第8話 ヘルクイーン①


 両目をギュッと閉じて開ける。何度か瞬きをする。それでも変わらなかった。俺の目が異常をきたしていない限り、そこにいるのは小学生にしか見えない少女。中学二年生の妹よりも幼く見える。



 ショートカットで切りそろえられた前髪に、毛先をくるりと巻いた黒髪ボブの少女。その姿を見るとなぜか、さっきまで喚いて扉を叩かれていた怒りも自然と収まってしまった。



「えっと………ムラサメ……?」



 念のために確認をとる。少女の口が大きく開いた。



「だーかーらーっ! ムラサメじゃなくてヘルクイーンだって何百回言えばわかるのだ!」



 あぁ……本物だ。しばしの間立ち尽くす。目の前で起きていることに対する脳の処理が追い付いていない。俺は今の今まで小学生とバカみたいなやり取りを続けていたのか……?



「ふっ………ここが前に話していた新たな根城だな。アタシの寝床にふさわしいか確かめねば」



は…………?



 するりと俺の横を通りぬけ、靴を脱ぎ捨てたムラサメは何の躊躇もなく部屋の中へと入っていく。



「ちょいちょいちょい! なに自然な流れで上がり込んでんだ!」



 普通に不法侵入だろこれ。俺はドアを閉めてムラサメを追いかける。まあ追いかけるって言っても、玄関から部屋までの距離は十歩ぐらいしかないんだけど。



「コホッコホっ、新しい占星術の実験でもしてたのか? アタシの魔眼とケルベロスの鼻を突き破るとはさすがだな……」



すまんなホコリ臭くて。まだちゃんとした掃除もできていないんだよ。



それにしても電脳世界だけでなく、リアルでも中二病を拗らせているのか……?



本当にこんな漫画やアニメのキャラクターみたいな子が存在するんだな……って感心している場合じゃない。



「あのー、ムラサメさん?」



「……」



「ヘルクイーンさん?」



「なんだ?」



めんどくさいな。



「君一体いくつ?」



「うーむ、五百を超えてからは数えておらんの」



……めんどくせぇ。さっさと出ていってもらうためにも、設定を合わせるか……。



「——ヘルクイーンよ、現世に転生を果たしてから何度齢を刻んだのだ」



「——サマータイムバケーションを迎えるとき、ちょうど十九になるな」



「——嘘つけ!!」



危ない危ない。思わずツッコミで頭をしばいてしまうところだった。



「う、嘘じゃないぞ! ……ほ、ほらこれをよく見ろ!」



「ん……?」



どこからか取り出した折りたたみ財布の中を探るムラサメ。一枚のカードを俺に掲げてくるので近づいてよく見てみる。



「運転免許証……えーっと生年月日は……って本当に俺と同い年じゃねーか!! ……なんだ、本名は村雨琴理むらさめことりっていうのか。普通に可愛——」



「わあーーーっ!! 見るな見るな!! それは現世で暮らすための仮初の名だ!」



ヘルクイーン——もとい村雨琴理は、正真正銘十八歳の女性。



ちゃんと免許証の写真とここにいる幼女は同じ顔だったし、俺もそろそろ現実を受け入れなければならない。



車の運転免許なんて俺もまだ持っていないというのに。そういえば取得日はちょうど一週間前になっていた。



確か前にアプリでやり取りしていた時、最終選別を生き残ったとか、ペガサスを呼ぶマジックカードを手に入れたとか、やたら喜んでいたっけ。



多分試験に合格して免許証を手に入れたのがよっぽど嬉しかったんだな。誰かに自慢したくて仕方なかったんだな。



そう考えたらちょっと可愛く思えてきた。童顔でミニマムサイズ。セクハラ発言になるけど、身体の成長度合いも妹より遅れている。



この六畳の小部屋を散らかった荷物を避けながらてくてく歩く姿は、まるで猫が慣れない二足歩行をしているみたいで、永遠に見てられるかも。



「うーむ……オイぴょんきちよ! 闇の魔法陣の書物はどのパンドラボックスに封印しておるのだ」



「ダンボールな。人の荷物をパンドラの箱呼ばわりするな」



「アタシの魔眼でも透視できぬとは……さてはこの封印が原因だな! とりゃあーっ!」



——ベリっ。



「おい! 勝手にガムテープを引きちぎるな! それは夏服だからまだ置いといてもいいんだよ!」



「……だがこうもガラクタが積んであるとアタシの寝床が作れぬではないか……」



「ガラクタ呼ばわりするな。全部必要な物だ」



これでも少ない方だぞ。実家にある漫画も持っていこうとしたらお母さんに怒られたから、三箱分ぐらいは減らしたことになる。



「ぴょんきち」



「なんだ」



「お腹減った。この『二つ星シェフ監修・とろけるビーフシチュー』作ってくれ」



「…………」



それは今晩修哉にご馳走しようとしていたやつだ。最早そう突っ込む気力もなくなってきていた。



「あとアタシ、今日からここに住むからな」



「さっきから微妙に口調が普通の人になってるぞ」



「……アタシは今から、このドラゴンの肉を調理する。キサマはオリハルコンの鍋を用意して、神鳥の森へ行って水を汲んで来るのだ。アタシがサラマンダーを呼んで炎を灯してやる」



「……ちょっと待て、さっきここに住むって言わなかったか?」



今度こそ幻聴だよな……?

誰かそう言ってくれ。




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