1 ホイル包み焼きハンバーグ④

 中嶋なかじま未桜みお、三十一歳。性別、女性。未婚。

 職業は、生命保険のあつせん販売員。ひと昔前には、いわゆる『生保レディ』と呼ばれていた仕事だ。

 勤め先の企業名は誰でも知っているような有名どころだし、身分としては正社員ではある。しかし未桜の会社が特殊なのか、正規雇用として入社するものの、あくまで名目上だ。社員資格には派遣よろしく毎年更新があり、月々の契約数の業績がノルマ達成できていないと、その資格を失ってしまう。資格継続のため、ノルマ達成に血道を上げざるを得ないシステムなのだ。この就業規則、労基法ギリギリなのではと未桜はいつも疑わしく考えるのだが、今のところ労基署から何も言われていないようなので、まあ大丈夫なのだろう。知らないが。

 おかげで未桜は、電話をかけてさまざまな会社を巡っては契約を取り付ける正攻法の他、知人や親戚しんせきに至るまで「保険に入りませんか?」とパッケージ商品を売り歩く日々を送っている。高額な割に、決して自分で欲しいと思わないようなそれらを、さも極上のものであるようにほめそやし、大事な人たちにまで薦めるのは、正直気がる。

(こうじゃなかった。こんなはずじゃ。私は)

 入社は二年前。

 それまでは、わりあいに名前の知れた某国立大学の大学院で、博士課程に在籍していた。専攻は日本考古学。その中でも特に、水底に沈んだ文化遺産を調査する、水中考古学を中心に据えていたのだ。

 その学問に興味を持ったきっかけは、今でもよく覚えている――かの有名な豪華客船、タイタニック号を主題にとった、世界的に大ヒットした映画作品である。同時に鑑賞した周囲はみんな、悲劇に見舞われた恋人たちのロマンスで盛り上がっていたが、たったひとり未桜だけは、その冒頭シーンで映し出された、沈没船内部の映像に夢中になった。水深約三八〇〇メートルの深海に沈み、変わり果てた姿をカメラの前にさらすその船内では、それでもダイニングルームのごうしやなシャンデリアや航海士室のガラス窓などが、冷たい海水というヴェールをまとい、時間による荒廃からその神秘的な姿を守っていた。

 水に秘められた歴史の秘跡を、もっと知りたい。そこからの未桜は、取りかれたように目につく限りの関連書を読みあさった。沈没船だけではなく、地震などの地殻変動によって海中に没した数々の遺跡の存在――エジプトのファロス灯台などだ――もあると知り、そのミステリアスな魅力にさらにのめり込む。そのうちに、水中考古学という言葉に辿たどり着き、それがさらに、数々の研究者たちが必要性と重要性を訴えつつ、この海洋国家である日本において、一進一退を繰り返すジャンルであると知ることができた。

 何せ、水中考古学の歴史は浅い。第二次世界大戦の終盤に、潜水装備であるアクアラングが発明されてからスタートしているのだから、当然の話ではある。しかし日本ではことさらに、ヨーロッパに比してその発展がスムーズには進まず、世間での認知度も低い。国内で水中考古学を志す人々の多くは、少なからず世界に出遅れたと感じているようだった。

 それを知った時、未桜は何よりもまず、血が沸くような興奮を覚えた。

(いばらの道でも、それが面白いんだ。まだまだ発展の余地がある、これからの学問だってことなんだから。今、最前線で頑張っている人たちの助けに、どうやったらなれるだろう。一筋縄ではいかない中で自分にできることを探すのは、きっと、すごく楽しい!)

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