第9話 ヘルクイーン②
「村雨さん、少しお話をしよう」
今俺が取るべき行動は、彼女との対話。これが最善策なのかは分からない。ただ一つ確実に言えるのは、修哉と瀬那が家に来る前に追い出す必要があるということ。
「村雨さん」
「………」
「ヘルクイーン」
「呼んだか?」
こいつ……。どのタイミングで中二病を発症したのかは不明だが、よく今日までちゃんとした生活を送れてきたものだ。学校の中でもあんな調子だったのだろうか。
「カレー作ってやるから、それ食べたら帰ってくれるか?」
「ここは今日からアタシの家だ」
そう言うと布団の上に倒れて枕に顔を埋める村雨。本当に俺たち初対面なんだよな……? その行動力もさることながら、図々しい神経だけは本当に普通の人を超越している。
「親と喧嘩でもして家出中か?」
情報が必要だった。アプリの中では多くのやり取りをしていたというのに、俺は村雨のことを全く知らない。その理由は言うまでもないが……。
「アタシは天涯孤独の魔術師。血を分けた者など存在しない」
「分けたんじゃなくて、分けてもらった方だろうが。それにこのアパートは単身者専用だ。同居人がいたら大家さんに怒られる」
「問題ない。アタシが記憶改変……いや、ブラックホールで宇宙空間に飛ばした方が手っ取り早いか……」
「とにかく、あと二時間以内に出ていかなければ警察呼ぶからな」
実際に呼びはしないけど、脅しにはなるだろう。対話と情報が必要だ――なんて息巻いたが、それは諦めた。
まともに話していても時間の無駄だ。こいつと同じステージ(中二病)に立ったところで、逆効果になるのも目に見えている。
だったらいっそのこと、冷めた態度を取って突き放せば諦めてくれるだろうと考えた。そもそもちゃんと高校を卒業して、運転免許もとって、大学に受かっているんだ。今自身が取っている行動がいかに異常なのかだって、ちゃんと理解しているはずなんだ。
けど訳ありなのは事実なんだろう。ちゃんとカレーぐらいは作ってあげよう。すまんな修哉。これも必要な犠牲だ。
俺は床に落ちていたレトルトカレーを手に取り、キッチンの方へ向かおうと――。
あれ……足が動かない。
振り返ってみると、右足のズボンの裾を村雨に引っ張られていた。
「…………って言った」
「ん?」
這いずり回るゾンビのように、布団から上半身だけを俺の方に向けている村雨。そんなにお腹減ってたのか?
「すぐにできると思うから、もうちょっとだけ待ってくれ」
ああ、俺は何て優しい男なんだ。突然家に押し入ってきた侵入者に、食事を提供しようとしている。俺が悪い男だったら今頃身ぐるみ全部剝がされて、別の理由で布団に転がっていたぞ。
やれやれ。瀬那さんとの話がひと段落したら、こいつのことも考える必要があるな。今日追い出したとしても、絶対またやってくると断言できる。
今日何度目か分からない溜め息をこぼした俺は、今度こそキッチンへ――
あれ、さっきより引っ張る力が強くなっているような……。
「手を離してくれないと進めないんだけど」
「アタシのこと、運命の人だって言った!」
見ると村雨は鬼のような形相で、俺を見上げていた。何で今その話を……。
「いや、確かに言ったのは言ったけど……」
「三百年前だって誓い合った! この身が滅びたとしても、転生し再び巡り合うことがあれば、アタシをもう一度お嫁さんにしてくれるって!」
――それはお前の設定だろ。そう言い返そうと口を開きかけたが、それよりも早く村雨の追撃がくる。
「アタシはずっと楽しみにしていたんだ! なぜなら前世でキサマが使用した占星術では、三百年後にアタシたちが再会するという結果がでたからだ」
なにやってんだよ前世の俺! じゃなくて――
「そしてキサマが現れた! 占星術の使用者で、名前まで同じだ。アタシがどれだけ喜んだと思っている! だというのに何だこの仕打ちは! アタシのメッセージを無視して、挙句の果てには他の女と逢引きか⁉ そっちがその気なら、こっちだって容赦しないからな!」
名前まで同じ? 前世の俺そんなダサい名前だったのか? 昔飼ってたうさぎの名前なんだけど……。
目の錯覚だろうか。村雨の周りには怨念めいた闇のオーラが漂っている気がする。
村雨の言うとおり、こいつに合わせてそういうノリでやり取りしていたのは認める。占星術を扱えるとか、運命の人云々も俺から言った。それも認めよう。
けどさすがに、ほら……あれだよあれ。普通そんな話鵜呑みにする人がいると思わないじゃん。
「また得意のなんちゃら暗黒魔術か? 言っとくがそんなもの俺には――」
「……訴えてやる」
「はい?」
「………訴えてやる、って言ったんだ! 結婚詐欺罪だ! 証拠はここにあるからな!」
ふんっ、とスマホを取り出す村雨。完全にヒステリーになっている。
「詐欺罪は懲役十年以下だぞ! 罰金刑はないが、民事裁判でキサマの有り金全部奪い取ってやる!」
「てめえ……ようやくまともな喋りをしたかと思えば、そんなもん証拠になるわけないだろ。門前払いくらってそれでお終いだ」
「……でもアタシここにいるぞ」
「何がだ?」
「マッチングアプリで知り合った男の家に捕らわれている」
「……勝手に入り込んできたのは誰だよ」
「このアパートはオートロック式。アタシはキサマと面識などない。警察はどっちを信じるかなー」
「…………」
「きっと親御さんも悲しむだろうな……まさか息子が夜な夜なこんな痛々しい――」
「……………………合格だ」
「ん?」
「合格だと言ったのだ、ムラサ……いや、ヘルクイーンよ」
「まさかぴょんきち……アタシを試していたというのか……?」
ゾンビ状態だったヘルクイーンがゆっくりと立ち上がる。その黒い瞳は、爛漫と輝いていた。
「ああそうだ。三百年前のあの転生の儀式――あの儀式は完全ではなかった」
「……キサマの言うとおりだぴょんきち。儀式に必要な『シルバースノウの血』が足りなかったのだ。だがアタシたちの魂の残り寿命のことを考えれば、今から取りに行っては到底間に合わない。だからあの儀式は、イチかバチかだった」
「――そう、だからお前の名を語る偽物が現れるのではないかと危惧していたのだ。知っての通り、俺の虜となっていた女は五万といたから」
「でもどうしてアタシをアタシだって――」
俺はふっ、と笑みを浮かべてヘルクイーンの頭に手を乗せた。
「お前は怒るとすぐに闇のオーラで辺りを充満させる。それが無意識でできるのは、膨大な闇の力を持つお前だけだ」
「ぴょんきちいぃ」
真っ赤に目を腫らしたヘルクイーンが俺の胸に飛び込んでくる。
――その時俺は悟った。
――終わった、何もかも、と。
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