1 ホイル包み焼きハンバーグ㉒

    *


 約束をとりつけたあの日のことを、未桜は改めて思い返してみる。

 ──「こんな若い子に愚痴っても……」と後ろめたくなりつつ、未桜は気付けば、ダイレクトメッセージの返信から通話に会話方法を切り替えて。先ほどあったばかりのこと、そして、今まであったことを全てぶちまけてしまっていた。

 シュンと同じくらいの年齢から、考古学者を志していたこと。ずっと温め育ててきた研究成果を発表するのが夢だったこと。それを突然、麗子に奪われたこと。人生の大半を費やしていた研究がおしやになって、手元に何もなくなったこと。うつろな気持ちで不本意な仕事をこなす毎日を過ごしていた矢先、会社から突きつけられた条件変更の話に、ひざから崩れ落ちそうになったこと。

 そして、失意のうちに帰宅する途中、待ち伏せられていたように麗子に遭遇して、一番かけられたくない言葉で心をえぐられたこと──

 話を聞きながら、シュンはこんなあいづちを打ってきた。

『山中麗子さんって、僕、名前を聞いたことあるかも……です。なんか、歴史系の教育番組? とかに、ちょっと前までよく出てたけど。最近あんま見ないような。どうかな』

(え……そうなんだ? ずっと引っ張りだこかとばかり)

 麗子の情報を入れたくなくて、メディアで彼女に触れそうなところは意識して締め出すようにしていたせいか。ひょっとしたら、とうとうメッキががれて降板させられるようになったのかな、なんて思うと少し愉快な気持ちになったが、なんにせよ今の未桜には必要のない話だ。

 彼は非常に聞き上手で、まるで関係ないのに申し訳ないと思いつつ、この如何いかんともしがたいやりきれなさ、へいそく的で孤独な状況を、ついつい話しこんでしまったものだ。

 全部吐き出してしまったあと、シュンからの返答には、やや間が空いた。

 それはそうだろう、と未桜は冷や汗をかく。いくら話が聞きたいと言われたからって、いきなりヘビーな内容を洗いざらい吐き出されては、反応に困るはず。さすがにあきれられたか……とため息をついたところで。

 シュンの台詞せりふは、あまりに意外だった。

『ロバさん、うちのスタジオに遊びに来ませんか?』

『へ?』

 素で声が出たのもやむなしだ。それくらい脈絡がなかった。ついでに、その続きもまた、同程度には唐突だった。

『そうだ。僕、本名はとう駿しゆんっていいます。いきなりすみません。僕が勝手に名乗ったからって気にせず、ロバさんの本名は言っても言わなくてもで! ……あ、でもこれだけ。お住まい、東京とかその近くですか? ちなみに僕がいつも動画撮ってるスタジオは、東京の……区の……あたりなんですが。スタジオっても普通にマンションの一室ですけど。えっと最寄り駅が』

(本名もスタジオの場所もそんなホイホイ言っちゃっていいの!?)

 あんぐり口を開けていると、彼はそんな未桜の心を読んだかのように『なんかぶしつけで一方的に、本当すみません……』と続ける。君の不用心さが心配なだけでしつけだと思ったわけではないぞと、未桜は内心で首を振った。

 それより何よりだ。

(お邪魔していいの? シュンくんのお料理スタジオに? うっそ。本当に……?)

 確かにどこにあるんだろうと気にはなっていたけれど。そして、告げられた所在地は、十分に日帰りでの移動範囲内だ。意外に近いところにあったなんて。

『えっと……私も東京在住です。シュンく……佐藤さんのスタジオに遊びに行けるのはうれしいけど、いいんですか?』

『もちろんです! お誘いしたのは僕なので! 動画撮ってから、できた料理ごそうします。ゲスト出演って意味じゃなくて、ちゃんと撮った後にっていうか……動画自体には出なくていいんで! あと当たり前ですけど変なこととか絶対しないんで安心してください! ロバさんに、僕が作ったご飯食べてほしいな、ってだけなんで』

 ロバさんに、美味おいしいもの食べて元気出してほしいんです。彼はそう続ける。

『……僕のエゴです。だめですか?』

(変なことも何も、そういう気を起こそうにも、私は君よりだいぶおばちゃんだし。それも疲れ切ったおばちゃんで、色気も美しさも皆無だけど……)

 こっそりと感想に自虐も取り混ぜて、プッと噴き出す。

 少しでも笑うと、幾分か気持ちが楽になる。……不思議だ。さっきまで、目の前が文字通り真っ暗になるようなどん底にいたのに。

『ありがとう。それじゃあ、お言葉に甘えてご馳走になっていいですか』

 気づいた時にはそう返信していて、間髪をれず『もちろんです!! ロバさんが食べてくれるなら、とびきりいいお肉仕入れて、腕によりをかけて頑張りますね! ありがとうございます!』と元気のいい言葉が返ってくる。

 それでいて、あとから『今さらですみません。……もいっこ確認ですけど……僕の動画観てくれてるってことは、ロバさんお肉料理大丈夫な人ですよね……?』と不安そうな追加質問が来るものだから、未桜は今度こそ声を立てて笑ったものだった。

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