1 ホイル包み焼きハンバーグ⑳

   *


(麗子……あの場所に立ってたの、案外わざとだったのかもしれないな)

 そのことに思い至ったのは、荒れ狂う心をどうにかなだめながら未桜が帰宅して、靴を乱雑に脱ぎ捨て、常備しているペットボトルのミネラルウォーターを一気に飲み干した瞬間だった。

(なんでかはわからないけど。ひょっとしたら麗子、私が今の会社に勤めているのをどこかで知って、わざわざマウント取りに来たんだったりして……)

 十分ありうる話だ。そういえば、「友達に、ここの商品は評判が悪いと聞いた」と、ご丁寧にも事前情報を仕入れてきていた。たとえば何かむしゃくしゃすることがあって、そのはずみで自分がかつてたくらんで使い捨てた相手を思い出したのだろうか。「そうだ、死体を蹴ろう」などと、古都観光にでも出かけるノリで、憂さを晴らしにきたのかも。あいつの行動背景なんて、今となってはどうでもいいことだけれど。

(私も、……どうして麗子についていってしまったんだろう……)

 ぼうっとしていて受け身が取れなかった──といえばそれまでだが、途中で我に返った時にでも、振り切って帰ればよかったのだ。葬式にすら来て欲しくないと思うほど、あんなに嫌いだったのに。それを誘われるまま、うかうかとコーヒーを一緒に飲んだりして。

 結局こうして、厄日の締めに最悪なトドメを刺されてしまった。どうかしている。本当に、一体何をやっているのやら……。

 ストッキングはおろか、ジャケットすら脱ぐ気にならず、未桜はノロノロと手だけ洗浄し、ワンルーム中央のローテーブルに倒れ込む。床にしりもちをつくように座り、天板にペタリと頰をくっつけているうちに、なんだか無性にむなしくなってきた。

 家族からも友人からも孤立し、仕事にもちっとも満足できておらず、おまけに。

 ──今の未桜ちゃん、ちっともキラキラしてないよ?

(あんたにだけは、言われたくない)

 そこで未桜は、やっと思い至った。どうして先ほど、あんなに忌避していたはずの麗子に、とつについていってしまったのか。その理由に。

 ──ね、ね、あたし山中麗子。仲良くして。

 ──あたし、未桜ちゃんがあこがれなんだぁ。

 裏切られ、奪われ、理解不能の言動に振り回され。もう金輪際関わるまい、忘れようと思っていたくせに。未桜自身でも気づかないうちに、まだ麗子に「何か」を期待していたのだ。

(今までの裏切りで持って行かれた分は、もう全部くれてやるから。それでもうおしまいにするから。これ以上奪ってくれるなって、……そんな期待をしていたんだ)

 なんなら、どこかで彼女が心を入れ替え、「本当はあなたのおかげなのに、ごめんね」と謝ってくれることすら、無意識のうちに想定していた。そうだ、たとえ口先だけの誠意のこもらない謝罪だったとしても、許したのに。それさえあれば、許せたかもしれないのに。

(もう嫌だ。嫌だ、全部嫌だ)

 麗子のことも、その前にあった、保険会社の理不尽な契約条件の変更についても。そして、結局は嫌だ嫌だと言いながら、全部「どうしようもない」とあきらめざるを得ない、今現在の自分も。

 すべてにもう、心底嫌気がさした。何もかもがおつくうになってしまった。

 うつろなまなしのまま、取り出したスマホをタップして起動させる。慣れた手順で、当たり前のようにルーチンの手順を辿たどる。短文SNSを立ち上げれば、デフォルトで〝ロバ〟アカウントでログインされている。そこから先も、完全に衝動的な行動だった。

『もう死にたい』

 思ったままの言葉を親指を滑らせてつづり、目に痛いスカイブルーの送信ボタンを押す。

『もう疲れた。生きててもいいことなんかない。どうせ何もかも奪われてダメになっちゃう。そんなの嫌だ。何もかも嫌だ。今すぐ死んでしまいたい』

 勢いのまま連投して、ローテーブルにスマホを乱暴に放り、額を天板にこすり付ける。はぁっとはいから搾り出すようなため息をつくと、魂や生命力も根こそぎ口から逃げ出ていくような心地がした。

(ほんと、……生きてても……)

 悪循環ばかりで何もいいことがなく、緩やかに首を絞められて、死んでいくだけなら。今できる逃避のすべなんて──

(……?)

 不意に。

 ぽん、という場違いに明るい音と共に、暗くなっていたはずのスマホの画面が明るくなる。待ち受け画面に通知がひとつ表示されていた。先ほど〝ロバ〟から投稿したばかりのSNSに、メッセージが届いたようだ。

(このアカウントも壁打ちみたいなもんだし、一体誰が……)

 さっき投稿してから、まだ数分しか経っていない。この短時間で、うっかり何か妙な勧誘スパムアカウントの琴線にでも触れてしまったのか──と。いささか頭に冷水を浴びせられた気持ちになりつつ、アプリを開きなおし。

 そこで未桜は、大きく目を見張った。

「え──」

 声も出る。

 なぜなら、ダイレクトメッセージを送ってきてくれた相手が、あまりに予想外だったせいだ。

「……シュンくん!?」

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