14-10 「ラスが死んでは、意味がないのじゃ」

 険しい表情のまま、ビオラは俺から離れて顔を袖で拭った。

 深呼吸を繰り返すと、小さな口が一度きゅっと強く結ばれる。涙を止めた表情は、何かを決意したようにも見えた。

 不思議そうに俺たちを見ていたシルバが小さく唸ると、ビオラは俺に真摯な眼差しを向けてきた。ただその瞳は、どこかくらい。


「……いらぬ。妾は、このままでよい」


 突然の言葉に、俺は思考が停止した。

 

「何を言ってるんだ?」

「今のままで、良いと言っておる」

「バカを言うな! 何のために、大陸まで行ったと思ってるんだ」


 あれほど元に戻りたいと言って、無茶なことを繰り返してきたって言うのに、何を言い出すんだ。

 その心理が全く分からず、俺は反射的に怒鳴っていた。

 そんな昏い眼差しで見つめられて、納得するわけがないだろう。


「もう、良いのじゃ!」


 ベッドを飛び降りようとしたビオラの手を掴み、こちらを振り向かせる。よく見れば、そのつぶらな瞳に再び涙が浮かんでいた。


「嘘をつくな。戻りたいんだろ?」

「……そうではない」

「じゃぁ、何で泣くんだよ!」


 訳が分からず、大人げもなく声を荒げれば、俺の手の下で小さな拳が握られた。


「医者が……」

「医者?」


 何の話かと、少しだけ首を傾げれると、ビオラは相槌を打った。


「医者が、ラスは目を覚まさないかもと言ったのじゃ」

「おいおい、どこの医者を呼んだんだ? とんだやぶ医者だな」

「妾も魔力に翻弄され、寝続けたであろう!」

「お前も、俺も起きた」

「それは結果にすぎぬ! 医者は、魔力枯渇が重度の場合、目覚めぬことがあると言ったのじゃ」

 

 どうやら医者に言わせれば、目が覚めたのは運が良かっただけってことになるらしい。

 実際、魔力枯渇でこん睡状態が続いた末の死亡事例もあるのは、俺だって知っている。


「……まぁ、今回は咄嗟に無茶したのは認める」

「それに……森から集めた魔力では、妾の魔力には足りぬ」

「そうだろうな」

「それを、森に返すだけで、あのざまではないか!」

「おい、言ってくれるじゃないか」


 事実、膨大な魔力を一時的に、鏡へと集めるだけでもだいぶ疲弊した。森から集めた魔力を統制下においていたビオラが抵抗したのも、無駄に魔力を使う要因ではあったが、今となっては何を言っても負け惜しみに聞こえるだろうな。

 思わず苦笑を零し、力の入らない手を見つめた。


「もしも……妾の封じられた魔力を開放して、戻すことが出来たとして……」


 言葉を詰まらせたビオラは、真摯な眼差しを向けてきた。


「ラスが死んでは、意味がないのじゃ」

「勝手に殺すな。そう簡単に死なねぇよ」

「そうではない! 妾は……ラスと生きるために、大人に戻りたいのじゃ!」


 真っ赤な顔で声を荒げたビオラは、だから、俺がいなくなっては本末転倒なのだと訴えだした。


「……妾が力を取り戻した時、ラスがいなくなったら、この世界を楽しむことは出来ぬ」

「だから、俺は死ぬようなことはしないって」

「しかし、丸一日寝ておったではないか!」

「一日くらい、よくあるこ──」

「それでも! 心配じゃった……目を覚まさないのではないか。妾はまた、ひとりぼっちになるのではないか……」


 ぽたりぽたりと、再び涙が落ちてベッドのシーツを濡らした。

 独りぼっちという言葉に、居心地の悪さを感じた。それは、俺が小さいときから感じてきたものと、同じだろう。


 髪をかき乱し、大きく一つ息を吐く。

 どう話したら良いかと、ここ数日悩んでいたが、もう少し早く決心をしていれば、こんな大事にならなかったのかもしれないな。

 自分の弱さを感じながら、俺は意を決した。


「まったく、お前は……俺の話を聞け!」


 一喝すると、肩をビクンッと強張らせたビオラが瞬きを繰り返した。


「今回の魔力枯渇の原因は三つだ」

「……何じゃ、急に」

「黙って聞け。一つは、俺の予測していた魔力量を上回っていたこと。次に、お前が無駄に抵抗したこと」

「そ、それは……」

「黙って聞け! 一番の原因は……マージョリーの鏡を、一時的とはいえ、封印の器に使った俺のミスだ」


 あの時、すぐ傍に魔力を封印できるものが、あの鏡くらいしかなかったんだ。幼女とは言え、ビオラが集めた魔力量だからな。下手なものを器にすれば、一時的とはいえ封印が失敗に終わる。それは最悪の事態になりかねない。

 だから、あの銀の鏡であれば、問題ないだろうと判断した訳だ。結果的に浅はかだったのだが──


「お前が姿と思っていたが、案外、なくてな」

「……どういう、こと、じゃ?」


 俺の言葉に引っ掛かりを覚えたらしいビオラは、眉間にしわを寄せ、睨むようにして俺に尋ねた。

 

「封印って言うのは、封じるものに見合った大きさの器を用意しなきゃならない。体積の問題じゃなく、魔力の話な」

「それくらいは知っておる。封印を維持するための魔力も必要じゃからな」

「ああ。だから、この鏡はマージョリーの魔力が練り込まれ、三つの大きな魔法石でその魔力を増幅して封印が完成したものだ。相当大きな器だった訳だが」

「……だった?」

「そうだ。お前を封印するために作られただけのことはある。そして、封印は解かれてお前は蘇り、この鏡はになった」


 マージョリーの手記、ビオラの契約者の為に記された一冊を思い出しながら、俺はこの後告げなければならない言葉に、胃の奥が重くなるのを感じた。

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