雛鳥たちの向かう先 第5話

 放課後、掃除係だった海月を待ち、約束通りおばあちゃんの家へと向かった。石畳の階段を登り切ると、すぐさま森の匂いに包まれる。川のせせらぎに耳を澄ませながら歩いた先で、僕たちの姿を見つけた小太郎がワンと吠えた。千切れんばかりに尻尾を左右に振り、拓馬の前でしゃがみ込む。小太郎は僕たち四人の中で一番拓馬に懐いているようだった。


「おや、うるさいの。よく来たね」


 僕たちがチャイムを押す前に扉から顔を覗かせたおばあちゃんは、深く刻み込まれた皺を更に寄せ、頬を緩ませた。


 僕も「こんにちわ!」と言って笑みを返す。


「お上がり。昨日の内におはぎを作って置いたからねぇ。沢山あるよ」


 全員の顔を一通り見渡したあと、おばあちゃんは家の中へと足を進めた。足取りはゆっくりとしているが、山吹色のシャツにベージュのゆったりとしたズボン、首からは茶色のエプロンをさげており、身に纏う洋服はいつも若々しい。声にも張りがあり、いつみても元気なおばあちゃんだ、と僕は思った。


 おばあちゃんに招かれるようにして、僕たちも家の中へと続く。


 正面には四人がけの小さなテーブルがあり、その奥には洗い場と併設されたキッチンがある。壁際に置かれた小さな本棚には珍しい小物が立ち並び、その中でも一際目立つ赤いマトリョーシカがこちらをみつめてる。外から見るより家の中が広く感じるのは天井が高いからなのかもしれない。


 部屋の中に視線を彷徨わせていると、「なにぼけっとしてるんだい。そこに立たれても邪魔になるだけだから、早く座んな」と、すごい剣幕でまくし立てながら促され、僕たちは素早く椅子に腰を下ろした。


 相変わらずだなと思った。

 優しいのか、怖いのか。よく分からないおばあちゃんだ。


「雰囲気凄くいいね。四国のおばあちゃん家に来たみたいで落ち着く」


 海月は全くおばあちゃんに物怖じしていないようだ。僕の隣で目を煌めかせ、きょろきょろと舐めるように部屋の中を見渡している。僕もその視線を追いかけてみる。


 そうしている内に、海月は窓の向こうにみえる景色に目を止めた。


 巨大樹の真下に位置するこの家は陽の光が差し込むことはない。だから、この家はいつだって乳白色の照明が部屋の中を照らしている。本来であれば、まだ太陽を視認出来る時間帯だが、窓の外は薄暗かった。


「ねぇおばあちゃん、夕方でもこんなに暗いのにどうしてここに住んでるの?」


 木造で出来た部屋の中に海月の声がぽつりと灯る。両手で大切そうにトレイを持つおばあちゃんは、机の上に二つずつおはぎが乗った丸皿を僕たちの前に並べた。それから、空になったトレイを脇で抱え、キッチンへと向かう去り際に静かに口を開いた。


「あたしはね、世間から忘れられた世捨て人だからさ。あたしにはこの場所が似合ってる。それに、骨を埋めるならあの人が残していったこの土地がいい」


 おばあちゃんは湯気の立ち昇る湯呑みをトレイに載せながら、どこか遠くの方を見るかのように窓辺に視線を置いていた。寂しげな、それでいて穏やかな、不思議な眼差しだった。きっと、僕には到底理解の出来ない感情が、今、おばあちゃんの心の中では溢れているのだと思う。長年連れ添った最愛の人を亡くすというのは、一体どんな気持ちなのだろう。もし、いつか僕にもその時が訪れるとしたら、耐えられるのだろうか。


「さぁ、お食べ」


 少しだけ心の中が湿り気を帯びてきた頃、温かい声が降りてきた。湯呑みが置かれ、僕たちはいただきますと手を合わせ目の前に置かれたおはぎを口にした。しっとりとした舌触りのいい食感から始まり、小豆の自然な甘さが口一杯に広がる。後からご飯の甘みもほのかに追いかけてくる。ケーキやチョコレートのような強い甘さではないが、優しい甘さに包まれたおはぎは、頬が落ちる程だった。


