第19話 ヘルクイーン③
***
危なかった。
そろそろタイムリミットだと直感的にそう感じた俺は、今から瞑想の時間だと適当に理由つけて瀬那には引き取ってもらったのが、およそ五分前。
そして今、エントランスからの呼び出し音が鳴ったのだった。つまり修哉と村雨が帰ってきたということ。
この時間差だったらもしかすると近くで鉢合わせているかもしれないな……。
そうでないことを祈りながら玄関のカギを開けて、二人が上がってくるのを待った。そのうちの一人に関しては全然待っていないんだけど……。
「――無事かー! ぴょんきち!」
な、なんだ⁉
ドアが外れんばかりの勢いで開いたかと思いきや、次の瞬間には目の前で村雨が宙を舞っていた。
それはまるで水泳の飛び込み選手のような奇麗なフォーム。もしここで俺が避けたら、前歯が何本か持ってかれるのは不可避だ。
自宅で血流事件なんて勘弁。その思い一心で俺は正面から村雨を受け止めることにする。腕折れたりしないかな。
「ふぎゅいっ」
「軽っ」
想定していたよりも何倍も軽かった。このゴスロリ衣装の中は空っぽなんじゃないかって思ってしまうぐらいに。
引っ越しの際に運んだ段ボールの山々の方が重かったまでもある。
やや上体を後ろに反らした俺だったが、そのまま背中を床に打ち付けることなく村雨を降ろすことに成功した。
パトカーに続いて救急車まで出動させる展開だけは避けられてよかった。
「急にどうしたんだよ、危ないな……」
「あの女はどこだ⁉」
「あの女? 瀬那のことか? だったらついさっき帰ったぞ」
「……くそっ、一足遅かったか」
村雨の奇行については正直驚くほどのものではないんだけど、何だかんだ言ってその言動の裏にはちゃんと考えがある――と勝手に思っていはいるが、今回は一体……。
「――お前のことが心配になって急いで戻ってきたんだよ」
ぜーぜー息を吐いて、壁に手を突きながら姿を現したのは修哉だった。
せっかくいい感じにセットしてあった髪の毛がぼさぼさになって、心なしか少し瘦せこけたようにも見える。服まで汚れているし、きっと俺の知らない所で壮絶な戦いが繰り広げられていたのだろう。
「五回ぐらい車やバイクや自転車とぶつかりそうになって、運転手に怒鳴られて、謝るのは全部俺。こいつが転びそうになるたびに支えてやったのも俺。すまん海斗、ちょっとだけ仮眠取らせてもらうわ……」
「ど……どうぞ」
修哉はまるでゾンビのように頭を下げて両腕をぶらぶらさせながら、俺と村雨の隙間を縫って移動し、そのまま力尽きたのか部屋の端に倒れ伏した。
「下僕の割には頑張っていたぞ」
良かったな修哉、お前どうやら認められたみたいだぞ。これから村雨専属ボディーガードとしての活躍を期待している。
「ところで君はさっきから何をしているのかな?」
「聖なる胞子を振り払っているんだ。邪魔するなぴょんきち」
俺の胸に顔を押し付けていた村雨は、ジト目をこちらに向けながらなぜか俺の腕や背中を触り始める。
……ナニコレ。
ちょっとサイズが大きいのか、黒いドレスの袖からはみ出した小さな手で、ぺちぺちと何かを確認するようにそれは進んでいく。
頭から始まり、顔――目や耳や鼻を含むほぼ全てのパーツも例外ではない。
首筋から下に降りたら今度は両肩両腕。果てや指先一本一本丁寧に。
途中止めさせようかとちょっと抵抗してみたんだけど、あまりにも恐ろしい剣幕で睨まれてしまい――まるでそれが金縛りの術式だったかのごとく、俺は電撃に撃たれたかのように身体が硬直してしまったのだ。
いや、本当に絵面的にもいろいろとマズそうだってことは重々承知している。
こいつが勝手にやりだしたことだけど、通報されたら捕まるのは俺だってことも理解している。
頭は冷静に働いている。けど手足を動かせという命令を送ることができない。
もしかして俺は本能的に今を楽しみ求めて――って、そんなわけあるか。
相手は見た目小学生だぞ。いくら中身は大人とはいえ、幼女相手に興奮するわけがないだろう。
俺が一人で自分自身と格闘している間も、当の村雨本人は鋭い眼光を保ったまま、俺の背中や腰回りをひたすらぺちぺちしていた。
もし他人の心を読める人がいたら、ぜひとも今すぐ家に来ていただきたい。五分一万円でも余裕で出す。
聖なる胞子がどうとか言ってたっけ。それ以来口を閉ざしているから、本当に何を考えながら俺の上半身に手形スタンプを押し続けているのか謎でしかない。
「……服の上からではいまいちだ」
ようやく終わったのか、村雨の手が俺から離れた。
「もう満足か?」
「――よしぴょんきち、服を脱げ」
…………何だって?
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