1 ホイル包み焼きハンバーグ⑥

『あーあ、有名になりたいなぁ』

 博士に進む前、麗子は何度も漏らしていた。研究室備え付けの、いつからあるかもわからない、えらくレトロないろのコーヒーメイカーでコーヒーをれながら――麗子はじっと座っているのが苦手だとかで、何かと理由をつけて席を立ちたがり、その多くがこの「コーヒーを淹れる」ことだった――彼女は甘ったるいピンク色の唇をアヒルのように突き出した。

『ほら、あるじゃん。メキシコのチチェン・イツァとか、エジプトの王家の谷とか、イタリアのポンペイとかぁ。あたしね、考古学ってもっと華やかで派手でかっこいいの、想像してたんだけど。見込みちがいだったみたい。それで、有名な先生たちみたいに、テレビとかでどんどんインタビューされちゃって。いいなあ。あの人たち、お手軽に注目浴びられて、いいなあ』

『……どの先生も、泥臭くて地道な調査と研究を積み重ねたから結果として有名になったのであって、決してお手軽ってわけじゃないと思うよ』

 名前を例にとられた先生方は、未桜も著作を何度も読み返しては尊敬している人たちばかりだったので、やんわりと訂正してみた。

『おえっ。お説教臭い。未桜ちゃんそういうとこあるよねぇ』

 綺麗に整えたまゆひそめ、麗子はますます口をとんがらせたものだ。

『ならあたし、大学教授の奥さんになりたいな。そしたら研究室にも遠慮なくいられるし、未桜ちゃんともずっと一緒だし? だって未桜ちゃん、ドクター終わっても研究続けるでしょ? あたしも同じところにいたい』

『またそんな』

『ほんとほんと。未桜ちゃんはあたしの憧れなの。研究に一生懸命でかっこよくて。あたし、未桜ちゃんみたいになりたいんだぁ』

 調子いいなあ、けどちょっと可愛いことを言ってくれるじゃないか……と照れ臭さを覚えつつ。笑って返した未桜だが、麗子の台詞せりふの前半が気になったのは確かだ。麗子は研究自体への興味はからっきしだったが、反して異性との交友にはいささか不健全な方向に積極的と言おうか、――いわゆる〝サークルクラッシャー〞な気質が少なからずあったためである。

 女慣れしていない助教や講師、准教授を狙って近づき、そこかしこで大学をまたいでいろいろな相手と、いわゆる「そういう関係」になっている――とは、この研究室に入ってから数ヶ月経たないうちから、何度も聞いてきた話だった。

 論文がボロボロの出来だったにもかかわらず、修士課程を無事に修了できたのも、逆にあまりやる気もないまま博士に入ることができたのも、「何か不自然な力」が働いているかもしれない、なんて噂は絶えず付きまとっており。『あれ、いい加減見てられないから、中嶋さんから何か言ってくれないかな』などと、内部進学の同期にちくりと言われたこともあるが、やんわりと受け流してきた未桜だ。なぜなら彼らは、未桜にとってお世辞にも友人とは言えず。逆に研究室でもプライベートでも、未桜が気軽に話せる相手は麗子だけだった。特に、麗子は誰かに注意されたり𠮟られることをひどく嫌うたちだったから、未桜からは何も言えるはずがない。唯一の友達を、失うのが怖かったのだ。

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