3-2 無邪気さが、暴食の魔女だということを忘れさせる。

 風に煽られ、ビオラの豊かな金糸の髪も無造作に巻き上げられた。

 急上昇に耐えるよう、目を瞑って俺の胸に頭を押し付けていたビオラは、空気の流れが落ち着くと、おもむろに顔を上げた。小さな唇が不満そうに少し尖って、ふくよかな頬がさらに丸くなった。


「唐突に何じゃ!」

「そう怒んなよ。ほら、見てみろ!」


 杖で眼下を示すと風が吹き抜けた。

 乱れる髪を押さえながら、ビオラは渋々眼下に目を向ける。


「……海?」

「ここは海洋都市マーラモード。世界随一の商業都市だ」


 眼下に広がるのは大海原に囲まれた島だ。その東側、今いる真下に俺の店が位置し、側には木々が生い茂る小高い山がある。

 ビオラは目を見開いてぐるりと島を見回した。

 杖の指し示す中央には繁華街、高層建築物もあり、遠く離れたこの場所からも、賑わいが分かりそうなほど建物がひしめき合っている。

 東の海岸線の職人通り、さらにその先には大きな船が何隻も停泊する港が見えた。


「ネヴィルネーダがあったのは、このマーラモードを出て、北にある大陸の中だ」


 港より先を示す。当然だが、その先にあるのは海だ。

 海鳥たちが気持ちよさそうに風に乗る姿が視界に入り、ビオラはそれを追うように首を巡らせた。

 幼いまなこが、好奇心に輝いていた。


「海を見るのは初めてじゃ! ラス、あそこには行けぬか?」


 小さな指が、灯台のある岬を指さした。


「まぁ、行けるけど」

「行くぞ!」

「……それが、人にものを頼む態度か?」


 苦笑しながら問えば、ビオラは少し視線をきょろきょろさせながら唇を尖らせた。そして、おずおずと岬を指さす。


「妾を……あそこに連れて行ってたもれ」

 

 顔を真っ赤にしながら頼む姿は、あの狂暴な女とは思えなかった。いや、そこは間違いなく同一人物なのだが。少なくとも、暴食の魔女というのは何かの間違いなのではないか。

 そんなことを考えながら、俺の返事を待ってもじもじするビオラを見下ろした。

 無邪気に期待の眼差しを向けてくる。

 手がふさがっていなかった、その頭を撫でていたかもしれないな。


「じゃぁ、朝飯食ったら、行くか!」

「まことか!」

「ちゃんとお願いが出来たからな。いいぜ」


 つぶららな瞳をさらに大きく開き、歓喜に顔を染めたビオラは俺の首にしがみつくように抱き着いてきた。


「ラスはいやつじゃの!」

「……ついでだ、ついで」

「ついで?」

「窓も吹き取んじまったし、色々直さないとな」

「封印解除の弊害と言うやつじゃな」

「お前が言うか。まぁ、いい。降りるぞ!」


 時折、子どもらしくない言葉が出るのは、中身が大人だからか。いまいち、どう接したらいいか分からないってのが本音だ。

 ゆっくりと地上に戻ると、俺の腕に抱えられたままのビオラは空を見上げた。ほうっと小さなため息が耳に触れた。だが、それを聞かなかったことにし、俺は自宅に向かった。

 店の裏手から中に入り、ビオラを下ろす。


「さてと、飯の前に……」


 赤いドレスに埋もれるようなビオラを見た。


「その服を何とかしないとな。そのままじゃ、外は歩けないだろ」

「そうじゃな」

「子どもの服なんかないし、どうすっかな」

「ふむ。お主の上衣チュニック、一枚もらえぬか? 出来れば、あまり襟首の開いてないものをな」

「シンプルなもんしかないけどいいか?」

「構わぬ。むしろその方が助かる」


 奥の自室に入りクローゼットを開けると、ビオラは本当にシンプルなものばかりだなと言って笑った。

 全く大きなお世話だ。

 首元でボタンを留める形の、亜麻色のチュニックを引っ張り出した。


「裁縫道具はあるか?」

「まぁ、一応な」


 缶に押し込んである古い報歳道具を出すと、床に座り込んだビオラはドレスの裾を遠慮なく切り始めた。

 はさみがジャキジャキと音を立てるのを唖然と見ていたが、ビオラがやろうとしていることが、次第に分かってきた。

 大胆に、裾を大きく切り離した布が、さらに切り出される。

 おそらく、それらで俺の服を装飾しようというのだろう。


「相当いい生地だろ。良かったのか?」

「このなりじゃ着れぬからの。それより、腹が減ったぞ!」

「あぁ、朝飯な。用意してくるか。針で怪我すんなよ」

「子ども扱いするでない。昔取った杵柄じゃ」


 にっと笑ったビオラは鼻歌交じりで針に糸を通し始めた。

 暴食の魔女は才色兼備でもあったと言われている。やはり、このちんちくりんがそうなのか。

 部屋のドアを閉めながら、床に座って縫物を始める様子をちらりと盗み見た。小さい指が慣れた手つきで針を動かすのは、何とも不思議な光景だった。

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