7-2 新しい朝と戻った日常。

 うっすらと差し込む早朝の日差しに目をしばたたかせながら、もう少し惰眠だみんを貪りたい気持ちで寝返りを打った。あと一時間もすれば、ビオラが腹をすかせえて起きるだろう。その前に朝飯の用意を──と、ぼんやりした頭で考えていたが、はたと疑問に思う。

 ロックバレスに向かったのは十日前だ。二、三日のつもりで出て行ったから、冷蔵庫に食材はあるが駄目になっているものもありそうだ。

 いつまでも寝ている訳にもいかないな。

 

 着なれたチュニックに着替え、急いで久々のキッチンに向かった。そして、食べられそうな食材をテーブルに並べてみると案外あるものだ。


「昨日、買ってきたパンとチーズにベーコン、卵、根野菜……まぁ、なんとかなるか」


 若干しなびたニンジンを手に取り、包丁を持つ。

 残っていた根野菜とベーコンはスープだな。チーズはオムレツに入れて、イモでマッシュポテトでも作るか。そんなことを考えながら黙々と朝食の用意をしていると、店の呼び出しのベルが鳴った。


「……何だ?」


 思わず声が出た。

 まだ開店まで三時間以上ある。荷物の配達時間って訳でもないし、呼び出しのベルに全く覚えがない。

 茹で上がったイモの皮を剥いている途中で、また鳴らされた。


 致し方なく、鍋の火を止めて店に急いでいくと、入り口のすぐ横、窓の向こうにいくつもの人影が見えた。

 どういうことだ。俺が時間を間違えて客が来てるんじゃないよな。そう思って時間を確認するが、やはりそんな時間じゃない。


「一体、何の騒ぎだ?」


 文句の一つも言って追い返そうかとドアを開けると、そこには見知った顔がいくつもあった。


「ラス、生きておったか!」

「だから言ったでしょ、夜にバイクを見たって」

「お前の言うことなんぞ信用ならん」

「ちょっと、親子喧嘩はよしとくれよ」

「お帰りなさい! アンとジャンが、あんたを昨夜見かけたって言ってたんだけどね」

「じいさんが、十日近く見ないのは変だって煩くってさ」

「ちゃんと、食べてるかい? ほら、お裾分け!」

「そうだ。帰ってきて早々で悪いんだけど、いつもの薬が欲しくてね」

「それならうちも──」


 怒涛どとうごとく同時に話し出したのは、この丘を降りた先に住んでいる村人たちだ。

 師匠の時代から、彼らの常備薬や魔法道具の修理をうちでやっていることもあり、付き合いが長い。おかげで、少しばかり距離感の近い世話を焼いてくれる。


「ちょっと待ってくれ、いっぺんに言われても聞き取れないっ!」


 どさくさに紛れ、サラダを盛った皿と果物を両手に押し付けた婆さん達は満面の笑みだ。この状態、俺にどうしろと言うんだ。

 困り果てていると「何の騒ぎじゃ?」と俺の後ろからひょこっとビオラが顔を出した。

 瞬間、村人たちが静まり返った。


「その果物、美味しそうじゃの」


 顔を輝かせるビオラはまだ寝間着姿のままだ。

 咄嗟とっさにドアを蹴り飛ばし、中にビオラを引っ張り戻してしまった。当然、閉ざして背にしたドアの向こうからは、俺を呼ぶ声が上がった。

 

「よし、これを持ってキッチンに行ってろ」

「その前に、あの者達をわらわに紹介するのが筋というものではないか?」

「ややこしいことになる。お前は奥に引っ込んでろ」

「もう、手遅れでじゃないかの?」


 その通りかもしれない。

 ビオラが俺の陰から見たドアは激しく叩かれ、村人たちが俺の名を呼んでいる。それだけには止まらず、その娘は誰だ、いつ子どもが出来た、嫁さんはどこだと口々に声を上げている。

 好奇心を押さえられない質問は、このまま放置したら、そのうち罵声ばせいになりそうだ。


「……お前は、預かっている子。いいな」

「任せておけ」


 皿に盛られた果物をつまみ食いしたビオラは自信満々な顔で頷いた。

 全く、朝から面倒なことこの上ない。村人全員の記憶を改ざんしてしまいたいくらいだ。

 ため息をつきながらドアを開けると、興味津々な彼らの視線は俺の足にしがみつくビオラへと注がれた。どうやらビオラは、恥ずかしがっている子どもを演じているらしい。


「ラス、その子はお前さんの子か? 五才、六才くらいのようだが?」

「いつの間に、嫁さん貰ったんだ?」

「待ってくれ! 俺は嫁をもらった記憶はない。これ……この子は、師匠の遠い親戚の子で、預かってるだけだ」

 

 一瞬、悩んだが、貴族の孫設定よりは、この方が信憑しんぴょう性もあるだろう。ジョリーにも話して口裏を合わせるよう言っておかないとな。


「彼らはこの丘のふもとの村人たちだ」

「……ビオラ、です」


 小声で言ったビオラは、さっと俺の陰に隠れた。そのキャラクター、どういう設定だか後で聞いておく必要があるな。


「お師匠さんとこの?」

「なんじゃ、ついに落ち着いたのかと思ったのに」

「ほら、目がマリーに似てるから、てっきりあんたの子かとね」

「言われて見れば、髪色なんてお師匠さんそっくりだな」


 金髪はそう珍しくないだろうが、そんなことで納得してくれるなら御の字だな。

 村人は顔を見合わせると頷きあった。


「あー、店を開けてる時もちょろちょろしてると思うけど、よろしく頼むわ」

「もっと早く言ってくれたら良かったのに!」

「ダンとこの息子が同じくらいの年じゃなかったか? 遊び相手に良いと思うんだが」

「あー、いや、少し人見知りなところもあるんで、どうかな……」


 そうか、こういったことの回避のための人見知りキャラ設定か。

 ちらりとビオラを見ると、一瞬、口元をにやりと緩めたが、すぐさま俺のチュニックを引っ張て顔を埋めてしまった。肩が震えてるのは、きっと笑いを堪えているに違いない。まったく、上手いことやってくれるもんだ。


「店はいつもの時間に開けるから、婆さん、薬はそん時で良いよな?」

「あぁ、良いよ! 元気そうな顔を見られて良かった」

「ビオラちゃんはまだ寝間着だし、朝ご飯はこれからだろ?」

「わしらは帰るとするか」

「騒いですまなかったね」


 全く悪びれる様子もなく、村人たちはやいのやいのと坂道を降りて去っていった。

 扉を閉ざし、一気に押し寄せた疲労感に体が重くなり、その場にしゃがみ込む。


「人の良さそうな奴らじゃの」

「まぁ、そうだな……飯にするか」


 熱いハーブティーでも飲んで少し落ち着こう。


「ところで、マリーとは誰じゃ?」


 店のドアを閉じると、ビオラが興味津々に顔を見上げてきた。

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