「美味い!」


 まず、拓馬が第一声を発した。


「待って、ほんとに美味しい。やばい」

「美味しすぎてびっくりした!」

「僕もこんなに美味しいおはぎ食べたことないよ」


 そのすぐ後に、僕たちは思い思いの感想を口にする。


 おばあちゃんはそんな僕たちをみつめていた。それから、半月型の目を細くして、にんまりと笑った。


「そうかい。そんなに喜んでもらえると作ったかいがあるよ」


 あまりの美味しさにすぐにもう一つのおはぎを箸で持ち上げ口に運んだ。他の三人も僕と同じように次のおはぎを口に運ぶ。


「ねぇおばあちゃん、今度このおはぎの作り方教えて!将来お嫁に行く前に作り方覚えたい!」


 口元を手で抑え、興奮も収まらない様子で静香が言った。僕はお嫁に行く訳ではないけれど、静香の気持ちが良く分かった。こんなにも美味しいおはぎを、母や父にも食べさせてあげたいと思ったのだ。


「こんなので良ければいつでも教えてあげるよ」

「ほんと?やった!ねぇ、海月も一緒に教えて貰おう?」


 目を輝かせた静香は、その勢いのまま海月をみる。だが、海月は湯呑みに入ったお茶を静かに啜り、「私はいいや」とぽつりと呟いた。


「なんで?絶対こんなに美味しいおはぎの作り方お嫁に行く前に覚えていた方がいいって。きっと未来の旦那さんも喜ぶよ!」 

「うん、そうだと思う。でも、私って料理とかそんなに得意じゃないし、食べたくなったら今みたいに誰かに作った貰うからいいよ」

「えーそれじゃあ勿体ないじゃん。海月は綺麗だし、料理とか出来たら旦那さんは尚更一生離したくなくなるんじゃない?」


 静香はそれから「ねぇそう思わない?」と僕と拓馬に順に視線を配らせた。反応に困っていると、僕の隣に座る海月がぽつりと「料理って男の人を喜ばせる為だけにするものじゃないと思うけど」と言った。


「まあね、でも出来るに越したことないじゃん。ねぇいいじゃん、一緒におばあちゃんに教えて貰おうよ」


 海月は口を結んだまま、ゆっくりと顔を伏せた。机の下ではスカートの上に置かれた両手が小刻みに震えていた。正面にいる三人には見えてないが、隣にいる僕からだとよくみえた。明らかに海月の様子が少しおかしいと思った。


「ねぇ、海月!」

「おい静香、あんまり無理に勧めなくても」


 なんとなく空気感が変わったと感じた僕は咄嗟に静香を止めようとした。だが、少しばかり遅かった。言い終える前に海月が机の上に手をつき、勢いよく椅子から立ち上がったのだ。


「だから私はいいって言ってるでしょっ!何回も言わせないでよ!」


 家の中に響き渡る程の海月の声により、一瞬にして空気が張り詰めたものになった。視線だけが海月の元へと集まる。固く結ばれた拳が小刻みに震え、目にはうっすらと涙の膜が張っているようにみえた。


「海月……」


 そんな海月をみて、僕は声をかけようとしたが、どう言葉を紡げばいいのか分からなかった。海月の心に何かの変化が生じたことは間違いないが、一体何がきっかけなのか僕には見当もつかなかったからだ。名前を呼びかけるだけで精一杯だった。静寂が降りた。


「ごめん……私、今日は帰るね」


 消え入るような声を放った海月の顔は悲痛に歪んでいた。テーブルの下に置いていた鞄を手に取り、僕の席の後ろを風のように通り過ぎていく。木製の床を踏みしめる音が鼓膜に触れて、扉の締まる乾いた音がそれに続いた。





 自分のことが大嫌いになりそう。

 どうして私は、いつもこんなに自分勝手なんだろう。良かれと思って静香は提案してくれた。そこに悪意なんて一切なかった。そんなこと私だって分かっていたはずなのに、私はその提案を無下にした。


 最低だ。


 静香への嫉妬?それとも妬み?


 思いつく限り書き記してみても、どれもが私の一方的な想いばかり。静香は何も悪くないのに。


 こんな自分が嫌いだ。大嫌いだ。世界なんて壊れてしまえばいい。いっそのこと、こんな私もろとも粉々に砕け散ればいい。


 静香には、明日ちゃんと謝らないと。

 ごめんっていう気持ちを心から口にすれば、静香だってわかってくれるよね?


 きっと大丈夫。そうであって欲しい。


 こんな事で、せっかく出来た友達を無くしたくない。


 絶対嫌だ。

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