守銭奴魔術師と暴食の魔女~俺が信じるのは金だけだ!金のためなら、伝説の悪女も守ってみせる~

日埜和なこ

プロローグ

 銀とセージの葉を粉にして石膏せっこうで練ったチョークが、工房の床に魔法陣を描いていく。

 夜明け前、薄暗く静かな部屋に、カリカリと硬い音が響いた。


 丁寧にいにしえの言葉を刻むのは長い赤髪を三つ編みにした男。彼の名はラッセルオーリー・ラスト。この町で“解除屋のラス”と呼ばれる、ちょっとは名の知れた魔術師だ。

 そして、ここは彼の仕事場でもある店の一室。主に、魔法を組み合わせた魔術を扱うときや、封印を解除するときに使われる作業部屋だ。

 彼は今まさに、封印を解くための準備をしている。


 チョークがだいぶ小さくなった頃、最後の一文字を書き終えたラスは、長くひそめていた息を深く吐いた。


「さぁて、蛇が出るか邪が出るか」


 心持ち、楽しそうな声音が響いた。

 立ち上がり、作業台にチョークの欠片を置くと、白く汚れた指先を無造作にズボンでぬぐった。

 すらりとした、それでいて少し節くれだつ指が台に置かれる銀の手鏡を掴んだ。


 くすみ一つない美しい手鏡は凝った装飾模様レリーフで飾られている。そこには宝石を埋めるための台座が八つあり、うち三つは輝かしい宝石が埋め込まれていた。

 雑然とした台の上から、ラスは白い輝きを放つ石を摘まんだ。

 カチッと音を立て、空いた台座に石が埋め込まれる。


「どこまで誤魔化しが通用するか……」


 一つ、二つ、三つと台座に納め、最後の一つがカチリと音を立ててまると、突如とつじょ、鏡は光に包まれた。


 ラスの全身から魔力の陽炎が立ち上がる。

 まるで、鏡の光と混ざり合うようにして、ラスの放つ陽炎は鏡を包み込んだ。すると、鏡はふわりと宙に浮き上がり、糸で引かれるように移動を始める。そのまま魔法陣の中央に向かい、静かに中央へと安置された。


「それじゃぁ、始めるとするか」


 手にした杖の先で床板を叩き、深く息を吐く。


てつく黒の大地に芽吹く青き花」


 こんこんっと床を叩けば、魔法陣の周囲から青い光が立ち上がった。それはまるで、花が開くように少しずつ広がっていく。


「赤と白の風に誘われ、時を進めよ」


 ラスの声に呼応するように、風が生まれた。

 熱をはらんだ風は赤い尾を引いて、青い光を巻き上げていく。混ざり合い、すみれ色に染まった風の渦巻く中、魔法陣が白銀の輝きを放った。


「時は来た。汝の封を解き、真の姿を開放する。我は時を進めし者、ラッセルオーリー・ラスト!」


 杖を突き立て、ラスは高らかに名乗りを上げた。

 直後だ。パンッと破裂音が上がり、白い宝石が一つはじけ飛んだ。

 ラスの口から、小さく舌打ちがこぼれる。


「持ちこたえてくれよ!」


 まさに全身全霊、流れる魔力を練り上げたラスは、杖を握り込むとその先を魔法陣に向けて突き出した。その先端は、まるで錠前に差し込む鍵山のような形をしている。

 杖が右に回された。

 カチリと音が鳴ると、ラスの口から息が一つ吐きだされる。カチリ、カチリと、二度、三度と杖が回された。四度目、同じように動作を繰り返そうとしたその時だ。

 パンパンッと音を立てて、続けざまに白い宝石が砕け散った。


「くっそ……無理なのか!?」


 砕けた宝石の輝きを巻き込み、菫色の風が膨れ上がった。

 渦を巻いた風は鏡を持ち上げて飲み込み、まるで球体のようになって魔法陣の上に浮かんでいた。それを見据えたラスは、杖を握りなおすと深く息を吐く。


(準備に大金積んでんだ。諦めてたまるか!)

 

 ラスは大物を前にして諦めるような男ではない。

 脳内で金貨の枚数を数えつつ、もう一度、解除を試みようとしたその時だ。轟々ごうごうと唸るような風の音の中から、声が聞こえてきた。


 ──ふふふっ。

 愉快そうに笑う、女の声。


「やっぱり、封じられているのは、人間か!」


 音が聞こえるということは、封印にほころびが出来たということだ。

 望みはまだある。そう思えば、俄然がぜんやる気が出るというものだろう。

 にやりと笑ったラスは杖を握る手に力を込めた。


「ちーっとばかし、手荒に行くぜ!」


 ガツンっと杖で床を叩き、その先を魔法陣に突き立てる。


「時にあらがうなかれ。扉は開かれる!」


 まるで錠前に差し込むように、杖の先は魔法陣が描かれた床に、ずぶずぶと入っていった。

 ガチャッと音が響いた瞬間だ。

 爆音とともに、菫色の風がはじけ飛んだ。照明器具も全て割れ、部屋中の物が一瞬、舞い上がると床に散乱した。


 強烈な爆風に飛ばされたラスは、壁に叩きつけられる直前で防御魔法を発動した。おかげで大きな衝撃を受けることはなかったが、それでもいたる所に切り傷を作っていた。

 切れた口の中に広がる血をツバとともに吐きだし、足元に散らかったものを蹴ってどかす。

 明かりを失った部屋の様子を探るように、ラスは菫色の瞳を細めた。


「解除、出来た……のか?」


 外から差し込む夜明け前の薄明かりの中、魔法陣を描いた辺りを見るが、すでに白銀の輝きは消えていた。よく見れば、そこに人影が一つ。

 窓ガラスは粉々に砕け、外から吹き込んだ風を孕んだカーテンがバサバサと音を立てた。


「ふふっ……ふふふっ」


 艶のある笑い声が響き、ゆらりと影が動いた。

 薄暗い中でも分かる赤いドレスがふわりと揺れた。


「……女?」


 外から差し込むわずかな薄明かりの中、こぼれんばかりの白いふくらみがたゆんと揺れた。くびれた腰の下で形の良い臀部ヒップが左右に揺れれば、ドレスの裾が風に揺れる花弁のように広がった。


 白魚のような細い指に握られる銀の手鏡が鈍く光ると、笑い声がぴたりと止んだ。

 何かがおかしい。

 異様な威圧感を感じたラスは、とっさに身構えた。

 

わらわをこのようなものに封じるとは……あの男、許しはせぬ」


 いきどおりをにじませる冷ややかな声が響く。

 影がゆっくりと振り返ると、長いハニーブロンドの髪がふわりと揺れた。

 ラスの背筋を冷たいものが滴った。


(……マズい!)


 今まで感じたことのない威圧感と魔力の波が向けられ、ラスは息を飲んだ。

 薄暗い部屋でも分かるほど、女の赤い瞳が鋭い光を放った。


「お前が、妾の封印を解いたのか? ご苦労であった」


 ラスを指さした爪の先に、星の瞬きを思わせる白い光が灯った。


「褒美として、その魔力いのち、妾のかてとしてもらってやろう」


 赤い唇がつり上がった瞬間、ラスは床に突き刺したままの杖に向かって駆けだした。

 ここまで来て、報酬を得ずに死んでたまるか。そうひとちる間もなく手を伸ばし、それを掴み取ろうとした。

 

 朝日が差し込み、強烈な衝撃が再び部屋とラスの体を吹き飛ばした。

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