2-8 封印解除に繋げるため、地味な作業をひたすら重ねる。

 作業台にうなれて大きな欠伸をついた俺は、椅子の背もたれに寄り掛かかって背伸びをした。

 三日三晩、食事やシャワー、用を足す以外は椅子の上で過ごした。さすがに睡眠をとらないと効率が悪いから、工房に置いてあるソファーに転がったが、寝室に行く時間すら惜しく感じた。

 それ程、小さな文字に苦しめられた。


「目がいてぇ」


 目薬をさして目頭を押さえる。

 もう当分は、五百年前の遺物の解除を引き受けるのをよそう。師匠に習った解読のノートを引っ張り出すため、奥の書庫にも足を延ばしたが、それすら何時いつぶりだったか。

 すっかり体が凝り固まっていると感じながら、この三日間を思いだしてする。さらに、魔法石に魔法付加エンチャントを終えるのに二日はかかるだろう。

 考えるだけで疲労感が増した。


 ジョリーに仕事の虫めと揶揄からかわれそうだが、それからの日々も順調に進んだ。そして、残すところ、封印解除のための補助魔法陣を描く作業のみとなった。

 これがまた骨の折れる作業なのだが。


 銀とホワイトセージを練り込んだチョークで工房の床に丁寧に古代魔術言語ロー・エンシェント・ソーサリーを書き込んでいく。

 一言一句間違えることが許されない作業だ。

 第一に鍵の提示を刻み、第二に錠前の破壊を示唆する言葉を刻む。さらに、予期される衝撃に対する遮断魔法、防御魔法、攻撃に対する反撃の魔法と、想定されるいくつもの手を仕掛けた。


 今回は、偽の鍵で封印を解除する、こじ開けピッキングだ。用心に用心を重ねると、魔法陣はその数に比例して大きくなる。

 作業が終わるまで、さらに三日を要した。

 

   ***


 夜明け前の工房は、まだ薄暗かった。

 壁にかかるいくらかの照明で手元がうっすら分かる程度だが、俺にはそれで十分だ。

 最後の一文字を書き終え、魔法陣を閉じる。あとは、鏡に誤魔化ごまかしの魔法石をめ込み、解除を試みればいい。


「さぁて、蛇が出るか邪が出るか」


 連日の作業で体は疲れ切り、指先がしびれるほどの重さを感じている。それでも、どうしてか今すぐ封印の解除を試したくてたまらなかった。

 ゆっくりと立ち上がった俺は作業台を振り返る。そこには五つの白い魔法石と輝かしい銀の鏡が置かれている。

 頬を伝った汗が首を伝って落ち、襟元に染み込んだ。

 

 約束の日まで、まだ二日ある。

 こんなくたくたな状態で解除をしなくても良いじゃないか。冷静な俺がそう言っている。

 一日くらい休んでも良かった。なのに、どうしても今すぐ解放しなくてはならない気がした。


 チョークの欠片を作業台に置いて、ふと見た指先は真っ白に汚れていた。それを無造作にズボンでぬぐって鏡に手を伸ばした。

 くすみ一つない美しい鏡面に顔を映す。そこに一瞬だが、何かがよぎった。


 ここには俺と銀狼のシルバしかない。扉と窓にも施錠をしてあるし、侵入があれば反応するよう結界も貼ってある。誰かが入り込んだとは考えにくい。

 だとすれば、今のは一体。

 もう一度鏡面を見るが、そこには目の下にクマを作った俺の顔が写し出されただけだ。

 

 細かな文字を書き続けて、目に疲れが出ただけだ。そう安易な答えを出し、雑然とした台の上から白い魔法石を摘まみ上げた。

 壁にかかる照明の明かりにかざすと、きらりと光り、小さな文字が浮かび上がった。ジョリーから買った時にはなかったもので、俺が魔法付加をした証のようなものだ。

 刻んだ古代魔術言語を確認しながら、空いた台座に石を埋め込んだ。


「どこまで誤魔化しが通用するか……」


 これは急ごしらえの代替品だ。鏡が上手いこと錯覚してくれたらいいんだが。

 そんなことを考えながら、台座にゆっくりと魔法石を納めていく。

 最後の一つがカチリと音を立てて嵌まると、突如とつじょ、鏡は光に包まれた。


 どうやら、狙い通りに鏡は鍵が嵌められたと誤認をしたようだ。

 思わず頬を緩めた。

 ここからが正念場だ。根性を入れて当たらなければ、俺の魔力を鏡に全部持っていかれる可能性だってある。

 手の中で、鏡の魔力が膨れ上がった。まるで俺の魔力を跳ね返し、飛び出していくような感覚だ。

 

 マズい──直感が走り、全身をめぐる魔力を咄嗟とっさに練り上げた。

 全身から魔力の陽炎が立ち上がるのを感じつつ、鏡を魔力で掴む。

 まるで力業だな。じ伏せるように魔力で鏡を覆えば、鏡の光と俺の魔力が混ざり合った。


 そのまま俺を受け入れろ。

 念じると、鏡はふわりと宙に浮き上がり、糸で引かれるように移動を始める。そのまま魔法陣の中央に向かい、静かに降りた。


「それじゃぁ、始めるとするか」


 いつ鏡が反発するか分からない。やるなら今だ。

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