9-6 物見遊山でベルギル山を抜けようとは思っていない。

 ベルギル山の麓には、翌々日に辿り着いた。

 この山は一帯の連山の中でも比較的標高が低い。魔物が生息しているため山道は入山規制がされ、その監視をする役人や魔術師が、麓の町に住んでいる。

 観光要素などないため、静かな町だ。


 町の商店に並ぶのも、ありふれた食料と日用品ばかりだ。それを眺めたビオラは、つまらなそうに唇を尖らせた。

 

「ここには名産品はないのかの?」

「観光地じゃないですからね」


 チョコレートの入った袋とビスケットの箱を手にしたエイミーは、それをビオラに渡した。

 

「おやつになりそうなのは、これくらいですかね」

「仕方ないの。これで我慢するかの」

「無駄金を使う気はないぞ」

「ラスは変わらずケチじゃの」


 買い物カゴにチョコレートとビスケットの箱をぽいぽいっと放り込んだビオラは、飲料缶が並ぶ保冷庫に向かっていった。

 

「ところで、山越えにはどのくらいかかるのじゃ?」

「五時間くらいだろうな」


 ジュースを眺めているビオラの後ろから、ミネラルウォーターのボトルを手にすると、驚愕の表情を浮かべた幼い顔が見上げてきた。


「五時間! 長い。長すぎるのじゃ!」

「比較的安全なルートを選んだから仕方ないな」

「迂回したい場所もあるんですよ。この時期、警戒すべきはウィトレーの滝と──」


 エイミーがそう話していると、後ろから「あんたら」と声がかかった。振り返ると、店主だろうか男がいぶかしげな顔をして立っていた。


「あんたら、まさか山を越えるつもりかい?」

「そうだが」

「あそこに入れるのは一部の魔術師と盗掘屋トレジャーハンターだけだ。当然、山道は全てゲート付きで封鎖されている。一般人は入れない」

「それくらいは知っている。あ、こら、ビオラ! 何、勝ってに菓子を追加しているんだ!」


 イライラとした顔の男に向き合っていると、カゴにキャンディと思われる袋が放り込まれた。その袋を取り上げ、すぐ傍の棚に戻すと、ビオラの頬が膨れた。


「三人で食べたらあっという間じゃ」

「飴はそう大量に食べるもんじゃない。それに、チョコとビスケットで十分、砂糖の取りすぎだ」

「甘いものばかりでは飽きますし、クラッカーはどうですか?」

「それも良いの。そうじゃ、向こうにナッツもあったの!」

「おい、お前ら、人の話を聞いて──」


 俺が持っていたカゴを取り上げたエイミーは、ビオラと手を繋いで楽しそうに別の棚に向かって歩き出した。すると、男が「ふざけてるのか」と唸るように低く言った。

 振り返ると、さらに苛立ちを募らせた男が、俺を睨みつけていた。明らかに怒っているな。


「ベルギル山は子連れで物見遊山ものみゆさんに行くような場所じゃない!」

「だから、知っている」

「ガキを殺す気か!」

「んな訳ないだろう」

「自分の力を過信して戻らなかった奴を俺は知っている。お前も──」


 誰だか知らない他人と俺を重ねているのだと気付き、俺は呆れて言葉もでなかった。迷惑な話だ。

 ジャケットの内ポケットから、魔術師組合の国際証を取り出すと、男の目の前にぶら下げた。


「目的もなく魔物の巣に突っ込むような愚か者に見えるようだが、これでも特任魔術師だ」

「それがなんだ!」


 国際証は一定水準に達した特認魔術師以上でなければ与えられない。魔術師であれば常識であり、それを見て噛みつくとすれば、俺以上の実力者か何も知らない一般人だろう。

 どうやら、男は後者のようだ。

 止まない罵声に頭痛を感じながら、俺は国際証を懐に戻した。


「そんなカード一枚が、女とガキを守れる証拠にはならないだろう!」

「……あいつらが死んだら、山を越える意味はない。それが答えだ」

「意味が分からねぇ!」


 熱くなる男は俺の胸ぐらを掴んできた。

 この店は魔術師組合に加盟している筈だから、この男は店番か何かの一般人なのだろう。本来の店長は不在と言ったところか。


 店の入り口に加盟店の証が下がっていたのを脳裏に浮かべながら、さて、どう理解させるか考えていると「こんのバカタレが!」と金切り声が店中に響き渡った。

 声の方を見ると、黒髪の女が立っていた。


 怒りのオーラを駄々洩れにする女が大股でズカズカと近づいてくると、俺の服を掴んでいた男の手から力が抜けた。その顔を見ると、明らかに狼狽うろたえて口元が引きつっている。

 どうやら、店長のお出ましだな。


「リリー、これには、わっ、訳がだな!」

「留守番もろくにできない訳ってなに?」

「だ、だから、この男が──」

「客に対しての態度じゃないって言ってんのよ!」

 

 それはごもっともだ。

 鬼の形相のリリーと呼ばれた女は、腕をしならせた。これは、男が頬に一発食らうヤツだろう。

 黙って成り行きを見ていると、男はついに俺の胸ぐらから手を放した。しかし、時すでに遅しだ。男の頬に真っ赤なモミジの痕が浮かぶこととなった。

 スパンっと小気味の良い音が響き渡り、男は床に転がった。


「うちのバカが、とんだ失礼をしたね」

「いや。店の人は魔術師だとばかり思っていたから、説明不足で申し訳なかった」


 そう言って再び国際証を取り出し、会計はこれで良いかと尋ねると、リリーは顔を真っ青にした。そうそう、これが中級魔術師以下の一般的反応だよな。

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