第20話 ヘルクイーン④
直立不動のまま固まる俺。同じく、真顔の俺の顔を見上げる村雨。
これ何の時間……?
もしかして待っているのか? 俺が脱ぐのを待っているのかこの女は?
「……ごめん、俺の聞き間違いだったら悪いけど、もしかして今服を脱げって言った?」
「早くしろ。手遅れになる」
怒られた。てか理不尽にもほどがあるだろ。逆セクハラも甚だしい。
これは何て返すのが最適解なんだろう。断って暴れたりでもされたら嫌だしな……。
とりあえずちょっと話を合わせて探るか。
「この聖なる胞子をこのまま放っておいたら俺はどうなるんだ?」
「死ぬ」
「はい?」
「死ぬと言ったんだ! ええい! グズグズしてる暇はないというのに……!」
――かくなる上は。
と、村雨が小さく口元を動かしたのが合図だった。
頭突き、あるいはタックル。お腹の辺りに軽い衝撃。よろめく俺。
その隙を突いて、村雨は俺が着ていた長袖Tシャツを勢いよく捲り上げた。
「うわっ何すんだお前……!」
「これは必要な処置なんだ!」
引きちぎれないか心配になるほど、村雨は両手でシャツの裾を掴んで離さなかった。
俺はと言うと、地肌を晒さないように村雨の手首を上から押さえつけていた。俺たちは一体何をやっているんだ。恐らく誰もその問いに答えることはできないだろう。
歯を食いしばりながら必死に力を込める村雨。顔が真っ赤になるほど血が昇っている。俺のシャツより先に、こいつの頭の血管が切れる方が早いんじゃないか。
残念ながら力では圧倒的に俺が勝っていた。一見均衡状態が続いているようにも見えるが、まだまだ余力がある俺に対して、村雨の残りヒットポイントはもう間もなくレッドゾーンに突入する頃あいだ。
「もう諦めろ。俺の身体を心配してくれているのは分かったから、一旦落ち着いて話し合おう、な?」
「むぐぐ……」
聞こえちゃいない。けど今のままだと握力がなくなるオチは見えている。遂に俺も未来視の力を獲得してしまったようだ。
そんなことを考えていると、案の定村雨は観念したのか、もしくは体力切れを起こしたのかその手を下げた。
「疲れただろ? ほら、お茶出してやるからそこでゆっくり――」
「上がダメなら下から攻めるのみ!」
「はあっ⁉」
俺はこの女のことを侮っていたのかもしれない。一度や二度の失敗で諦めるわけがないのだ。
そうでなければいい年して中二病でいられるわけがない。俺は村雨の底知れぬ精神力を舐めていた。
「――ちっ、やはり宝にはカギがかかっているな……」
村雨の手は俺のベルトに伸びていた。
「お前マジでそれだけはやめてくれ! 自分が何をしようとしているのか分かってるのか⁉」
「うるさい集中できん!」
本気モードになった村雨はドレスのひらひらしているのが邪魔だったのか、とうとう鬱陶しそうに腕まくりで挑みかかってきた。
さすがの俺も村雨同様、今回ばかりは本気で阻止する必要があった。
こんなことあってはならない。もしこれを許してしまっては、多分俺は一生立ち直れない気がした。
「今さら恥ずかしがってどうする! 前世では何度も一緒に風呂に入った中ではないか!」
「前世は前世! 今世は今世だ!」
村雨のやろう、また変な設定を付け加えやがったな。俺にはそんな記憶一切ないんだよ……!
「くそっ硬い……! もしやダイヤモンドアリゲーターの皮を加工したものなのか⁉」
「ただの安物のベルトだよ! あとさっきから妙に紛らわしい言い方をするのやめろ!」
絶対防衛権死守のための攻防は続いていた。俺も場所が場所なだけあって、腰を引きながらの抵抗になるため、思っていたよりも力が入らないっといった状況だった。
逆に村雨は両膝をついて前傾姿勢になるという、最も力が出せる体勢を作り出していた。
そのため俺が変に腰を動かそうとすると、村雨の顔に当たりそうになり、これではまるで…………いや、やめておこう。
余計なことを考えている場合ではない。
「お前本当はただの中二病じゃなくて、ちゃんと一般常識と良識を兼ね備えているやつだってことぐらいは、こっちも察しているんだぞ!」
「キサマが何を言っているのかアタシには全く理解できん!」
あの時垣間見た、村雨の素顔。あるいは表向きの姿。詐欺罪がどうのこうの言ったり、運転免許証を取得したり、そして大学にもちゃんと合格している。
なのになぜだ。それがなぜこうなっているんだ。
理解できないのはこっちだ。誰か今の村雨の言葉を録音していなかったか? その言葉そっくりそのまま言い返してやりたいぐらいだ。
明日になったらペットショップに行ってオウムでも買ってきて覚えさせよう。でもあれか、確かこのアパートペット禁止だった。
突然何でこんな呑気なことを考え出したかと言うと、まああれだ。
今の状況的に俺は下半身に力を込める必要があり、その真ん前で女の子がしゃがんでいるって意識してしまうと、いろいろと不都合が生じてしまうのだ。
つまり俺は今、村雨と戦いながら自分とも戦っているのだった。
二対一。挟み撃ち。味方はいない。叫んで修哉を呼び起こすことも考えたが、さすがにこんな醜態見せられるわけがない。
一人で何とかするしかない。ひとまず、ちょっと足をずらして体勢を整えよう。それが失敗だった。
「あれ」
右足が面白いように滑った。バナナの皮でも落ちてたのか?
一瞬でパニック状態に陥った俺は、なぜか左足も動かそうとしていまい――
それも右足と同じ末路を辿ることになる。
ああそうか……村雨のドレスに引っかかったんだ。納得納得。
受け身は取れなかった。両手は村雨と絶賛死闘中のため、間に合わなかったのだ。
背中から鮮やかな床へのダイビングを決めた俺は、消えゆく意識の中で村雨の最後の言葉を耳にする。
「……よし、これで思う存分…………ふへへへへ」
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