第26話 花⑤


 今度ばかりはもう理解不能だった。



 花ちゃんはメガネを外すとベッドの上で方向転換し、ぐったりと倒れるようにうつ伏せになり枕に顔を乗せた。



「こっちの方が、ぴょんきちくんもやりやすいでしょ」



 顔だけを俺の方に向けて、はにかむ花ちゃん。本当に俺に気を遣ってくれているのか、それとも熱で頭がおかしくなっているのか。



 どっちにしろ、俺のやることは変わらない。



「背中の方拭いていくね」



「……うん」



 花ちゃんの背中は汗でびっしょりだった。まるでサウナにでも入っていたみたいだ。



 ベッドの脇で膝をつき、華奢な背中を丁寧に、筆でなぞるようにタオルを滑らしていく。この力加減が難しい。



 力を入れすぎると骨に当たる感触がするし、かといって軽くしすぎると汗の拭き残りができてしまう。



「……そう、その感じ」



 そして何よりも俺を困らせているのが、ちょっと上から押すだけで跳ね返ってくる肩甲骨の周辺を拭いている時だった。



 うつ伏せになっているはずなのに、不自然に浮き上がっている背中。花ちゃんとベッドから押し出されるような形で、二つのそれは両サイドから姿を覗かせている。



 意識しないよう努めようとすればするほど、俺の目はそこに吸い寄せられていく。



 花ちゃんがどうして瘦せ型なのか分かった気がした。きっと取り入れた栄養素が、ある一部分に吸い取られているからだ。



 とにかく理性を失わないよう、何でもいいから脳をフル回転させて気を紛らわせる。



 けれども、触れるたびに花ちゃんが「ん-ん」とか「……ハァ」とかいう色っぽい声を漏らすのが、俺の思考を奪っていった。



 それでも何とか、自分を雑巾がけロボットと思い込むことで、肌の見えている部分は全部拭き取り終えた。



「終わったよ、じゃあ俺は片づけたら帰――」



「まだ残ってるでしょ」



 線の細い腕からは想像もつかないほどの力で、手首を掴まれる。花ちゃんは病人だと感じさせない鋭い目つきで、俺を見据えていた。



「下が終わってない。さっき脱がせてってお願いしたでしょ」



 何をそんなに不服そうに頬を膨らませているんだろう。だけどこれでハッキリした。さっきの意味深のポーズや耳を疑う発言は、本気だったということが。



「脱ぐぐらいは自分でできるんじゃ……」



「無理。この体勢じゃ手が届かない」



「じゃあ起き上がれば……」



「無理。しんどいからこれ以上は身体を動かせない」



 俺がいくら意見しようが、代替案を提案しようが、無理の一言で全て却下されてしまう。けどその場から離れようとすると、リンゴを握りつぶすような強さで腕を掴まれる。



 上半身は一糸纏わぬ姿。ここから更に地肌を晒すのはもういろいろとアウトだろう。



「ほら早くして」



 俺が脱がしやすいようにと、花ちゃんは腰を浮かせて待機していた。



「間違ってパンツも一緒にずらしちゃってもいいよ」



「そんなことしないって! てか本当にやらないと駄目なの……?」



「わたしの今の体温いくつだと思ってるの、四十二度なんだよ。これ以上上がると蒸発するよ」



 また知らないうちに上昇してるし。そんなに酷いなら救急車を呼んだ方が早いだろ……。



「ぴょんきちくんが拭いてくれるまで、わたしここから動かないからね。水も飲まないし、ご飯も食べないし、服も着ないし、トイレにも行かないし、ミイラになるその日までこのベッドの上で――」



「分かった、分かったから! やるから、やればいいんでしょ」

 


 結局俺の方が折れるという結果になる。


 

 タオルを一旦床に置き、腰のあたりにあるパジャマに両手を持っていく。



 伸縮自在の記事でできており、ちゃんと引っ張って伸ばしながら下げたら、間違っても俺の手や指が花ちゃんに触れることはないはず。



 爆弾を解除する人が、あの赤とか黒の線を切るときってこんな緊張感だったのだろうか。比べるのも失礼なことだってことは承知している。それでも、そのぐらいの気持ちで俺はいるってことだ。



 親指と人差し指の二本で裾を掴む。そのまま横に引っ張り、下へ下ろしていく。数センチずらしたところで視界に飛び込んできたのは、白い何か。



 いや何かじゃない。どうみてもパンツだ。花ちゃんもさっき言ってたし、さすがに下も履いていないということはなかった。



 けどここまできて、途中で放棄なんてできない。



 なるべく視線を下の方に向け、そのまま下降作業を続けた。



 途中何かに弾かれたような感触がしたのは、多分太ももゾーンへと突入した合図だ。



 ここからは一直線。慎重にいくのではなく、勢いに任せて最後までいった方がいいと判断した俺は、五本の指で裾を掴み一気にズボンを脱がせることに成功した。



だがこれはまだスタートラインに立ったにすぎないのだ。



「お尻の下からお願いね」



さすがにここまでくれば、嫌でも目に入る。



花ちゃんが身にまとっているのは純白のパンツ一枚だけだった。



汗でべっとりして肌に張り付いているのが生々しい。よく目を凝らしたら透けているんじゃないのか。



俺は改めて気を入れ直すため、もう一度タオルを水で濡らした。このまま自分の頭に被りたいぐらいだ。



ベッドへと戻ってきた俺を花ちゃんはニヤニヤした笑みを浮かべて待っていた。



「ぴょんきちくんにはちゃんと後でお礼するからね。金一封でいいかな 」



「お金なんかもらえないって」



さすがは金持ちの娘というべきか。花ちゃん的には百円ぐらいの感覚なのかもしれないが。



「でもこんな夜遅くに呼び出してタダ働きさせるのは、さすがのわたしでも気が引けるなあ……」



花ちゃんは少しうーんと悩んだあと、そうだ! と何か思いついたようにベッドをポンポンと叩く。



「報酬はわたしってことでどう? ぴょんきちくんも男の子だから我慢するのもしんどいでしょ? 全部拭き終わったらわたしは寝るから、その間触るなり揉むなり舐めるなり、好きにしてくれていいよ」




…………。




……………………。




そして俺は、目にも止まらぬスピードで花ちゃんの両足そして両腕を丁寧に拭いたのだった。




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