差し出して握り合った。

「お前、今どこで働いているんだ」

「工場だよ。自動車部品の。毎日かつかつだけれど、僕はどうも話すのが苦手みたいで、就活は尽く失敗したよ。唯一受かったのが今の会社だ」

「相変わらずだな」

「伊生はここでアルバイト?」

「そうだよ、弘志と同じようなもんだ」

「相変わらずだねえ」


 カウンターに案内された弘志は、焼酎のウーロン割りと枝豆を恥ずかしそうに注文した。しばらく追加注文もなく、酒とつまみを大事そうに少しずつ口に運んでいるので、伊生は大将に「久しぶりに再会した幼なじみなんです。俺の給料から引いていいんで、何かサービスしてやってください」と頼み込み、モツ煮込みとだし巻き玉子を出してやった。


「気を遣ってもらってごめん。でも凄くうまいよ。ありがとう」

「戦友だからな」

「戦友か」

 弘志は眉毛を下げ、ふふ、と微笑んだ。

「戦った結果が、今の俺たちだもんな」

「というか、僕たち戦ったのかな」

「わかんねえな。頑張ったっちゃ頑張ったが、なんか人生ってうまくいかねえよな」


 弘志が座るカウンター、その後ろに立つ伊生、そのさらに後ろから、突然にゅうっと人影が現れた。ぎょっとして二人は同時に振り返り、人影の正体を認識すると、さらに驚き、仰け反った。


「おい、もしかして、シゲ爺じゃねえか」


 小学校の用務員として出会ったシゲ爺は、当時と変わらない白髪の混じった髭がぼうぼうに伸びきっており、垂れた瞼の下の小さな目は、相変わらず黒く光っていた。当時から「爺」らしい容姿だったが、十五年経ったはずの今も「爺」のままだ。


「人生うまくいかない、と聞こえたんだが」

 シゲ爺は、にかっと入れ歯を見せつけて笑いながら、瞼の奥の目を黒く光らせた。


「シゲ爺、いつからいたんだよ。急すぎるだろ。びっくりした」

「失礼な店員だな。最初からいるだろうが」

 伊生はハッとして、奥の四人掛けのテーブルに目をやると、清潔とはいえない爺さんが、1人で漬物をしゃくしゃく食べている。そういえば、二時間ほどずっと廃れた爺さん二人が漬物ばかり食べているのを、大将と厨房で揶揄していたのだが、まさかシゲ爺だったとは。


「驚いたよ、シゲ爺。最初から居たなら、僕がここに入ってきた時の僕たちの会話で気づいただろうに。早く声かけてくださいよ」

「漬物食うのに忙しかったんだよ」

「漬物一皿を二人で食うのに何時間かかってんだよ」

「ところで、人生うまくいってないのか、お前たち」

 弘志はへへっ、と声だけで笑い、首を撫でながら俯いた。

「小学校生活とは裏腹に良い人生だよ、って言いたいんですけれど」

「なんだなんだ、若い奴らがだーだー言って、地球が滅亡するわけでもなかろうに」

 そう言ってからシゲ爺は、いや、あり得ねえ話じゃねえな、などとぶつぶつ呟いている。


「シゲ爺、スクールカーストの話、覚えてるかよ」

「スクールカーストなんてどこにでもあるだろうが」

「5年生だったかな、僕たちカースト下位層だって話、シゲ爺に話したと思うんですが」

「弘志、シゲ爺って呼ぶくせに敬語で話すの、相変わらず収まりが悪いな」

 伊生がにやにやしながら弘志の肩をつつくと、後ろでシゲ爺が、おお、思い出した思い出した、と声を上げた。


「あれか、足が速いやつが勝ち組とか、そんな話だったか」

「そうそう、俺たちは足が遅いからカースト下位層で萎れてたけど、慰めてくれたじゃねえか。結局今も社会のカースト下位層だけどさ」

「ビリではないだろうけどね」

「あの時もビリじゃあなかったな。もっと遅い奴いたろ」

「一人だけだよ。大して変わらないよ」


 シゲ爺は、伸びた髭を撫でながら2人の会話を見つめていた。

 弘志が、今も大して変わらない、とこぼし、空気が少し冷えたような気がした。


「かけっこでもしてみろよ、お前ら」


 なんで?という素っ頓狂な声が二つ重なり、厨房まで響いたため、伊生は大将に「さっさと仕事しろ、給料出さねえぞ」と叱られてしまった。

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