第3話 SENA②


***


 翌朝。直前になってバタバタしないよう、余裕を持って起きることができた。身支度を済ませ、ゴロゴロしながらスマホをいじっていたら、ちょうどSENAさんからメッセージが届いた。



『おはようございます、ぴょんきちさん。今日は暖かくなりそうでよかったです。昨日お話しした通り、10時で大丈夫ですか?』



「おはようございます! 俺の方はもう準備万端なので大丈夫ですよ!」



『では集合場所はお店の前にしましょうか! 私はベージュのロングスカートと白のニットを着ているので、ぴょんきちさんの方から声をかけてもらえますか……? 私からはちょっと恥ずかしくて……』



「わかりました! また後ほど!」



 時刻は9時を少し回ったところ。ここから店までの距離を考えると、あと三十分もしないうちに家を出ることになる。そして三十分後には俺はSENAさんと対面し……。



 駄目だ……。今日のこれからのことを考えたら、急に緊張してきた。どうしよう、なぜか無性にSENAさんに会うのが怖くなってきた。



 よく考えてみたら、これまで俺は女の人と二人きりで出かけた経験などなかった。複数人でならクラスの友達と何度かご飯を食べに行ったり、とかはあったけど、一対一は未知の領域だ。



 どうする? ちゃんと喋れるのか俺。それとも急に体調が悪くなったて言って……いやそれだと問題の先延ばしにしかならない。彼女を作るためにはいずれ乗り越えなければいけないことだというのは、分かっているんだけど。



 ……そうだ! 修哉に助けを求めよう。確か昨日寝る前に今日のことを報告していたことを思い出す。経験豊富な修哉ならきっと今の俺に対する的確なアドバイスを送ってくれるはずだ。



 俺はすぐにメッセージアプリを開け、修哉とのトーク画面を……ってあれ。



 昨晩送ったメッセージの返信はまだなかった。どころか既読すらついていない。



「まだ寝てるのか……?」



 その可能性はある。というかそれ以外考えられない。思い切って電話でもかけてみるか? 迷っている暇はない。当てが外れて若干パニック気味になっていた俺は、勢いに任せて通話を開始した。



 …………。



 静かなコール音が、六畳一間の部屋で鳴り続けた。



 ……………………。



 終わった。



 かれこれ一分ほど粘ったがついに修哉が出てくれることはなかった。



 まじで恨むぞ。今度ヘルクイーンにでも頼んで強力な呪いをかけてもらおう。……そういやその本人から昨日新しいメッセージが届いていたような気がするけど、今はそれどころじゃない。



 修哉に対して理不尽な逆恨みを募らせていた間も、時間だけは止まることなく過ぎていった。時刻は9:30。まだ土地勘がないため、多少ゆとりを持って出発すると考えたら、俺に残された時間でできることは、最後にトイレに行ってお茶を飲むことだけだった。



「当たって砕けろ……か」



 修哉は寝てるし、心臓はばくばくだし、おまけにちょっと手も震えてきた。俺は地図アプリを起動し、目的地までの経路を確認する。



 目的地まで徒歩十五分。SENAさんと会うまで、あと十五分。





***


 


「着いてしまった……」



青い屋根が特徴的なカフェ『BLUE』。名前までそのままなんだな。



俺はそこから道路を挟んだ向かいに位置する、コンビニの雑誌コーナーの前で、目を見開いて入口付近の様子を観察していた。



迷わずここまでたどり着くことができたため、約束の時間より少し早く着き、今は9:48。



かれこれ五分近く瞬きもせずに店の前を行き来する人たちを観察しているせいか、もう目が乾燥して痛い。コンタクトが取れたら大変だ。



けど気を緩めるわけにはいかない。駅のすぐ側でバスも沢山走るこの通り、あまりにも人が多すぎる。



なんか店の前で止まってスマホを弄っている人もいるし……。けどあれはSENAさんではないな。聞いていた服装と全然違うし。



——と、そこへポケットに入れていたスマホが震えた。



一体なんだ、修哉か?



もう遅いんだけど、と思いながらもスマホを取り出して確認する。 通知が来ていたのはメッセージアプリではなく、マッチングアプリの方。



——SENAさん!?



『着きましたよ! 前で待ってますね!』



いつの間に……!



俺は顔をスマホから上げて、すぐ店に目をやる。



そこにいるのはスマホを弄って耳にイヤホンを——ってこれはさっきの人だ。



その奥。その人のせいで陰になって俺のいる角度からは見づらかったが、確かにもう一人女性が立っていた。



ベージュのロングスカートに白のニット。この距離からでは正確な色までは把握できないけど、もうそうとしか思えない。



シルエットもアプリの顔写真と一致している。



……行くしかない。



コンビニを出て、横断歩道を渡って右に数メートル。それだけでSENAさんの目の前にたどり着ける。



メッセージの確認だけをしてすっかり返信をするのを忘れていたことにさえ気づいていない俺は、コンビニを後にした。



さっきまでは車が行き交っていたというのに、まるで見計らったかのようにすんなりと横断歩道を渡れた。



いっその事、盛大なドッキリであってほしいと思う気持ちが、まだ心のどこかにある自分がいる。



SENAさんの姿が大きくなる。向こうは俺に気づいていない。ただの通行人の一人と認識しているとか。



それもそうか。俺のアプリの写真は少しぼかしているし、あれはある意味奇跡の一枚といっても過言ではない出来だったから。



唾を飲み込む。一歩進むごとに、歩幅が小さくなっているけどちゃんと前に進んでいるから大丈夫。



……おっと。店のメニュー看板に足をぶつけそうになる。もうそれぐらい、緊張マックスになり視野が狭まっていた。



スマホを弄って音楽を聞いている女性はまだいた。邪魔だな、いつまでそこにいるんだよ。俺のデビュー戦をそんな間近で見たかったのか。睨みをきかけてみるも全くこちらに気づく気配はない。



すると——




——SENAさんがふとこちらに視線を向けた。




目が合う。そしてきょとんとしたように小首をかしげる。



幾秒かの沈黙。背中と頬に汗が伝う。まるで真夏のように俺の身体は汗と蒸気を発しているに違いない。



「せ……せなさんですか……?」



多分向こうも察しているとは思うが、なんとか喉に力を込めて声を絞り出した。



「ぴょんきちさん?」



「は……はい、そうです……」



両膝が震え、今にも腰が抜けそうな俺とは対照的に、SENAさんは落ち着いた声音で口元を綻ばせる。



「——はじめまして、ここではなんですから中に入りましょうか」









***




「……ぴょんきちさん…………?」




***




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