1 ホイル包み焼きハンバーグ⑫

          *

「ただいまぁ……」

 駅から徒歩二十分、狭い安普請の賃貸アパートの部屋に帰りつき、未桜は誰にいうともなくつぶやいた。

 待つ人もない部屋に向けてあいさつしたところで、返事など返ってくるはずもない。コンビニで買ったチルドのラーメンと強度数のかんチューハイの入ったビニールバッグを玄関に放り出し、未桜はに腰を下ろしてパンプスを脱いだ。

(あ。この靴、ヒールがだいぶつぶれてきた。そろそろ修理に出さないと……やだな)

 かかとから縮れた黒いゴムの切れ端がのぞいているのを見て、顔をしかめる。

(正直、ちょっと痛い)

 靴の修理費は、なかなかばかにならない出費になるのだ。挨拶回りや契約取り付けのために、頻繁に足を使う仕事なので、特にすり減るのが早い。

 顔を顰めてかぎをかけ、肌色のストッキングも玄関で早々に脱いでしまうと、手にぶら下げて洗面所に向かう。脱いだジャケットとスカートを雑にハンガーにかけ、汗を吸ったシャツブラウスや下着もまとめて洗濯機にポイポイと放り込む。部屋着にしている、洗いすぎていろせた黒Tシャツにショーツ一枚のだらしない格好のまま、手を洗ってうがいをした。

 家に帰ってから改めてレンジを使う気力すら残っていないので、弁当類は汁物であってもコンビニで温めてもらうのが常だ。袋の中でわずかに汁漏れしていて、ただでさえ低空飛行の気分が更に落ちる。道中でほとんど冷えて伸び切ってしまったそれをローテーブルに置き、未桜はどかっとラグに座り込むと、なけなしのやる気を絞って取り出したスマホを充電スタンドに置いた。

 画面を指先でちょいちょいとタップして呼び出したのは、青い鳥がトレードマークの短文SNSだ。アカウント名は〝ロバ〞の二文字。

(王様の耳は、ロバの耳)

 狭い部屋に、プシュッと缶チューハイのプルタブを引く音、ラーメンをすするずるずるという音だけが満ちる。自分のアカウント名の由来を脳内で読み上げ、未桜はふっとちようを込めて口元を緩めた。「王様の耳はロバの耳である」――そんな誰にも言えない秘密を、王様の従者が穴を掘ってこっそり打ち明ける、あの有名な童話だ。

 フォロワーが限りなく少ない、病みがちなアカウント。この短文用と、動画系の某大手アプリが、今未桜が主に使っているSNSである。

(と言っても、いい加減もう書くことも無くなってきたくらい、なんだけど)

 ハハッと軽く笑って、指先を画面に滑らせる。

「……『今日もまた同じことの繰り返し、そろそろ飽きました』……っと」

 最初の頃は、「RY」とイニシャルだけ出して、特定は避けるように注意しながら麗子のこともつづっていた。しかし、このところそれすらしていない。ネットの海に不確かな情報をそっと流したところで、誰も彼もあまりにも無反応だったから。

「……『なんかもうほんと生きるの疲れた、どうでもいい』……っと」

(本当は)

 悪循環は、同じ高さでせんを描くだけでは飽き足らず、少しずつ下降している気すらする。

 明日あしたは今日より悪くなることはあっても、よくなることはない。そんなことまでつぶやいてしまうと、いよいよ自分がどうしようもない生き物になった気がして、書けないけれど。

「さて……」

 短文の方に定型文と化した愚痴を殴り書き、今度は動画系SNSにウィンドウを切り替える。少し、気持ちが浮き立った。なぜなら。

(あ、ラッキー……今ちょうど新しいのが上がったところだ!)

 チャンネル登録もしているが、短文SNSでもフォローしているアカウントが連動して新作アップをお知らせしてくれるので、見つけるのは早い。

 未桜は、今度は少しだけ軽やかな気持ちで、三角の再生マークを押してみる。自動的にスマホの画面の大きさに合わせて拡大されたウィンドウいっぱいに、見慣れた顔が映し出された。

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