雛鳥たちの向かう先 第4話

「えーこの様にエジプトはアフリカの右端に位置し、国土には世界最長のナイル川が流れている。豊富な栄養を含み貴重な水源となるナイル川の元に一つの文明が起きたのは必然とも言えるな。ギリシャの歴史家ヘロドトスは、〘エジプトはナイルの賜物たまもの〙と評している。」


 黒板に次々と書き込まれていく歴史。担任の平間先生は時折丸い眼鏡を持ち上げながら、チョークの白い粉を散らしている。


 今は6限。この時間を乗り切れば今日も一日が終わる。窓辺の向こうでは、少しずつ柔らぎ始めた日が校庭を照らしている。


 相変わらず僕のノートは真っ白なまま。

 窓を眺めては、黒板の上に備え付けられた時計に視線を送り、早くチャイムが鳴らないかなと心待ちにしている。


 初めて昼休みに海月を迎えた食堂での時間は、それは楽しいものだった。海月も教室で一人で過ごしていた時とは違って、可憐な花のような笑顔を浮かべてくれた。僕は、その笑顔が咲く度に跳ねる鼓動を抑えるのに必死だったが、噛みしめるように幸せな時間を味わった。


 放課後はおばあちゃんの家に四人で行く約束をした。今か今かとチャイムが鳴るのを心待ちにしているのはそのせいだ。


「そして古王国時代 には、クフ王の銘で巨大なギザのピラミッドが建造された。一節にはたったの二十年で建設したという話もあれば、数百年掛かったとも言われてる。まあ、現実的に考えると今の技術をもってしても、あれだけの巨大建造物を二十年で完成させるのは難しい。先生は数百年は要したのではないかと考えてる。」


 締めくくると僕達を見回したあと、平間先生は時計にちらりと目をやった。


「じゃあ、今日の授業はここまでにしようか。最後に何か質問はないか?」


 一人の男子が手を上げた。

 お調子者の赤坂だ。話が面白くて運動も出来ることで、クラスの男子からも女子からも人気がある奴だ。平間先生は、にっこりと笑うと赤坂の名前を呼んだ。


「先生、こないだ都市伝説の番組でみたんですけどクフ王かその側近には未来がみえる力があったから、たったの二十年でピラミッドを建設するという現代の技術でも不可能な偉業を成し遂げたって言ってたんですけど、本当ですか?」


 赤坂らしい質問だなと思った。

 未来がみえる人間なんてこの世にいる訳がないだろう。

 そんなことはいいから早く授業を終わらせてくれと僕は時計に視線を送る。


「あり得るかもな。赤坂、いい質問だ。」


 予想もしてなかった答えに僕は意表を突かれた。平間先生は袖を捲り、ネクタイを緩めたあと、優しげな笑みを僕達全員に向けた。


「いいか。世界には七十億もの人がいる。肌の色が違えば、容姿も違い、思想や宗教だって違う。それだけ多種多様な人間がいるんだから遺伝子の突然変異で未来がみえる力を持った人がいたっておかしくないんだ。」


 誰一人として口を開かなった。子供のように楽しげに話す平間先生にクラス中の人間が見とれてしまっていた。僕も気付けば先生の話しに夢中になっていた。


「赤坂の見たような番組は、世間一般的にはただの都市伝説だ、嘘だと、言った軽い言葉で片付けられることが多い。でもな、七十億もの人がいるんだからそういった特殊な力を持っている人がいると考えた方が自然なんだ。教科書に書かていることは勿論大事だ。でも、書かれていないことの方が時として大事な時もある。皆には柔軟な発想を持って欲しい。決めつけるのではなく、可能性の一つとしてあるかもしれないと。そしたら、歴史をもっと面白くみれるんじゃないかと先生は思うんだ。」


 平間先生が言い終えると同時にチャイムが鳴った。一人の男子が「起立、礼」と号令をかける。僕達のことを一通り目を配らせたあと、一度頭を下げて先生は教室から出ていった。


 途端に蝉の鳴き声がした。賑やかなクラスメイト達の声が、少し遅れて続いた。

 さっきまで先生の声以外何一つとして音という音は聞こえなかった。それだけ、夢中になって授業を聴いたのは久しぶりかもしれない。


「未来がみえる人間か…。もし本当にそんな人がいたらその人は幸せなんだろうか。」


 僕は窓の向こうで広がる青空に向けて、そう呟いた。

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